1. まとめ|エッセイ

まとめ|エッセイ

NO.122(228号):「蚊の季節」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 また蚊の季節がやって来ましたね。
 沖縄では年中蚊がいるような気もしますが、やはり温かくなると蚊の勢いや数は劇的に増すように思います。
 私のような、自分では身動きの取れない者におきましては特に蚊は大敵です。蚊が周りを飛んでいるだけでも結構な恐怖です。 なぜかと言うと、蚊が顔にとまり血を吸おうとも私にはどうする事も出来ず、ただヘルパーに気づいてもらえるまで視線を送り続けて、ようやく気付いてもらえてから口文字で「顔に蚊がいる」と伝えて、蚊を仕留めてもらいます。
 まあその頃には、蚊にたらふく血を吸われております。そしてその後の痒みは言うまでもなく、痒さにも耐えなくてはいけません。
 さてと、蚊よけのグッズを準備をして、夏を楽しみたいと思います。

NO.121(227号):「友達100人出来るかな」 浦崎 綾乃さん(ALS)

先月号で息子が卒園しますと話を書かせていただきました。 今月は、その息子が小学校に入学します。
 娘の時には心配なことはほとんどなく、当時の娘は内気な感じでしたので友達ができるかなと少し思うぐらいでした。今ではしっかりとした自己主張のできるほどにたくましく成長しています。
 さて息子に話を戻しますと、娘に比べると、授業中に座っていられるかな?、授業中におしゃべりしないかな?、勉強についていけるのかな?、など山ほど心配事があります。
 ですが唯一心配していないことは、友達を作ることです。
 娘とは違って、どこででも誰とでもすぐに友達になっている息子を見て、夫と誰に似たのかな?と話すぐらい、物怖じせず明るく楽しめる息子は「友達100人」あっという間に出来るだろうなと思う母なのでした。

NO.120(226号):「保育園を卒園する息子への思い」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 今月で保育園の年長を卒園して来月から小学校に入学する息子。
 息子が2歳半の頃から病気により抱っこをしてあげることが出来ない状態で、夫が私に代わり育児をしてくれました。
 それでも息子をもっとたくさん抱っこしてあげたかったし、私の声を聴かせてあげたかったと思ってしまいますが、あれから4年たち息子は6歳になりました。
 来月からは小学1年生になる息子は、明るく空手とバスケットボールが大好きな活発な子へと成長しています。
 そして今では私が息苦しい時には呼吸介助をしてくれるようになりました。
 まだまだ甘えん坊ですが、優しく、たくましく成長している息子のこれからの成長を私なりに手助けしながら、私も頑張って生きたいと思います。

NO.119(225号):「娘の心の成長」 浦崎 綾乃さん(ALS)

娘は10歳、ただただ可愛いだけの時期はとうに過ぎ去って、口答えや反抗も当たり前なお年頃に差し掛かってきました。
 最近、娘が口文字を真剣に取り組んでくれなくて、すぐにヘルパーへ助けを求めるようになっていることが気になっていました。そんな中で事件が起きたのです。
 私と目がしっかり合っていたので口文字を始めていた私から目をそらして無視をしたのです。本当に私の産んだ子なのかと思うほどにショックでした。
 しかし、冷静になって考えてみると自分にもそんな時期があったのではないかと思いました。そう!反抗期と言われる時期ですよね、大人の皆さんが通った道です。
 娘には夫からお説教をしてもらって、しばらくして娘からLINEで反省文が届きました。今どきの子ですよね(笑)。それは娘なりの反省が伝わる内容でした。
 私はあまり過度な期待をし過ぎないようにしながら子育てをしなくてはと、気持ちを新たにした出来事でした。

NO.118(224号):「ママっていいなぁ…」 浦崎 綾乃さん(ALS)

月曜日の朝、小学4年生の娘に言われたことです。
「ママはいつでも眠いときに、寝られるからいいなぁ」んんん? お嬢さん。何か勘違いしていませんか。確かにママは自分では身体を動かす事も、呼吸器がないと呼吸も出来ない重度身体障害者だけど、病人だと思ったことはないよ。
 確かに、ベッドの上に一日中ずっといたら、いつでも寝られると勘違いもされるかもね。
 でもね、ママはね意外と忙しいのよ、平日の午前中に一時間のリハビリを受け、家族の体の事を考えた食事メニューを作り、趣味の焼き菓子のレシピ作り、家の片づけなどをヘルパーと確認しながら、細かい指示をLINEして考えているイメージを伝えて、ヘルパーとの意識をすり合わせがなかなか大変な作業なの。と、娘に意思伝達装置を使い伝えると、「ふぅーん、じゃあ行ってくるね、行ってきます」…何とも言えない気持ちですが、すかさず夫のフォローが、「ママの考えてくれるレシピのおかげで、風邪もひかないし学校も休んだこともないね」娘「うん、そうだよね」
 何だか軽く流されましたが、夫が分かってくれてれば、まあいいっか。

NO.117(223号):「気がつけば、師走」 浦崎 綾乃さん(ALS)

気がつけばもう2020年も終わりに差し掛かっていますね。
 今年は、新型コロナウイルスの猛威に世界中で未曾有の事態となり、新型コロナウイルス感染による死亡者数もさることながら、自粛による経済状況悪化、倒産、そしていつ元の生活に戻るのかわからない不安などで、みんなどこか苦しい思いをしている、そんなどんよりとした一年だったかと思います。
 しかしそれは全体を見た時の印象です。毎日が暗くどんよりとした気持ちではなかったはずです。自粛生活をしたから得られた事も沢山あります。働き方は、デスクワークメインの方は、在宅でリモート勤務が出来るようになり、小学校ではアプリを使って宿題や提出が出来て担任の先生と直接メッセージのやり取りが出来ることで、娘のモチベーションアップに繋がっていました。
 私は自粛生活で、子供たちに料理を教え、焼き菓子のレシピを考えて試作してはヘルパーや看護師の方々にふるまって喜んで頂ける幸せを感じていました。
 そうした小さな幸せに目を向けて、日々を送っていたら、気が付いたときには元の生活以上の世の中になっていると良いなと思います。2021年が明るい年でありますように。

NO.116(222号):「孤 独」 浦崎 綾乃さん(ALS)

難病になって、これまでに感じたことのない孤独感にさいなまれる事があります。それは発病して間もない頃は強烈に。
そして、数年経過して、重度障害者としてこの生活になれた今でも、ふとした瞬間にやって来ては、しつこいぐらいに付きまとってきます。

その孤独感とは、難病になった人にしかわからない、闇深いものと言いましょうか。健康な時の心理状況とは全く異なるのですから、その孤独感を理解することは難しいと思います。

しかし、ALSを患い4年がたち、私なりに理解したことは、「孤独を感じても決して一人じゃない」ということです。

そして、「一人でも分かろうとしてくれる人がいることが力になる」のです。


NO.115(221号):「人生」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 9月1日は防災の日でしたね、日本は自然災害の多い国です。
「地震、津波、火山、台風、豪雨、川の氾濫」等々。つい最近も九州豪雨で大きな被害がありましたね。

人は何のために生きているの?
希望を持つため。
希望がなくなったらどうするの?
希望は無くならないよ、ただ見えなくなるだけなんだ。
人生は誰のためにあるの?
自分のため。
周りの大切に思っている人の為にあるんだ。
だって人は一人では生きていけないものだから。
生きてさえいれば、人生なんて案外何とかなる。

京都ALS女性委託殺人事件があり、私自身もALS当事者として色々と考えるきっかけとなり、散々いろんな事を考えました。

そして、以前観た映画の言葉を思い出しました。それが、冒頭の言葉です。
私が特に好きなのは、「人は何のために生きているの?希望を持つため。希望がなくなったらどうするの?希望は無くならないよ、ただ見えなくなるだけなんだ。」と言う所です。
時には、希望を見失ってしまいそうになる時もありますが、この言葉を思い出して焦らず、のらりくらりとやり過ごす術を得ることが出来たのかもしれません。


NO.114(220号):「防災の日」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 9月1日は防災の日でしたね、日本は自然災害の多い国です。
「地震、津波、火山、台風、豪雨、川の氾濫」等々。つい最近も九州豪雨で大きな被害がありましたね。

 なぜ逃げ遅れてしまうような事が起こるのでしょうか。
 災害心理学で「正常性バイアス」という用語があります。被害が予想される状況でも、自分に都合の悪い情報を無視、または「自分は大丈夫」「まだ大丈夫」と過小評価して逃げおくれてしまうそうなのです。
新型コロナウイルスでは、無関心な人ほど罹患(りかん)しやすいのと同じで、自助努力なしでは防災や災は実現しません。決して他人事ではなく危機感を持ち、「自分の住んでいる場所について情報を集めて、非常食や蓄電池など防災グッズを備えて、我が事として心構えをしておくこと」が大切ですね。


