1. 難病情報誌 アンビシャス 189号

難病情報誌 アンビシャス 189号

最終更新日:2018年02月01日

 

表紙は語る

不幸だと思っていたけれど、幸せはいつもそばにあった。

吉田 晋介(よしだ しんすけ)さん
クローン病

 初めまして、僕は吉田晋介と申します。病歴23年、42歳のクローン病患者です。同じクローン病や潰瘍性大腸炎の方たちに、少しでも励みになれればと僕の経験を話したいと思います。

 僕は地元、埼玉県の高校を卒業後、就職。仕事が楽しく張り切っていた矢先の一年目の冬、食事中に時々腹痛が出始めました。最初はあまり気にしてなかったのですが、春頃に激痛に襲われ「これはただの腹痛じゃない」と病院に行きました。先生に症状を伝えレントゲンを撮ると大腸が映らないほど酷い炎症がありました。すぐ内視鏡検査の予約を取り、後日検査すると大腸の炎症が酷く、カメラが大腸に触れるたびに激痛が走り、検査中ずっと悶絶していました。医師に潰瘍性大腸炎と診断され投薬治療が始まりました。しかし今まで大した病気もなく、診断後も他人事のようで理解できず、食生活は乱れたままでした。
 仕事は職場の雰囲気も良く、辞めたくなくて無理を続け病状が悪化、67kgあった体重は53kgまで落ちていました。体力も落ち、疲れやすいのに39℃以上の高熱があっても、解熱剤を大量に飲んで何とか踏ん張っていました。腹痛や血便も続き病状は悪化の一途で入退院のくり返しもあり精神的に落ち込み、先の見えない不安な日々でしたが会社の先輩方の支えで頑張れました。

 そして月日が流れ24歳の夏。別の病気を発症、足の裏に痺れが出はじめ、次第に足や膝に力が入らず真直ぐ歩けなくなりました。頑張って歩いていましたが、思うように歩けなくなりました。「なんで?どうしたらいい?」と、自問自答をくり返すうちに心も病んでしまい、やけになって、一人で泣く日々が続きました。その内全く歩けず三ヶ月間も寝たきりの状態になり、親に手を引っ張られ入院。「行きたくない嫌だー」と、泣いていたのを思い出します。この時が一番辛く苦しい時期でした。現実を受け止められず「死んでしまいたい、消えて無くなりたい」そのことしか考えられない状態でした。そんな最悪な精神状態でも「生きたい」と踏み留まれたのは人でした。一人でも支えてくれる人が居るだけで、こんなにも心に光を照らしてくれるのだなと思います。
 歩けなくなった原因は不明ですが、多発性硬化症の疑いがあるようです。食事制限をしながら、歩くためのリハビリを一年続け少し元気になったところで国立療養所に転院しました。ここで更に一年リハビリをメインに潰瘍性大腸炎の治療をしました。この二年の間歩くためのリハビリを続けましたが、回復の目処が立たず歩く事は諦めました。車椅子生活には抵抗がありましたが、自分の障害を認め受け入れることが出来るようになってきた時、余計な力が抜け、少し心に余裕が出来ました。

 潰瘍性大腸炎の方は投薬治療を続けていましたが、症状の起伏が激しく、発病して五年目に大腸に穴が開き手術することになりました。手術後は当初から希望の東京の大学病院に転院。ベッドに空きがなく二年間も待ち続けた病院です。一番つらい時にスムーズに入院できるようにして欲しいものです。
 大学病院に移り消化器系の専門医に診てもらったら、クローン病だと診断されました。今思うとクローン病の症状が大腸だけで済んで良かったと思っています。
 大学病院でも症状は安定せず、IVH(※)で栄養を取り、絶飲食を繰り返しました。最長で三ヶ月の絶飲食は苦しく、人との会話が苦痛になり、人を見るのも嫌で、一人になれる場所を探していました。その後、やっと食事がとれるようになったのもつかの間、二週間で再発、また絶飲食になった時の辛さは例え様もありませんでした。
 僕は元々ポジティブな性格で、看護師や患者と意識して話をしたり、散歩をしたりして気分転換を図り、落ち込まないようにしていました。この様に些細な楽しみを見つけることで辛く苦しい闘病生活もなんとか踏ん張れました。しかし時には誘惑に負けてしまい絶飲食中に弁当を買って食べては吐き、先生に怒られたこともありました。これも今となってはいい思い出です(笑)
 三ヶ月の絶飲食を経て前の国立療養所に戻りましたが、二週間でまた悪化、再び大学病院に転院して手術を受けました。二度目の手術で大腸の三分の一を切除、その後の体調は安定し、また国立療養所に転院して経過観察、半年後に退院しました。三年の入院生活で得たものは、人を信じられるようになったこと、病院嫌いが少しなおったこと、そして、何回もの絶飲食で嫌いな食べ物が無くなったことです。

 退院はしたものの車椅子での移動が不便なため車の免許をとりました。車を持ち行動範囲が広がるにつれ食生活も乱れ、分かってはいるけど自分に甘い毎日でした。そろそろ仕事をしなければと、職業訓練所やパソコン教室に通いましたが、仕事で身体を壊した過去に囚われ、なかなか一歩を踏み出せずにいました。
 そんな生活を送るうちクローン病が再発。急な激痛に耐えられず、東京の大学病院に緊急入院、また大腸の三分の一を切除する手術を受けました。残る大腸は三分の一になってしまいましたが手術は無事に終わりました。丁度その頃、両親が沖縄の宮古島に移住することになり、元々寒さが苦手で手術後の療養も兼ね、何となく付いてきました。32歳の時でした。
 宮古島に移住して、車イスバスケットに誘われ、障害者仲間と出会い、今の仕事に出会い、結婚もできて、宮古島に来てから自分の道が開けてきたように感じます。仕事を始めるきっかけは、障害者仲間から「障害者には障害者にしか出来ない仕事があるよ」と言われ、すごく心に響き「ここでやってみたい」と仲間に加わりました。宮古島に導かれて来たのかな?と思っています。もちろん今まで出会った人たちにも、感謝してもしきれないくらい救われました。

 宮古島に来てもうすぐ9年です。車椅子でクローン病なので、外でトイレの失敗はありましたが、今は工夫しながら生活しています。入院することなく比較的安定していますが、体重が…増量中(苦笑)減量しないといけないが、なかなか痩せることができない不良患者です(笑)
 僕の体験から、環境の変化でクローン病が発病したり、悪化したりするのかなと思います。逆に良い環境であれば症状が落ち着くのではないでしょうか。そして、クローン病になる人は真面目な人が多いように感じます。真面目過ぎずにいきましょう。ストレスは大敵なので、自分の体調に合わせて色々なことを楽しんで欲しいです。病気だからといって諦めないで欲しいです。
 悩み苦しんだ20代でしたが、良い経験になったと思っています。今40代を楽しんでいます。これから50代、60代と未来も楽しめるような人生にしていきたいです。
 ちなみに20代の時の嫌いな言葉「ありがとう・頑張って」今は、好きな言葉です。
 謙虚さを忘れず!感謝して!
 一期一会!

*IVH…心臓近くの太い血管にカテーテル(管)を入れて高濃度の栄養を投与する療法。

語者プロフィール

吉田 晋介(よしだ しんすけ)さん
1975年埼玉県久喜市生まれ、身長181cm、体重96kg
【趣味】買い物(嫁より買い物が長い)
【挑戦したいこと】減量(笑)。海外の発展途上国に行ってみたい。
【特技】ポジティブに変換する能力がある…ような気がする。
【最近の楽しみ】いろいろな人と会うこと。楽しいことを見つけること。
【苦手なこと】人が多い所。

  • 病気の刺激はいらない。 船釣りの刺激で気分爽快!