NO.113(219号):「私にとってALSとは」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 ALSになってよかったなんて思うことはありません、しかし重度障害をもったから分かったことや得られたこともあります。
 それを踏まえて、私にとってALSは人生観を変えた大きな物出来事です。
 人からの質問で「どうやって病気を受け入れたのですか?」と問われることがありますが、私は病気を受け入れているかどうかは分かりません。
 ALSは進行しきってしまうと自発呼吸も出来ず、身体を動かす事や表情も変えることが出来なくなり蠟人形のようになってしまいます。そう、自分の身体の中に閉じ込められてしまうのです。外見だけで判断されると、病気で可哀想な人となってしまうと思います。
 しかし私の感覚や意識、思考は損なわれることはありません、病気は私の全てではなく、ひとつの側面でしかないのです。

NO.112(218号):「喜怒哀楽」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 私が以前長期入院していた頃、他者との関わりが少なくなると感情の変化がありました。
 その変化とは、悲しみや不安や不満と言った「怒 哀」の方が増えていくような感じです。
 在宅療養になり、自宅で暮らすようになると、家族やヘルパーとの密な関わりが増えたので、「哀」はどこかへ追いやられて、「喜 怒 楽」が増しました。
 特に子供は「喜怒哀楽」が目まぐるしく変わります。幼い子供たちを育てることで、私の単調な日常がバリエーション豊かになり、子育てをしている同年代の人達と変わらない、悩みや喜びを実感しています。
 夫は、「仕事、子育て、介護」と役割が増えて辛いことが増えたかもしれません。
 辛くても歯を食いしばって頑張っている夫に感謝しつつ、私はヘルパーに手伝ってもらい、自分にできることで家族の健康をサポートできることが、やりがいや生きがいになって「喜 楽」が増えているのだと思います。
 皆さんの「喜怒哀楽」はいかがでしょうか。

NO.111(217号):「くしゃみ」 浦崎 綾乃さん(ALS)

人工呼吸器を装着している私でも、くしゃみはします。ある日、くしゃみが止まらない事がありました。
 夫に、「今日はくしゃみが止まらないから、風邪ひいたかも」と話すと、夫は、「えっ、くしゃみできるの?」
 私は、「失礼な人ね、ひっそりとくしゃみしています」と答えると、夫からの返答が面白かったのです。夫は、「それだったら、飛沫感染しないね」
 何だかほっこりした会話でした。因みに私のくしゃみは、慣れたヘルパーじゃないとわからないほど、ひっそりとしたものです。

NO.110(216号):「なぜ医療崩壊させてはいけないのか」 浦崎 綾乃さん(ALS)

どこか他人事のように日本は大丈夫だろうと甘く見ていた新型コロナウイルス。
 まさか自分の生きている間で、こんなにも恐ろしい感染症が世界的猛威を振るうとは思ってもいませんでした。
 市中感染が始まっている今、感染拡大は避けられないことです。
 しかし、一人ひとりが自分は保菌者だと思い、行動(マスクを着用、手洗い消毒、人との距離を保つ、外出を控える)をするなど、自分事と思い生活をするだけでも、感染拡大スピードは緩やかになると思います。感染拡大を緩やかにすることで、医療崩壊を防ぐことができるのです。
 もしも、医療崩壊が起こってしまうと、私と同じ病気ALSも含めた慢性期呼吸器利用者への治療は後回しにされてしまうばかりか、癌や脳卒中などあらゆる手術もできずに、死ななくてもよかったはずの人が多く亡くなってしまうのです。それは絶対に止めなくてはいけない事なのです。
 今、私たち一人ひとりの行動や考え方が問われているのだと思います。

NO.109(215号):「新型コロナウイルスの影響」 浦崎 綾乃さん(ALS)

世界的な流行になった新型コロナウイルスで、皆さんの生活に影響があると思いますが、私にも影響がありました。
 終息までは外出制限させて頂きたいと訪問介護事業所からの通達があり、ヘルパーの外出支援が出来ない状態が続いています。(今日3/13で3週間経ちます)
 マスクはもちろん、消毒用エタノール、使い捨て手袋まで品薄状態で入手困難となりました。
 私は人工呼吸器をつけていますので、消毒用エタノールと使い捨て手袋は必要物品です。まさかこんなに大事になるとは、正直なところ思っていなかったです。
 平和ボケしていて危機感がない自分が怖いです…
 今回の事を教訓に、普段から自己免疫力を高める生活を心がけて、物品についても代用品で柔軟に対応出来るように知恵を働かせながら、日常生活を過ごしてみようと思います。

 早く新型コロナウイルスの特効薬やワクチンが出来て、重症化がなくなる事を願うばかりです。


NO.108(214号):「可哀想」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 5才の幼い息子が「ママかわいそうだよねぇ、でも大丈夫だからねぇ」と身体を動かすことのできない私に対して優しく言う。 私は思う。同情や、いたわる心が芽生えた息子の成長が嬉しい。 しかし、その反面子供たちには可哀想ではなく、不自由で大変なこともあるけど決して不幸ではなく、それなりに幸せだと思ってもらえるように私が胸を張り笑顔で過ごしている姿をみせることで、ママは可哀想でなくなるのではないのかと思います。 可哀想と思いやる気持ちは、とても大切です。でも、時として可哀想と言われると心が傷ついてしまう場合があります。 表面上だけ見て、可哀想と言葉を投げかけるのは、病気と本気で向き合っている人に対して失礼なことかもしれませんね。 皆さんは可哀想という言葉をどう感じ、どう考えますか。

NO.107(213号):「口文字と意思伝達装置」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 口文字とは、口の形や瞬きなどその人のしやすい合図により、伝えたい言葉を表現してそれを読み取るコミュニケーション手段です。例えば私の場合は、伝えたい言葉の母音(あいうえお)の形をとる、読み手が私の口の形を読み取り、読み取った段を読み上げる。 「う」であれば「うくすつぬふむゆる」と読み上げ、指定したい文字のところで私がまばたきをする。文字を声に出し私に確認する⇒確定となります。
 意思伝達装置は口文字を習得してない方にでも伝わります。しかしパソコン画面に向かって言葉を選択するので、伝えたい事は伝わりますが、何だか会話と言うよりは伝言している感じがして少し淋しいというか、味気ない感じがします。
 口文字は相手の顔を見て伝えるので会話している実感が持てます。また道具を使わずにコミュニケーションを取ることが出来るので、緊急時や災害時も安心です。

NO.106(212号):「私の会話の仕方」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 私は人工呼吸器を使用しているので声を発するとは出来ません。でも口文字と言う手段で意思の疎通をとることができ、私は喋ることができるのです。
 しかし口文字が通用しないと、たちまち私は喋れない人になってしまいます。
 時には伝わらない苛立ち、わかってもらえない孤独感に心が占領されてめげそうになることもあります、そんな時は心を落ち着けてから仕切り直しです。
 私は発信をし続けること、受け取り手はサインを見逃さずに受け取る、大切なのは決めつけないで諦めないことです。
 そうすることで、私は喋ることが出来るようになるのですから。

※口文字とは口の形や瞬きなどその人のしやすい合図により、伝えたい言葉を表現してそれを読み取るコミュニケーション手段である。


NO.105(211号):「『ありがたい』と『あたりまえ』」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 皆さん「ありがとう」の反対語をご存知でしょうか。
 私は、「ありがとう」の反対語を今まで考えたこともありませんでした。
調べてみたところ答えは「あたりまえ」でした。「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」「有難(ありがた)し」という意味です。有ることが難しい、稀である。めったにない事にめぐりあう。すなわち、奇跡ということです。
 奇跡の反対は、「当然」とか「当たり前」です。人々は、毎日起こる出来事を、当たり前だと思って過ごしています。目が見え、耳が聞こえ、手足が動くのが、あたりまえ。仕事ができることを、あたりまえ。毎朝目覚め、生きていることもあたりまえだと。誰しもが、今日と同じように、明日が繰り返されると思っています。
 こんな当たり前だと思っていることが、本当は奇跡の連続なのです。
 「あたりまえ」と考えがちな「ありがたい」に気付き、感謝する気持ちを忘れずに、「あたりまえ」である命の終わりが来る時まで、一日一日一生懸命に生きることが大切です。

NO.104(210号):「散歩」 西兼盛 鉄さん(ALS)