  • 浜辺で万歳…元気があるからとことん遊ぶぜ~。

10月の報告あれこれ

セカンド・オピニオン(IBD)

 普段の外来では診療時間も限られ、心配なことがあってもつい聞きそびれてしまう事が往々にしてあったり、自身の病状について他の先生の意見も聞いてみたい、というご希望がおありの方が少なからずいらっしゃると思います。アンビシャスではそのような方の不安を少しでも解消する目的で、いくつかの疾患の専門医のご協力を頂いて「セカンド・オピニオン」を行っています。その一つ、消化器系疾患(クローン病・潰瘍性大腸炎)のセカンド・オピニオンを浦添総合病院の金城福則先生のご協力により、昨年12月16日に実施しました。
 今飲んでいる薬があまり効かず、他の薬を提案されたが不安をお持ちの方や、手術の話が出ているが他に治療法はないのか相談したいという方などがいらっしゃいました。お一人30分という長いようで短い時間ではありますが、日頃から抱いている病気や治療についての不安や疑問などをじっくりお聞きすることができたのではないかと思います。
 金城先生ありがとうございました。

佐賀県議会からの招聘

 佐賀県の県議会議員で構成され超党派(全議員参加)の「佐賀県議会難病対策推進議員連盟」に招待されて、沖縄県内の難病を取り巻く状況を報告してきました。佐賀県以外の活動を知り、地元の政策につなげようと熱心にきかれていました。あまり他県と比べてもいけないのでしょうが、佐賀県の難病に対する取り組みは先進的な事例であることを改めて感じました。印象に残っているのは、難病の軽症者に関する要望でした。旧制度の56疾患を持つ人達の経過措置が切れ、診断基準は満たしたが、重症度分類で軽症となった場合には、難病の受給者証は交付されません。受給者証が無いことで、福祉サービス利用時などに別途診断書が必要になることから、診断書取得の手間や料金の負担が大きくなります。患者の負担を少なくするように議員から県庁に対して要望していました。沖縄でも佐賀県を見習い患者負担軽減になるよう行動していきたいと思います。

八重山神経難病患者の集い

 12月21日八重山保健所主催で「神経難病の集い リハビリ・自助組織」が開催されました。参加者は23名。前半はかりゆし病院理学療法士の西原美樹先生による「神経難病のリハビリテーション」で自宅でも出来るリハビリの方法や、患者さん自ら考案のリハビリ方法などもお聞きし勉強になりました。
 後半はアンビシャスから「患者家族会の活動、ピア・サポート活動について」の説明のあと、実際に地元で活動されている「神経難病友の会八重山」の代表の松藤純さんから同団体の紹介がありました。病気を正しく理解し、閉じこもり予防・生活の質の向上を目的に仲間をつくり親睦を図る活動を行っていて、ボウリングやバンナ公園散策を、ボランティアや地域の力を借り、楽しんでレクレーションを行っていて、参加したくなる友の会でした。個別の相談もいくつかあり、もっと離島にも力を注がないといけないと感じました。

こころの現場から

「楽しく笑えるように」

鎌田依里

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 あなたは毎日、何回笑っていますか?
「子どもは1日に300~400回笑っており、大人は15回しか笑っていない」という研究結果をご存じの方も多いと思います。
 日々の生活に追われていたり、心配事があったりすると笑うことができなくなる心理状態になります。
例えば身近な人に不幸があったときに少しでも笑顔を見せたり気分転換を図ろうとしたりして自分の興味がある事ことに取り組もうとすると、中には周囲の方に「こんなに不幸なことがあったのに、笑うなんて不謹慎だ」と非難をされ、悲しい出来事に加え余計な傷つき体験が増え、ストレス事態から回復する機会を失わされる場合があります。しかし、このような非難をする方は、自分がうまくいかないのは誰か他人のせいであると思う傾向がある人だったり、何らかの悪意をもっていたり、他人が不幸でいることが嬉しいというような心理状態である可能性もあるので、気にせず自分や自分の大事な人のメンタルケアを行っていくとよいでしょう。
 相手の一面だけ見て批判をしたりマイナス面に言及したりすることは簡単です。物事にはあらゆる側面があります。できるだけ皆一緒に楽しくすごすためにどうしたらよいかと考え、ポジティブな言動をし、お互いの心理状態の改善を図りましょう。そのためには、物事を俯瞰的に見ることが有効です。俯瞰的に見ようとしても俯瞰する高さは人それぞれですし、俯瞰した先で見えてくるものも人それぞれ異なります。だから試しに俯瞰しようと意識するだけでも実は事態は好転に向かい始めるのです。
 笑顔は伝染し免疫力を高めたりする機能もありますので、物事の肯定的な側面を見て笑えるようにこころがけてみるのはいかがでしょうか。