 新築してから2年が経ちました。
 せっかく綺麗にバリヤフリーにしたのに、車椅子に乗ってまだ散歩に出掛けた事が無いね。そのときは散歩に愛犬のゴンとチビをいっしよに連れて行く。
 ちびは水溜りが大好きで、水溜りを見たらすぐに中に入ってピチャ、ピチャとやっている。ゴンは水がかかるのが嫌で、水溜りをよけて人の後ろからついて来るだけ。
 ちなみに2匹ともトイプードルです。
かわいですよ。

NO.103(209号):「夢の海水浴で素敵な出会い」 浦崎 綾乃さん(ALS)

9月1日、美らSUNビーチで海水浴をして来ました♪
 重度の障害がある人工呼吸器ユーザーの私が海に入るために、多くの人に手伝って頂きました。
 今回は「海あしびなーSUNフェスタ2019」の事前検証会があるという事で参加しました。実行委員会の皆さんにサポートして頂き、チェアボートとカヌーを体験することができました。沖縄の美しい海に家族と一緒に入ることができて、私たち家族の素敵な思い出になりました。
 バリアフリーになっている豊崎海浜公園美らSUNビーチを、より障がい者に優しい施設でいつでもだれにでもマリン体験ができるようになるといいな!という思いから、障がい者支援に携わる者、ビーチ施設運営、観光に携わる者がそれぞれの思いや意見を取り入れて、これまで関わりを持つことが少なかった福祉と企業が力を合わせることができ、またその思いに賛同した琉球銀行グループに協賛して頂き2017年から今年で3回目の開催になります。と実行委員の方からお話を伺うこともできました。
 そんな熱い思いを持つ方々との素敵な出逢いがあった夏でした。

NO.102(208号):~エッセイ~ 「模合い」 西兼盛 鉄さん(ALS)

6月の第4日曜日、高校時代の友人達が僕の家で模合いをやると言ってくれ、嬉しかった。
 機械科から8人、建築科から8人沢山来てくれて、僕はもう声も出ないし手足も何処も動かないし、そんな僕の所に話しをしに来てくれるんですよ、もう嬉しくて! 言葉も出せないのに一人、一人、コップを持って寄ってくるんですよ。この酔っ払い共が! だけどそこが良いとこですね。
1つビックリした事があって、一人の頭が見事につるっ禿げになっている。カミソリで剃り上げたみたいに、子供が見てビックリしたはず。僕はまだ禿げてなくて、今は黒毛が白髪に変わっているだけ。そのうち黒毛が全部無くなり、全部白髪になった後に禿げるのかも。僕が元気なうちには白髪も元気かね、楽しみだね。
 ところで来年も模合に来てくれたら嬉しいな。多分スピーカーもいるはずだから大丈夫でしょう。

NO.101(207号):「出会い~同病者~」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 酒井ひとみさんとの出会いは、私の相談員がFacebookでひとみさんと繋がった事から始まります。2017年5月12日東京スカイツリーで初対面。
 初めて会う、ひとみさんは大きな車椅子に乗り人工呼吸器を装着して身体を動かす事や表情を変える事がほとんど出来ないALS患者でした。ですがヘルパーとの会話はスムーズに行われていた、口文字と言う会話法を用いたコミュニケーション方法でした。
 年齢も近くて色々と共通点が多く、初対面でしたがとても親しみを持てる素敵な方でした。病気ではあるが、ヘルパーの手を借りる事ができれば今残された機能を最大限使って色んな事をやれるし、精一 杯頑張って生きていける事が、この出会いを通じて確認出来ました。
 また、現在急速に進んでいるALS研究を詳しく知る事により、ほんのわずかな希望が持てました。
 そして、告知を受けて始めは絶望の中で闘病生活を送る、そんな時に情報を得られるか得られないかで、生き方に大きな違いが生じると思いました。

NO.100(206号):「我家の番犬ゴンとチビ」 西兼盛 鉄さん(ALS)

我家と隣の実家の間を結ぶチェーン。家内が朝早く6時には我が家の番犬、ゴンとチビを家から外に出すと、チェーンを伝わり実家の濡れ縁の上に2匹とも並んで立っている。とても寒そう震えていますよ。
 ゴンとチビはとても散歩好きで雨が降る朝は母が雨カッパをかけて出かけます、チビは水溜りが大好きで中に入ってピチャ、ピチャ遊んでいる。ゴンは後ろから水溜りをよけて附いて来るだけ。
 ちなみに2匹ともトイプードルです。かわいいですよ。

NO.099(205号):「自宅で生活を始めて一年」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 身体を動かす事が出来ず人工呼吸器を着けた私が、約半年の入院生活から自宅に戻ったのは、昨年の5月でした。
 自宅に戻るにも色々と問題がありましたが一番は夫が、医療ケアに対しての不安が大きく、私の考えとずれが出来た時は精神的に辛い時期でした。私の考えを尊重し尚且つ夫の不安にも多職種連携してサポートして頂いたおかげで無事に自宅生活を始めることが出来ました。そして今日までの一年はヘルパーとの二人三脚で家族と一緒にライフスタイルを構築してきました。
 非常時の対策をして出来る限りの自助努力をする事の大切さやトラブルが起こった時にしっかり向き合い対処して少しずつ前進してきました。
 この生活の根底にあるのが、重度訪問介護と言う制度です。
 そして私には医療ケアを行える訪問介護事業所とヘルパーが必要不可欠です。医療ケアの対応が出来る訪問介護事業所はまだまだ少なく、困っている人がいることを知って欲しい。

NO.098(204号):「飲み込み」 西兼盛 鉄さん(ALS)

 毎日朝、昼、晩、飲み込みの練習をやっています。
 指2本にティッシュペーパーを巻いて、歯ミガキを10秒ほっぺの内側で回す。
 同じやり方で歯ぐきの廻りをやる。次にべろを前に出して指2本ではさんで10秒間、手前に軽く引く。あと4か所上、下、右、左、同じ要領で軽く引っぱる。
 次は、10秒唇の外左廻り、10秒唇の外右回り。後は顔の外回り10秒、コメカミ5秒、顎5秒、ほっぺた5秒、唇5秒。口を10秒間おおきく開けたり、べろを10秒間外へ長くのばしたり、縮めたりこれを5回。
 マッサージをお願いしている訪問リハビリさん、訪問看護のスタッフさん、そして内の家内と、みんな有り難うございます。
 お陰で飲み込みが前よりずいぶん良くなっている。

NO.097(203号):「子供たちとの日々」 浦崎 綾乃さん(ALS)

私には、8歳の娘と4歳の息子がいます。
ふたりとも、健やかに成長して毎日元気を爆発させています。
 娘は、しっかり者で、私との短い会話なら口パクと口文字でコミュニケーションをとることが出来ます。今の私と出来るじゃんけん(方法は目を使い、グーは両目を閉じ、チョキは片目を閉じ、パーは両目を開ける)を考えて触れ合いを保つアイデアマン!
 息子は、やんちゃ盛りで、私の言うことはあまり聞かない。それでも諦めずにあの手この手で語り掛ける。娘に代弁してもらう事もしばしば。そんな息子にもかわいい一面がある、ベッドに寝ている私の足と足の間で寝そべったり、頬ずりをしては「ママは大人だからね~、大丈夫だよー」と、耳元でささやき私の顔の周りにおもちゃを並べて、何者からか私を守ってくれているらしい。
 そんな何でもない日々が、幸せで、どれほど大事か、だから今を大事に生きたい。

NO.096(202号):「検査入院」 西兼盛 鉄さん(ALS)

 平成26年12月25日に気管切開をしたあと、今年の5月頃から飲み込みが悪く、食事は小皿の1杯と味噌汁茶わん1杯、ひどい時には小皿の半分と茶わんの半分、体重も10キロ減り、7月に初めての検査入院。
入院後がもっとひどく、膀胱からシッコが出なくフォーリーを取付けてみてビックリ、膀胱の中から砂と泥が混じったようなのがいっぱい。でも今は完治しています。
飲み込みの方はリハビリさん、看護さんと、家内とで頭、こめかみ、あご、口、べろ、ほっぺた、唇をマッサージして貰っています。今も、朝、昼、晩、毎日3回。なかなかノドから落ちない食事、鼻から上がってくる飲み物、痛くていやですよね。
でも今は、前よりずいぶん良くなっています、元に戻るのもすぐですね。

NO.095(201号):「車イスの世界」 浦崎 綾乃さん(ALS)