つぶやきチャンプルー

「誕生日じゃない日おめでとう」

照喜名通

著:照喜名通

 ウォルト・ディズニーの「ふしぎの国のアリス」というアニメ作品の中に「誕生日ではない日のうた」が紹介されています。大体の家庭では子供の頃から誕生日は親からおめでとうと祝ってもらいます。節目としての慣例行事でもあり、私も子供達にそうしました。また、産んでくれた母親に感謝を表す日でもあります。この作品の中に「誕生日は一年に一回しかないじゃない、誕生日じゃない日は364日もある」という歌詞があります。私は難病になってでも、生きていることに気づいたときに、感謝がうまれ幸せを感じます。それは、誕生日でもお正月でもないけど、おめでたいのです。なので、同作品に共感するのです。
 2月14日はアンビシャス設立記念日で、今年満16年を迎えます。ここまで来れたのはスタッフをはじめご支援を頂いている皆さまのおかげです。
改めて感謝申し上げます。これも本来はこの場だけではなく、設立記念日じゃない日にも同じように感謝のことばをスタッフや皆さまに伝えなければなりません。ことば足らずで申し訳ないです。
 日々幸せだと感じること、日々ありがとうと言葉にして言えること。忘れてはいけないことです。
よし、パソコンの前に貼り紙して忘れないようにしよう。

シリーズ 「患者学」第34回

生命にとって多様性って一体何だろう

慶応義塾大学看護医療学部 教授 加藤 眞三著

 多様性という言葉は、文字通り多くの色々なあり方のあることですが、私達にとって、多様性とはどんな意味があるのでしょうか。今回は、生命という観点から多様性について考えてみたいと思います。

 まず、一人の人間の中で多様性を考えてみます。私達は卵子に精子が結合した受精卵という一個の細胞として生命を授かります。そして、それが分裂を繰り返していくわけですが、全ての細胞は同じDNAからできています。
 頭の髪の毛から足の爪まで、脳、眼、鼻、肺、心臓、肝臓、胃、小腸、大腸、腎臓、膵臓、筋肉、骨など形や機能が全く異なる臓器であっても、それらはすべて同じDNAの細胞からできたものなのです。それぞれの細胞が、その場に応じた適切な形をし、適切な機能を果たしているから一人の人間として高度な機能を持つこと高等動物として生きていくことができるのです。
 分裂を繰り返していく中で、それぞれの細胞はその場で色々な信号を受け取ります。そして、その場に必要な細胞へと成熟していきます。幹細胞と呼ばれる状態の時には、色々な細胞に変化する能力をもつのですが、いったん成熟した細胞になると、もう元に戻ることはできません。ある意味で色々な可能性を棄てて成熟した細胞になっていくことになります。
 時々、成熟した細胞が幼帰りすることがあります。それが、がん細胞です。がん細胞とは、周りの環境の都合を考えることなく、貪欲に増えたり栄養や酸素を周りの細胞から奪い、本来の機能を発揮することなく、そして、他の臓器に移ってでも生き続けることのできるヤンチャな細胞ということができます。
 多様性をもつ成熟した細胞が、周囲からの信号を受け取り、その場に応じて機能をはたすため、人間は一人の生命体として高度な機能を持つことができるのです。かっては、脳がすべての指令を出しているように思われていたのですが、実はそれぞれの臓器同士で色々な信号のやりとりをして調和を保っていることが解ってきています。タモリさんが司会をするNHKスペシャルの番組「人体 神秘の巨大ネットワーク」で様々な臓器同士で信号のやりとりが行われている様子が解説されていましたので、それを視た人はそのことがよく理解できるのではないでしょうか。
 一個の細胞から分裂をした同じDNAを持つ細胞が、その場その場に応じて色々な形と機能を備えた多様な細胞になり、それぞれの細胞が信号のやりとりを行いつつ、機能をはなしていることで、人間が一つの統一された個体として高度な機能を持つことができているのは、神秘としかいいようがありません。そして、その信号のやりとり、それを細胞同士のコミュニケーションということもできますが、脳に完全に支配されているのではなく、それぞれの臓器同士でも独立して行われているのです。

 次回では、生命全体から多様性の意義について考えてみます。


東洋経済オンラインに加藤先生による「市民のための患者学」2週間ごとの連載スタート!
http://toyokeizai.net/articles/-/143366

慶応義塾大学看護医療学部
教授 加藤 眞三
1980年、慶應義塾大学医学部卒業。1985年、同大学大学院医学研究科修了、医学博士。
1985~88年、米国ニューヨーク市立大学マウントサイナイ医学部研究員。
その後、都立広尾病院内科医長、慶應義塾大学医学部内科専任講師(消化器内科)を経て、現在、慶應義塾大学看護医療学部教授(慢性病態学、終末期病態学担当)。

患者の力: 患者学で見つけた医療の新しい姿
出版社: 春秋社

「患者には力がある!」 毎日を健康に生きるために、そのためにも、真の患者中心の医療を実現するために、いま必要なこととは。

アンビシャス広場

~エッセイ~ 「食べ歩き…その2」 西兼盛 鉄さん(ALS)

11月の第3水曜日、
外出は糸満お魚センター
お魚センター行きのメンバーは
10月と同じで、ヘルパーさん2人と
看護師さん1人、家内と僕。

別車には父と母、
愛犬のプードル2匹も一緒だ。
台風が接近する中いざ、
現場へ到着すると天気は晴れ、
今まで4、5回天気予報は雨でも、
外出するが雨は降らず、
鉄さん晴れ男だねと
皆によく言われる。
台風接近のせいか、カキは有るが、
帆立、シャコガイ、サザエ、
アカジンミーバイ、サシミ、
台風前で食べたいのが無い、
皆さん台風前には行かない事。
ちなみに、今回も愛犬2匹は
又車酔いでした。

難病川柳・難病短歌

難病がある方や家族の方、サポートする方々で日常感じている悲しみ、辛さ、笑い、皮肉や優しさなどを短歌・川柳にしてご応募ください。
採用の方には寄稿料として千円相当のクオカードを進呈します。詳細は事務局までお気軽にお問い合せください。

難病川柳
遠隔地 縁覚知には 円がいる
作:はなこさん

近くには治療してくれる先生がいない。先生を探すには(と縁を結ぶには)お金と時間がかかります。
(※事務局より お礼のクオカードをお送りしたいのですが、連絡先が分りません。心当たりの方、アンビシャスまで連絡ください。)

難病短歌
トランクに 慣れた手つきで 準備する むかし旅行で いま入院
作:かめちよさん(全身性エリテマトーデス)

初めての入院は『入院の手引き』片手に緊張しながらあれもこれもと、大きな鞄に詰め込みましたが、今では小さなトランクに短時間で最小限に収め、ちょっと得意な気分になって家族にあきれられてしまう始末です。

お勧め映画情報

「奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ」2014年

実話を元にした作品。 学校から見放された問題児たちの集まるクラスに赴任してきた厳格で情熱的なベテラン教師と生徒達の話。
その教師との出会いで、生徒たちが変わっていく様子が描かれている。