 買い物に行くと娘に「ママは車イスに座っているから足が疲れなくて良いな」と言われる事があるのですが、私はその度に「自分で体を自由に動かして歩ける方がずっと楽で良いんだよ」と返事します。
 はた目から見れば楽そうに見えるのかもしれない、しかし実際は平坦な屋内ですら車イスで移動すると、思っている以上に身体が揺れるのです。
 病状の進行で全身の筋力がなくなり踏ん張ることができない身体にはそれが地味に辛かったりする、それに座りっぱなしだとお尻や首が痛くなる事もしばしば、それと人工呼吸器を装置して車イスだと目立つ目立つ!! それでも外出することで流行を知り、人との交流や社会との繋がりが持て生きている実感を得る事が出来る。
 人は実際に経験してみないと理解出来ない事も多い、だけど実際に経験出来なかったとしても考えたり、相手の心情を推し量る事が出来るのも人だと思う。ですので今度車イスの人を見かけたら少しでも関心を持って思いをはせてみてください、そこには違う世界があるはずです。

NO.094(200号):「モアイ」 西兼盛 鉄さん(ALS)

9月23日3時からモアイを開催しました。
場所は、去年新築した僕の家。
メンバーは20歳の頃から今現在61歳まで31年続いている。
モアイ仲間9人、僕もその中の1人です。

1年ぶりに顔見て楽しく、2人は酒を飲みすぎて、
ベロベロに酔っておいしかったはず。
残りの仲間はビール、僕もビール2本。
みんな盛り上がっている途中で僕の腹具合が悪くなってしまい、
そこでモアイはおしまい。

※モアイ(模合)…
 沖縄独特の親睦を兼ねた相互扶助システム。
 毎月、決まった金額を集めて、それを順番に毎月メンバーの誰かがもらうという仕組みです。


NO.093(199号):「12月は特別な月」 浦崎 綾乃さん(ALS)

気づけばもう12月ですね。皆さんは、今年初めの目標は達成できましたか?
 お陰様で、私は自宅で生活するという目標を達成する事が出来ました。
 私にとって12月は特別な月です。
2016年12月その頃は身体の異変を感じながらも日常生活を工夫して過ごしていたある日、外階段で当時2才の息子を抱いたまま後方に転倒し後頭部を5針縫い、その日以降、私から一切の匂いが無くなりました。2017年12月その頃はほぼ全介助でした。肺炎と痰詰まりにより死の淵に立たされた時、生きることを選択して気管切開をし人工呼吸器を装置しました。
 一見すると機能を失っただけに思えますが、匂いに敏感な私が寝たきり生活になっても生きやすい様に無嗅覚を得たのかもしれません。
 例えば「近くで家族が食事しても匂いにつられないので気にならない、また不快な臭いを感じないので平気に過ごせる」など。人工呼吸器を装置する事で声を失う代わりに人生を得た。と言うように物事を色んな側面から捉えられる思考の柔軟性を得られたと思います。
それでは皆さん、よいお年をお迎えください。

NO.092(198号):「今年の浜降り」 西兼盛 鉄さん(ALS)

今年の浜降りは
終ってしまいましたが、
来年、旧暦3月3日の浜降りは
チービシの神山島、ナガンヌ島へ
いって見ませんか。

神山島の桟橋を下りて、
右に行くと石がいっぱい、
そこには、シャコガイがいます。
更に砂浜を
まっすぐ1kmくらい行くと、
そこではコマガイ(ティラジャー)
10キロは取れる。

神山島船乗り場は、
安謝防波堤渡の、
丸沖渡し船と、
太陽渡し船があります。
船賃は二千五百円だと思います。
僕も行きたいな。


NO.091(197号):「からだの変化」 浦崎 綾乃さん(ALS)

自分では身動きひとつ取れなくなり、
寝たきりになる事が多くなった
ある時から、私に変化がおこった。
それは病院に入院している
時のことです

動かない身体の代わりに
聴覚が進化しました。
物音に敏感になり人の声を
聞き分ける事はもちろん、
足音で誰かも分かるようになりました。

それは実に面白い事でした、
動くことはできずとも
病室の外での出来事を
感じ取ることができるのだから。

人体は何か機能を一つ失うと、
他の残された器官の機能が
研ぎ澄まされ補おうとすることを
身をもって経験したのです。
人の体って不思議で面白いと感じた、
からだの変化でした。


NO.090(196号):「病僕の夢」 西兼盛 鉄さん(ALS)

ALSを発病して早5年余り、
今ではもう両手両足も動かなくなり
「伝の心」もマユの上にピエゾセンサーを
張り付けて操作しています。
最近飲み込みが悪いせいか、舌ばっかり噛んで、
舌から血が出るくらい毎日噛んでいます。

チキンが大好きで、ケンタッキーチキンの皮と
軟骨が大好きで、いつも強く
舌を噛んでいます。
ぼくの夢は早くIPS細胞から、
ALS使用可能の細胞と薬ができて、
大好きな沖釣りに行く事です。


NO.089(195号):「病状の進行と願い」 浦崎 綾乃さん(ALS)

約1カ月置きに自由が効かなくなっていく体。
毎日静かに進行し、それまで動かせていたはずの
体のパーツが思うように動かせなくなっていく

体と付き合いながら思う
『無事にひと月過ごせた喜びと、また一つ動かなくなる体、悲しみにも似た悔しさ』

心で叫ぶ、
これ以上は進行しないで欲しいと。
そして願わずにはいられないんだ、進行抑制や予防薬だけではなく
病状が進行した人でも完治させることのできるお薬が開発される事を…


NO.088(194号):「食べ歩き 泊港の、イユ町」 西兼盛 鉄さん(ALS)

今回外出は泊港の「※イユ町」へ、
今回に限り第3水曜日は
店舗が半分休みで、魚は、少ない
あまり良い魚が無く、貝類も少ない。
中国人と、台湾人の、観光客が多く
大型観光バスが4台、
観光バスの添乗員さんが
しっかりしていたら
もっと楽しかったはず。

僕らが食事中、側に座った中国人が
僕らのとこに少しずつ
幅寄せしながら座った。
やっぱり中国、台湾人は
たくましいですね。

食事も終り、西洲(イリジマ)
から出て新しくできた
西海岸道路を使い牧港迄帰る。
混雑も少なく、眺めもきれい
とてもいいですね。

※イユ町・・・魚町の意、沖縄方言で魚の事を「いゆ」という


NO.087(193号):「はじめまして、こんにちは!」 浦崎 綾乃さん(ALS)

私は浦崎綾乃、今年37歳です。
家族は2歳年上の夫、小学2年生の娘、4歳になる息子の4名家族です。

 私の身体に異変が起きたのは2年前の夏頃、はじめは左手での物の持ち上げにくさを感じる程度でしたが、あっという間に病は進行して昨年6月に胃ろう造設、昨年12月に気管切開、人工呼吸器装着し寝たきりとなりました。
 ALSと言う病は凄い速さで私の身体を蝕み身体を動かす自由を奪っていきました。

 幼い子供達を抱きしめる事も優しい声で話しかける事も出来なくなり、子供達の事を思うと涙が溢れない日はありません。ですが無邪気に笑う子供達、私の代わりに主夫となり慣れない家事育児に加え介護に日々悪戦苦闘しながらも支えてくれる夫のおかげで自分らしく生きていこうと思えました。


NO.086(192号):「奥武島 食べ歩き」 西兼盛 鉄さん(ALS)

(12月の第3水曜日)は外出日、
今回は奥武島へ
天ぷらが美味しいと聞いて、
看護師さん、ヘルパーさん2人、
家内と僕、五人で、出掛けました。

天ぷらは種類がいっぱい有り、
注文してから作り始める為、
アチコゥコゥ(*1)確かに美味しい、
海ブドウの天ぷら初めて食べ、
海ブドウの味はわかるが、
天ぷらの味がわからない、
けど美味しい、モズクの天ぷらも
味がわからない、豆天ぷらが
柔らかく美味しかった。

食べてる内に野良猫が、
周囲に15匹から20匹集って
天ぷらを狙っている。
危ない、早く天ぷら持って逃げろ。

来月も奥武島へ、
野良猫と同じ大きさの
番犬二匹連れて行きます。

*アチコゥコゥ(沖縄方言:熱い、ホッカホッカ)


NO.085(191号):「マイボートで沖釣り その2」 西兼盛 鉄さん(ALS)

船名Sunfrind3を売却する前は、
那覇市安謝沿岸協同組合の
スロープに陸揚げしてあり、
何時でも天気しだいで出港しました。
出港時間は6時30分~7時出港
ポイントは、風向きで決まり。

(※1)チービシ回り、前島回り、
黒島回り、渡嘉敷島回り、
座間味島回り、釣れる時は、
(※2)グルクン50匹と、グルクンを餌に
ツムブリ2~3キロ3匹とか、
赤仁ミーバイの3キロ台が
たまに釣れる、

他にタマン、シルイユゥ、
他にタコも釣れる、面白いですよ、
船上で釣った魚を刺身に
これがとっても美味い。
早くALSを直して
また沖釣りに行きたいなぁー!

(※1)那覇からケラマ諸島にかけての環礁や島の名前
(※2)沖縄の魚の方言名 グルクン(和名 タカサゴ)
  赤仁ミーバイ ハタ類(和名 スジアラ)
  タマン(和名 ハマフエフキ)
  シルイユー(和名 シロダイ)


NO.084(190号):「マイボートで沖釣り その1」 西兼盛 鉄さん(ALS)


ALSを発症する前は
沖釣りが大好きで、
プレジャーボート
(全長23フィート、エンジン140PS、
定員10人乗り、船名Sunfrindo3)
を持っており、
仕事の合間に釣りに出掛けたり、
仕事のめどがついたら、
従業員五人を連れて
釣りに出掛けたりと、
コミュニケーションをとるのに
最高でした。

ちなみに僕は型枠大工の
親父をやっており、
現場監督さんと
日曜日には良く釣りに
出かけました。
ALSを発症後、
船は売却し、
手元には在りません。


NO.083(189号):「食べ歩き…その2」 西兼盛 鉄さん(ALS)

11月の第3水曜日、
外出は糸満お魚センター
お魚センター行きのメンバーは
10月と同じで、ヘルパーさん2人と
看護師さん1人、家内と僕。

別車には父と母、
愛犬のプードル2匹も一緒だ。
台風が接近する中いざ、
現場へ到着すると天気は晴れ、
今まで4、5回天気予報は雨でも、
外出するが雨は降らず、
鉄さん晴れ男だねと
皆によく言われる。
台風接近のせいか、カキは有るが、
帆立、シャコガイ、サザエ、
アカジンミーバイ、サシミ、
台風前で食べたいのが無い、
皆さん台風前には行かない事。
ちなみに、今回も愛犬2匹は
又車酔いでした。


NO.082(188号):「食べ歩き…その1」 西兼盛 鉄さん(ALS)

今日は楽しみにしていた外出日。

ヘルパーさん2人と看護師さん1人、家内と僕。
別車には父と母、愛犬のプードル2匹も
外出するのが分かり、甘えた声でひいひい泣くので
いっしょに連れて行く。

場所は読谷村座喜味に有る友達の喫茶店。
到着後、あー失敗、場所は2階に有り、
車椅子では上れない。
愛犬のプードル2匹が車酔いしてゲロしている。

仕方が無い、読谷市街地、飛行場跡ドライブだ。
途中そば屋に入る、スープは美味しいけど、
麺が太く好みじゃない。


NO.081(187号):「久しぶりの外出」 西兼盛 鉄さん(ALS)

今年の9月の中旬頃、糸満お魚センターに、
とても楽しみにしていた外出予定が決まり行ってきました。
前回ライカムへ外出して4ヵ月ぶりになります。
糸満お魚センターには、食べ物は沢山有ります。

もちろん、先に食べるのは貝類から。
カキ、シャコガイ、帆立、海老の塩焼き、魚のあら汁、
他にもいろいろ有りますが、前より飲み込みが悪くなり、
前の半分も食べられるか?

お魚センターは、今回で5度目ですけどやっぱり
何度いっても飽きないです。
今回は、台風18号の接近で雨が心配でしたが、
午前中少し降り午後からは雨も降らず、快適な一日でした。


NO.080(186号):「自宅が完成」 西兼盛 鉄さん(ALS)

自宅が完成し2週間、
実家と向かい合わせで6メートルの
中庭に、青々とした芝生が植えてあり、
そこに愛犬のトイプードル、
名前はゴンが来て、うんこして
家内に怒られ、たたかれて
犬小屋に逃げ込む、可愛そうに。

新築の僕の居る部屋は18畳で2階まで
吹抜けで、広々としてとても気持ちがいい。
今僕が居るベッドの下に発電機用の
コンセットが設置してあり、停電時も心配ないです。

今いるベッド左に、中二階の渡り廊下の手摺には、40型のテレビが設置してあり、
足元の1階から2階までコンクリートの打ちっ放し、そこにも50型のテレビが
設置して有り、頭の方には家内の寝室、
2階も寝室、足元の方をそのまま行くと右には台所、左には玄関、
もう少し行くと右にトイレ、
突き当りは洗濯室、左隣は4畳の浴室
とても住み良い住宅です。


NO.079(185号):「看護助手は、外国人」 西兼盛 鉄さん(ALS)

利用している看護施設の理事長さんが僕の家に来て「鉄さん相談がある」、
「何ですか」と聞くと
「インドネシアの娘が居るけど、日本語も良くわかるから看護助手として入れようね」と話しが有り、
僕は「良いですよ」と。

翌日から看護師さんと一緒に来た。
日本語は良くわかるし、方言も、民謡も、僕は声が出ないのに口パクで話すとすぐわかるし、仕事が終ると
「ハイ、ヤァカイ、ヤァカイ」※
と方言でいう、とても頭が良く、ほがらかで、いいですね。

インドネシアでは看護師らしく、看護師さんの仕事もよくわかる。
去年の12月から、お産休暇中です。
少し寂しいな。

※「ハイ、ヤァカイ、ヤァカイ」
沖縄方言:「はい、お家に、お家に」家に帰ろうの意味


NO.078(184号):「親父はとこや」 西兼盛 鉄さん(ALS)

親父は、丸ボーズ専門のとこや。
僕をベッドに寝かし45度頭を上げ、バリカンで5分刈を4、5回こなし、で専門になった。

もちろん嫁も手伝って15分で終る、
うん、早い、専門になってる。
「親父、次はモヒカンカットだね」
と僕が注文付けた。

頭の真ん中から左右に2.5cm、ひたいから後ろに10cm、モヒカンの周りは、1分刈だ。
ひと月に1度は散髪だ、モヒカン回りは1分刈で、散髪が半年続いた所、モヒカンの髪の長さが6cmに伸びた、
ヘルパーさんが髪を海老のから揚げを2本並べたみたいに、
編み込んでくれた、
うん上等。食べたいぐらいだ。


NO.077(183号):「自宅を新築中」 西兼盛 鉄さん(ALS)

今の自宅は、宜野湾市にある10階建てのマンションの9階に住んでいます。
マンションのエレベーターが小さく、車椅子での出入りが3人掛りでようやく出来る狭いエレベーター。
そんなこともあり引っ越すことにしました。
新築中の自宅は、設計がバリアフリーで玄関から室内へ車椅子の出入りが1人でも楽に出来ます。
浴室はストレッチャー使用で楽に入浴が出来ます。
室内には発電機で停電時使用のコンセットが設置して有り、台風時停電しても何も怖くはありません。
怖いのは、薮蚊にかまれる事です。

NO.076(182号):「食べ歩き その2」 西兼盛 鉄さん(ALS)

味噌ラーメンが食べたくて、看護師さん2人とリハさんで、車椅子に呼吸器をぶら下げて「いざ、ライカムへ。」
 1階には、大きな水槽がありそこには、魚がいっぱい泳いでいる。その中で刺身にして美味しそうな大きな魚が2匹、よだれが出そう。
 でも、今日の目的は刺身じゃなくラーメン!
 3階に登り、目当ての味噌ラーメン探しだ、しかし目当ての味噌ラーメンが無い、仕方ない、とんこつ味の博多ラーメンを注文した。
「美味しいけど味噌ラーメンが食べたかったな。」

NO.075(181号):「食べ歩き その1」 西兼盛 鉄さん(ALS)

気管切開が終り、食べ物はほとんどの物が食べる事ができ「先生カーサ・ムーチー食べていいですか?」と聞くと「絶対だめ!」と言われました。
それから3ヵ月後、退院し自宅で少し食べたら、美味しく、何とも無くあれから2年に成りますがムーチーはまだ食べています。

退院後、僕は魚貝類が好きで、看護師さん、リハさん、ヘルパーさんといっしょに、糸満お魚センター(魚町)で、生ガキ、シャコ貝、帆立、赤貝、まぐろ大とろ、海老の串焼きを、3度同じ量美味しく頂き、4度目からは段々量も少なくなり、今では半分以下です。

皆さん、今の内に美味しいものから食べてください。


NO.074(180号):「発症後の日常生活 その2」 西兼盛 鉄さん(ALS)