その生徒だった一人が、監督にメールを送った事で、映画化。
どの世代にも見て欲しい、勉強にもなる作品である。

★渡久地 優子{進行性骨化性線維異形成症(FOP)}★
・・・カラーセラピーやパワーストーンも好きで、時々、ネットで見てます。

今月の占い

  • 牡羊座 3/21-4/19
    諦めが肝心な事もある
    ☆リフレッシュ法:おしゃべり
  • 牡牛座 4/20-5/20
    流れに身を任せてみて
    ☆リフレッシュ法:料理
  • 双子座 5/21-6/21
    自分に優しく労いを
    ☆リフレッシュ法:掃除
  • 蟹座 6/22-7/22
    モノは言い様、注意を
    ☆リフレッシュ法:運動
  • 獅子座 7/23-8/22
    出会いと別れは必然的
    ☆リフレッシュ法:オシャレ
  • 乙女座 8/23-9/22
    成長や向上心は自分の為
    ☆リフレッシュ法:瞑想
  • 天秤座 9/23-10/23
    今ある事に目を向けて
    ☆リフレッシュ法:散歩
  • 蠍座 10/24-11/21
    睡眠不足に気をつけて
    ☆リフレッシュ法:仮眠
  • 射手座 11/22-12/21
    肩の力抜いてリラックスを
    ☆リフレッシュ法:ドライブ
  • 山羊座 12/22-1/19
    意地を張らず素直になって
    ☆リフレッシュ法:断捨離
  • 水瓶座 1/20-2/18
    愚痴や八つ当たりに注意
    ☆リフレッシュ法:カラオケ
  • 魚座 2/19-3/20
    笑顔で接する事を心掛けて
    ☆リフレッシュ法:食事

各患者団体からのおたより

神経難病友の会八重山より
「八重山神経難病患者の集い」参加報告

 昨年12月21日(木)八重山保健所主催の「八重山神経難病患者の集い」に友の会のメンバーと参加しました。
 先ずはじめに、保健所地域保健班の方から「八重山管内の指定難病患者の状況」の報告がありました。神経難病にも色んな患者さんがいることが分り、中には聞いたことが無いような病気の方もおられ、患者さんの数が少なく、友の会や家族会なども無い事が分り、私達も「友の会活動をもっと頑張らねば」と思いました。
 次に理学療法士の西原先生による「神経難病の特徴と疾患に応じたリハビリテーション」の説明があり、身近にある物を使っての家庭で出来るリハビリの指導がありました。
 その後、アンビシャスセンター長、照喜名さんから「患者会の役割や目的について」の講演のあと、私たち「友の会の活動を紹介」する場を設けて頂きました。
 私たちの活動を他の神経難病の皆さんや関係の方々に知って頂く良い機会になりました。人前で話す事が苦手な私にとっては大変な一日でしたが、とても充実した一日でした。

神経難病友の会八重山 松藤

編集後記

 早いもので、ついこの前新年を迎えたばかりかと思えば、もう既に2月です。寒暖の差が激しい日が続きますが、みな様いかがお過ごしでしょうか。
 さて、今月の体験談はクローン病の吉田さんがお寄せくださいました。悩み苦しんだ20代、そして32歳に移住した宮古島市での生活がジャストフィット。本人いわく「不良患者」だそうですが、日々楽しく暮らす事で体調も維持できているという、示唆に富んだお話を頂きました。
 そして2月は会報誌でも先月から告知を続けている難病に関する世界的イベント「世界希少・難治性疾患の日(Rare Disease Day)」がある月です。
 毎年2月の末日に、日本でも各地で難病団体を中心にイベントが開かれ、沖縄ではアンビシャスが中心となって沖縄県総合福祉センターを会場に各難病患者団体様と共同で開催します。
 当日は「パネル展」の他、各患者団体のブースを設置し「団体案内」や「相談コーナー」を設けております。
 アンビシャススタッフ一同、難病をお持ちの方、ご家族、また関心のあるみな様のご来場をお待ちしていますのでお気軽にご参加ください。(詳細は当誌10頁でご確認ください。)

文 仲村明