平成26年12月21日緊急入院となり、23日に気管切開をする事になりました。
急いで弟がクリスマスケーキとチキンを買って来てくれました。
気管切開後ベッドに1日中寝ている為、翌朝には腰痛がひどく痛み止めを飲むとすぐ治まる、毎日その繰り返し。
看護師が体位ドレナージを施行すると関節全部痛い。リハビリの先生がマッサージする時「ん、痛いね、痛いね」と、言いながら顔はよそを向いて強くキュッと曲げ「今痛かったですか?」と、聞く。
そのおかげで今は痛みはほとんど無いです。
入院中、声が出ない為、レッツチャットで、約2ヶ月練習して、その後に意思伝達装置“伝の心”のデモ機で練習をすることになりましたが、もともとパソコン操作が出来たのでスムーズにいきました。
入院中、面白い看護師がいましたよ。
僕のお風呂が終わり病室に戻ると、看護師さんがドライヤーで頭を5秒間乾かして「もういいですか?」と、僕に聞きました。
僕は「自分でわかるでしょ」と、言ったら「手袋してるからわからん」て。「アキシャミヨーィ」。

※「アキシャミヨーィ」…沖縄方言の言い回し「あら、ま」とか「あちゃー」の様な感嘆詞


NO.073(179号):「発症後の日常生活」 西兼盛 鉄さん(ALS)

30年続いている摸合いの幹事さんが、平成24年12月の第3土曜日に25人の同級生を集めて盛大な忘年会を開催してくれました。長い事、会っていない友達も何名かいました。
その内の1人が翌年には亡くなってしまったと、友達から聞いてびっくり、人ってわからないね。

平成25年56才の5月より車椅子利用となり、訪問看護のお世話になっています。その時までは少しは歩く事が出来ました。
ヘルパーさんが自宅に昼食介助に来てくれます。僕は猫舌なのに湯気が出るぐらい熱いし、魚は温めすぎて美味しくなく。お風呂に入れる時は「僕の両わきを掴んで3歩あるいて左に回ってね」とお願いした。だけどヘルパーさんは2歩あるいて左へ回ってしまい、バランスを崩し僕は手の力が無い為、とっさに口でヘルパーさんの手をかんだら「痛い、この人かむよ」言われてしまいました。今まで普通に出来た事が出来ずとても悔しいです。
お風呂が終わり電動車いすに移り、慣れないため自宅の壁はあちら、こちら傷だらけです。
他の空き時間は、弟が机を改造したパソコン台でアパートの施工図の作図と従業員が6人居る為、指示書の作成をしていました。


NO.072(178号):「鉄の旅行記(平成26年6月四国渦潮観光旅行3日目)」 西兼盛 鉄さん(ALS)

14日の朝9時荷物をまとめて宅配便で沖縄へ、車は「しまなみ街道」へ向け出発。
道の駅「よしうみいきいき館」到着、海鮮七輪バーベキューでちょっと早めのランチタイムだ。
帆立、アワビ、サザエ、ハマグリ、タコその他海の幸いろいろ「うー美味しい」僕の大好物だ。
11時福山駅へ向け出発、レンタカーを福山駅前店に返却し、新幹線で駅員さんに車椅子を乗り降りさせる橋げたを取り付けてもらい、車椅子専用席へ。静かで早い、気持ちがいい、初めて新幹線に乗り新神戸駅へ。
感激した。
素晴らしい、新神戸駅からタクシーで三宮駅へ向かいポートライナーにて神戸空港へ。
16時55分神戸空港発、那覇空港へ。
お疲れさん各自それぞれの家に、解散、あー疲れた。

NO.071(177号):「鉄の旅行記(平成26年6月四国渦潮観光旅行2日目)」 西兼盛 鉄さん(ALS)

翌朝8時より朝食は、バイキング、美味しい。瀬戸大橋記念公園へ出発、運転手は妹だ。
瀬戸大橋の架橋工事の全貌や架橋技術などを動く模型や映像により、わかりやすく紹介しています。

施工技術の凄さ1度は見学してください。
瀬戸大橋を渡り与島パーキングエリヤから、瀬戸大橋をバックに記念撮影。
海の幸ふれあい市場へ出発、ランチタイムには有名なうどんを!と、てんぷらうどんを注文するが「う・・・口にあわない」期待はずれだ。

13時に金刀比羅宮に向けて出発、車で頂上まで行き参拝、庭園は砂利が敷き詰められ車椅子も動かない。
弟はふうふう言いながら車椅子を押してくれたが景色が素晴らしかった。

14時30分道後温泉へ向けて出発、ホテル奥道後に到着し、貸切風呂で入浴、疲れが全部取れた。
ホテル宴会場にて海の幸食べ放題飲み放題、腹いっぱい食べた。


NO.070(176号):「鉄の旅行記(平成26年6月四国渦潮観光旅行1日目)」 西兼盛 鉄さん(ALS)

僕が「渦潮が見たい」と弟に言った。その時はもう車椅子だ。姪っ子がインターネットで調べ、スケジュールを組んで家族7人で行く、四国渦潮観光旅行。

父、母、僕と家内、弟夫婦、妹、11時10分那覇空港から車椅子で飛行機内へ、スチュワーデスが途中、僕を機内専用車椅子に乗り換えて座席へ案内「優しいね、有り難う」そして神戸空港へ。
11人乗りのレンタカーを借りドライバーは弟と妹、渦潮へ向けて「さぁ出発だ。」

明石海峡大橋を渡り淡路サービスエリアにて、軽めにランチタイムをとり、淡路サービスエリアを出発し、1時間30分後、鳴門観光汽船へ到着。
車椅子に乗り、ワンダーナルト丸へ乗船、渦潮が凄い迫力で渦を巻いている。渦潮の大きさも半端じゃない「ビックリポンヤー」それからホテルへ向けて出発だ。

が、車椅子専用車じゃ無い為、車の乗り降りが大変きつい、ホテル到着だ。弟は3時間連続運転疲れたはず、お疲れさん。ホテル宴会場で夕食は、鍋しゃぶしゃぶ会席、美味しかった。


NO.069(175号):「思うままに 頭たれ 実り薄くも 稲穂なり」 松田 りつ子さん(ALS)

呼吸器装着拒否を聞き夫が勿体無いと言った。
思わぬ病を患った時、人はなぜか何も悪い事はしてないのにと言う。
歩き方を忘れていた脳は面白い。
支え支えられ、前者はないがまあいいかぁ。
「ただ居るだけでいい」有難い言葉です。
人生は修行に似ているという。
ALSにも修行の暁ってあるのかな。いずれ来るかもしれない閉ざされる冬に暖かいものを沢山取り込んでおこう。

病を気の毒と思うほどに人を見なくなるのは一般的な心情。外見は不幸に見えても内なるものは活きている。介護しながらもウォーキング、三味線、パチンコ、等々楽しんでいる夫は一流のマイヘルパー。
今は言えるよ「貴方なしでは生きていけない」と。
今の幸せがずっと続くそんな暗示にかかっている。
ALSは生きていける病。

ほんの少し過去を振り返りほんの少し未来を見てあとはひたすら今を見つめ、どんな瞬間にも生きている喜びを感じる事というターシャの言葉をたまに思い出しながら過ごしています。
これまで読んで頂き有難うございました。


NO.068(174号):「鉄の旅行記(平成25年56才4月)(豪華クルーズ船で行く屋久島旅行二日目)」 西兼盛 鉄さん(ALS)

屋久島観光バスにて、縄文杉を目指して出発、右60センチ左60センチしか空いていない、崖っぷちの、まがりくねった細い山道を大型バスは、ぐんぐん登って行く、すごい、さすがプロの運転手だ。登っている途中、野生の猿とシカを見た。
バスから途中下車、僕も、林道を歩いていると、あちら、こちら、直径1.2メートルの屋久杉が。
「ハンマヨー、ウサキーナーアル、チビラーサヨー。(あれまぁー、こんなにいっぱい、すごいなぁー)」
その後レストランで昼食後は、パシフィックビィーナスへ乗船、午後4時沖縄に向けて出港だ。

喫茶コーナーで暇つぶしに、コーヒーとショートケーキを食べる、夕食は6時30分からバイキングだ、美味しい。
ぜひ一度豪華客船で旅行して見てください、楽しいですよ。


NO.067(173号):「褒め上手に育てよう」 松田 りつ子さん(ALS)

告知を受けた時病名が分からぬ不安から解放され、症状も殆どなかったのでこれから身に起こる事も実感なくわりと冷静でした。
それからはALSについて調べたり患者に会ったり。しかしその後は症状は進み上着のボタンを掛けてもらった時は初めて涙しました。
ALSは進行が早いとはいえ今日明日どうなるというものではなく出来ない事を工夫する時間はあります。

そこで腕が駄目になった私は壁に、ブラシを貼って髪をとき、釘を打ちズボンを上げ下げし、水が飲める様コップホルダーを取り付け、又服の着脱を楽にする工夫をしたり等々。
そのつど子ども達の喝采で、豚もおだてりゃ木に登る状態です。それ故悲しい感情は影を潜め精神的な不安定期を乗り切れました。

それからALSは失い続けていく病、それは明日より今日が良い日でそれが毎日続くという事。こうして10年それなりに良き日で今に至るという事です。
それにしても子供は褒め育てるのが良い、いつかいい事がある。
人に厳しく自分に甘い私。例外はあります。


NO.066(172号):「鉄の旅行記(平成25年56才4月)」 西兼盛鉄さん(ALS)

(豪華クルーズ船で行く屋久島旅行 1日目)
妹が「兄貴、歩けるうちに家族旅行に行こう」といい出し、段取りは全部妹が、父・母・僕と家内、弟夫婦・妹夫婦・姪っ子、家族11人で豪華型クルーズ船、パシフィックビィーナス、全長183.4メートル、全幅25メートル、乗客員数620人、乗組員220人で、4月19日の4時に那覇港を後に屋久島へ向けて出港。

6時30分からレストランでバイキングでの夕食を、美味しい、夜食も有る、そばかラーメン、24時間コーヒーとショートケーキは食べ放題、ダンスホールに弟と2人で行き、久しぶりに踊り20代を思い出した。映画館、プール、カラオケ、マジックショーでは観客100人ほどいた「面白い」他の遊技場いろいろ全部無料、カジノは有料。

船の操舵室見学、凄い装備がいっぱい有る、それから僕は客船の中をゆっくり歩いて全部回って見ました「ホテル並だ、凄い。」 翌朝屋久島到着、桟橋に動くリゾートホテルが接岸、6時30分よりバイキングでの朝食「おぅ美味しい」

11月号へ続く


NO.065(171号):「思い溢れて」 松田 りつ子さん(ALS)

38度の熱が出たのでクーラーを点けて対応した時のことです。
暫くすると身体が暑くなってきたので上掛けを取ってもらいました。
それで終っておけばいいのですが多分暑いだろうと思ってのこと、温度設定も低めに変えありました。
冷えの利いたクーラーの中掛布なしでは次第に寒さが身にしみていきます。
それから暫くして寒いからと上掛けをしてもらったのですが今度もそこで終っておけばよかったのです。ところが寒いだろうとの思いだと思いますクーラーを消してありました。
クーラーもなく上掛けをしているとやはり暑くなってくるものです。
また暑いといえば寒い目にあいそうなので、パソコンを立ち上げ環境制御装置で自分でクーラーをつける事にしました。
これらは余計な事までして!
とは決して思っていません。
思い溢れて追加サービスを施してくれたのだと思いやりを感じています。
そこでですが頼んだこと以外、余計な事はしないで。

NO.064(170号):「鉄の旅行記(同級生摸合い旅行)5月号続き」 西兼盛 鉄さん(ALS)

大型観光バスを2日間10人で貸切状態、バスガイドのモデル並みの綺麗なねーちゃん、身長は175センチ、名前は「りかこ」身長がでかく「でかこ」とは呼ばないでくださいと自分で言いました。
湯布院温泉に到着し、長歩きが出来ない為、車椅子も初めて乗り、温泉に皆で入り背中も流してもらいました。
その日の夕食は九州のブランド牛と、その他、いろいろ美味しくいただきました。
3日目の朝食は、バイキングだ、うどんが美味しかった。
12人乗りの小型バスで阿蘇山へ出発だ、途中の山々左右全部牧場と牛、阿蘇山の駐車場から噴火口まで砂利道で上り坂を5人で押してくれて、楽チンでした。車椅子を押してくれた、5人は息切れをして「アキシャミヨーナー」と言っていました。風向きによって硫黄の臭いがした。
福岡空港へ向けて出発途中ランチタイム、うな丼、う、美味い。
さぁ沖縄へ出発だー。

NO.063(169号):「主治医の言葉」 松田 りつ子さん(ALS)

ある時主治医が「また一人自分の言葉に踊らされた(それでいいのだ)人がいる」と話してくれた。
その踊らされた一人の私は「輝いて生きてください」といって頂きその言葉が生きていくテーマになっています。もう一人の方は「貴方がやってきたことが試される」と言われ彼女のテーマになったかもしれません。

また先生はこうも話されました。「最後まで責任を持つ覚悟でやっている」と。自分の言葉に影響受けた人の生き方を見守っていくという意味かと受け取ったが、それは生きることを後押ししてくれているようで私達の大きな励みになります。

巡り合った医師によってその後を大きく分ける場合があるかもしれないこの病は、希望がないと告げられれば人工呼吸器装着を躊躇し、生きることを前向きに語ってくれたら希望も生まれる。ALSでも人生を諦めない気持ちをもらえる先生に出会える確率
たぶん…ALSに当たる確率よりは高い。


NO.062(168号):「みなさん、初めまして!」 西兼盛 鉄さん(ALS)

こんにちは、私は西兼盛鉄と申します。生まれは八重山竹富島、昭和32年11月22日生、 今年で58歳になりました。

27歳の時2級建築士の免許を取り、それから型枠大工の見習いを始め、29年間型枠大工の仕事をやっていました。
54歳の7月ごろから筋力の低下を感じ、平成24年55歳の4月沖縄病院で検査入院、その2週間後ALSと診断されましたが、筋力が無いだけでALSの実感は無く、1週間後父、母、僕と家内、妹、弟とALSのビデオを見ました。あ、世の中終りだ、皆で居酒屋に行き、これからの事を話会い楽しくビールを飲みました。
その年6月に30年つづいている、同級生の摸合いの幹事さんが「鉄が歩ける内に皆で旅行に行こう」の一言で、12人の内10人で2泊3日の九州旅行へ行きました。

(7月号に続く)


NO.061(167号):「コーヒー一杯の夢」 松田 りつ子さん(ALS)

「新年の願い今年もコーヒーが飲めます様に、それはとてつもなく大きな事か、微々たる事なのか」と書き記した。
程なくしてその願いが叶わぬ日がやってきました。
食事はとれなくなっていたので口から味わえるのは好きなコーヒーだけです。ストローで飲むのだが唇に力はなく吸う力もありません。
その日は何度か試したがだめで、もう口からの飲食は全て終わると目を閉じ気持ちを整理しました。
そして最後にもう一度挑戦してみようと思い、すぐ諦めるコーヒーカップを持つ夫を横目に、意地で吸い続けたら少しずつ口の中に入っていきます。
もう冷たくなっており時間をかけて頂くも、もはや風前の灯。
という事で飲み続ける事は私達にはとてつもなく大きな事です。
だがあらゆるものと決別してきた今それは些細な事かもしれません。
コーヒ一杯の夢は夢の中で叶えませう。

NO.060(166号):「ものは受けとめよう」 松田 りつ子さん(ALS)

常人はえてして予期しない不幸が身に起きた時、なんで自分がと思うでしょう。
私もそんな思いがなかったわけではないが、それより思うのです。

眉毛が薄い私は洗顔のたび眉を書くのが面倒で眉墨をしました。
またあまりの字の下手さからワープロを習うつもりが、どうせ習うならパソコンがいいと進められ習うことにしたのです。
保険は高度障害保障タイプにしました。これは身体に異常を感じ始めた時すぐに加入しました。
また発症前引っ越した先は車いすがゆったり通れる環境だった。

このようなことから何故私が、と思うよりも
眉墨をした事、パソコンを習った事、高度障害保険に加入した事、引っ越した事、加えて言えば改修工事から細かな事をもこなし、療養環境を整える事に長ける夫だった事まで、このALSという病に備えてのことだったのかと思ったりする。
そう考えると面白い。


NO.059(165号):「みなさん初めまして!」 松田 りつ子さん(ALS)

私はALSを発症して10年、現在は全身の筋肉が委縮して寝たきり、呼吸は呼吸器を装着し機械に任せ、食事は造設した胃婁から経官栄養を流し、意思疎通はパソコンその他の方法でとっています。
つまり要24時間見守りの身です。
さてこんな患者の面倒を見て介護してくれているのはわが夫。
同い年の二人がいつの間にか世間で言われる老老介護になりました。
とはいえごたぶんに洩れず老人になったという意識がないのもまた世の常です。

ただ会話は特殊で一文字ずつ繋いでいくので記憶力が必要です。
それを夫は想定内の話はスムーズでも想定外だと戸惑ったりしています。
また私達に必要不可欠なのがパソコン。
フリーズした時指先で軽くチョンとすれば直るのだが武骨な手では難しそう。
それらの歳の壁は高い。
でもよい点もある。介護は慎重丁寧安全にやってくれる。
君ボケたもうことなかれ。

事務局より

今月よりこのコーナーを松田さんを含め、月替りで複数の方に担当して頂きます。これまでと違うフレッシュなエッセイにご期待ください。


NO.058(164号):最終回~ 「最後のエッセイ」 諸喜田 美智代さん(ALS)

私の今の体調は体がだるく、早く楽になりたいと思うほどきつい。くいしばりもひどく毎日思いきり舌を噛んでは出血を繰り返している。

目の動きも悪くなり、文字板を使うのも難しくなった。
それでもエッセイは続けようと、一文字一文字時間をかけて頭の中の文章を伝え、それを娘がノートに書き留め上手に構成、編集し仕上げてきた。
最近は、目を動かす事すら難しい時が多くなり、思いがすぐに伝えられない辛さ、思い違いを訂正出来ない生活は大変。
5年間毎月書き続けたエッセイを今月で最後にしたい。
一緒にやってきた娘編集長に感謝。

このような場を提供してくれたアンビシャス、支えてくれたたくさんの方々、いままで応援してくれた皆さん、本当にありがとう。

アンビシャスより

5年間大変お世話になりました。楽しみも苦しみも諸喜田さんの生の声に触れることができたエッセイでした。残念としか言えないのですが、本当にお疲れ様でした。
また、遊びに行きますので、これからも宜しくお願い致します。
照喜名 通


NO.057(163号):「エッセイ集の贈呈式」 諸喜田 美智代さん(ALS)

エッセイ集を村長へ私から直接渡したいと保健師に相談したら、立派な贈呈式を準備してくれた。
会場となった今帰仁村保健センターには村長のほか、名護市の保健師と、役場の職員が集まってくれた。村長は挨拶の中で、エッセイ集は多くの人に読んでもらえるように村立図書館に置いておくと言ってくれた。
意思伝達装置レッツチャット、視線入力装置マイトビー、入院時コミュニケーション支援事業ありがとう。これらを利用出来たのも市町村からの支援があってのこと。特にマイトビーのおかげで去年保健所の研修会に参加し発表する事が出来た。
この場を設けてもらった目的は、村長にお礼を言いたいだけではなく、ALSの患者の現実を地域の人に見てほしいとの思いもあった。参加者の皆さん、まばたきせずに皆さんの事を見渡している私にビックリしたでしょう。目のまわりの筋肉が萎縮してまばたきが出来ないのもALSのひとつの症状なんです。

与那嶺村長、忙しいなか一住民のわがままに付き合ってくれてありがとう。
これからも支援よろしくお願いします。


NO.056(162号):「家族会に感謝」 諸喜田 美智代さん(ALS)

先日娘が患者家族の集まりに参加した。帰ってきた娘は嬉しそうにそこでの報告をしてくれた。顔を見てほっとした。
その日の前日、娘とのやりとりの中でかっとなり、ひどい言葉を言ってしまった。
これまでの娘の介護の苦労を否定するような事だ。その後謝ったが、ずっと気になっていた。でも帰ってきて楽しそうに話す様子を見て心のわだかまりが溶けた。
患者家族会は、その病気の当事者、家族、遺族、同じような経験をしてきて、お互いの悩みを理解できるので、娘の落ち込んでいる気持ちも前向きにしてくれるようだ。
明るい方が多く、笑いも尽きないようで、必ず面白エピソードを持って帰ってきて話をしてくれる。辛い事ばかりじゃない、悩みも笑顔に変えてくれる患者会の存在はとても大きい。そんな患者家族会に感謝。

NO.055(161号):「レスパイト入院」 諸喜田 美智代さん(ALS)

レスパイトとは休息、息抜き、休養などの意味で、レスパイト入院とは、在宅介護をしている家族が休息を取れるよう、一時的に介護の代替を行う医療サービスの事とある。
今回初めて沖縄病院にレスパイト入院をした。普段使っているものはすべて持参、エアーマットも自宅と同じものをと、福祉用具担当の方も一緒に病院に同行し、準備してくれた。また呼吸器管理会社の担当の方も来てくれ、病院の看護師に私の呼吸器について細かく説明してくれた。
看護師から今の体の状態を聞かれ、唯一動く目の動きが悪くなり会話するのが難しくなったと伝えると、作業療法士から最新のコミュニケーションツールの紹介があったり、食いしばりの症状がひどいと話すと歯科衛生士さんを呼んでくれ、口腔ケアマッサージを教えてくれたり、改善出来る良い方法を見つけようと色々提案してくれた。諏訪園先生もわざわざ会いに来てくれ話してくれた言葉は、もう出来ないと諦める事が多くなっていた私も娘もハッと気づかされ、まだまだこれからと奮い立たせる気持ちと元気を貰い、涙が出た。

今回のレスパイトは、娘の介護負担を軽くする為、無理なく在宅介護を続けられるようにとの思いからだ。初めてのレスパイト、自宅と病院との違いに戸惑う所もあったが、気になる所はしっかり話し合いをして、今後も在宅介護を長く続けられるように、上手に利用して行きたい。


NO.054(160号):「骨密度」 諸喜田 美智代さん(ALS)

私の右腕には装具が固定されている。4月に骨折してまだ経過観察中だ。
通院中の病院での検査の結果、骨密度がとても低いことがわかった。呼吸器をつけて3年半、外に出ることは少なくなり、ほとんどベッド上の生活を送ってきたから無理はない。体を動かす事が少なくなれば骨密度が低くなる一因となるだろう。
私の場合、清拭中強い力で横向きにさせられ、下になった右手が体の重さで押されて骨折した。私のような痛い思いは誰もしてほしくない。
特に寝たきりの人は骨密度が低下し骨がもろくなっている可能性があるという事を常に頭に置いて介護にあたってくれたらと思う。

NO.053(159号):「笑顔の秘密」 諸喜田 美智代さん(ALS)

「保健師のあなたがやってきたことが試される」
ALSを疑い受診した病院で担当医師から言われた言葉だ。

厳しい言葉に私は戸惑った。これから難病と闘っていかなければならないのにこの言葉と、いろんな思いが頭をよぎり不安で押しつぶされそうになった。無我夢中で車を走らせ着いたのはK先生の病院だった。
K先生は、私が難病を担当していた時、患者支援で良くお世話になった先生だ。連絡もせず突然行ったのに、先生は忙しいなか時間を作って私の話を聞いてくれた。聞き終えて言った。
「確定診断が出たら僕が外来でみるから」
その言葉に胸のつかえがとれた。この事が今の私の心の支えになっている。それを知っている娘は、私のくいしばりがひどく顔が強張っている時、先生の名前をつぶやく。それを聞いた私は頬の筋肉が緩んで笑顔になってしまう。先生の名前を聞くと必ず笑顔になる私を見て娘はたびたび先生の名前を出してくる。

K先生、風邪を引いてないのにくしゃみが出ることはありませんか?(笑)


NO.052(158号):「今月もなんとか…」 諸喜田 美智代さん(ALS)

平成23年2月から毎月書いてきたエッセイがひとつにまとめられ、一冊の冊子になった。編集に関わったみなさんありがとう。
今までのエッセイを一冊の本にしたいという私のエッセイを書く目標がほぼ達成された。
ここらへんで書くのを辞めたいと思ったが、文章の構成を担当している娘編集長がそれを許してくれない。多くの人がエッセイを楽しみにしてくれているという事も知っている。今月で終わりというわけにはいかない。まとめとして書きたいことがまだ残っている。
四月に腕を骨折後、体力と気力が一気に低下し、目の動きもさらに悪くなり、想いをつたえるのが難しい。筋肉が萎縮し、その代わり脂肪がお腹周りに溜まり、今までにないメタボ体型になっている。それと病気の進行とで体はとても重い。だが体が続くかぎり頑張りたい。

NO.051(157号):「支えてくれたみなさんありがとう」 諸喜田 美智代さん(ALS)

私がエッセイを本誌に投稿し出したのは、平成23年2月号からだ。
初めは病気の受け止めに揺れ動く心の葛藤を、後半は受けているサービスについて書いた。あえて身の回りの狭い範囲の事をテーマに選んだ。1人の患者の生き方をまわりの人に知って欲しかったからだ。
思いの伝わらない辛さと娘の介護負担を考えると、人工呼吸器を付けた事を何度も後悔した。でもエッセイを書くことによって、後ろ向きになる気持ちも前向きに切り替えられた。多くの友人たちから、エッセイを楽しみにしているとのメッセージをもらった。
それは大きな励みとなりここまで続けることが出来た。支えてくれた皆さんありがとう。
4月に清拭中に右腕を骨折し、今は病気の辛さと骨折の痛みと戦っている。体はとてもきついが、力の続く限り頑張りたい。
エッセイも今後は少し外にも目を向けて書きたいと思う。

NO.050(156号):「楽しい時間」 諸喜田 美智代さん(ALS)

「おばあちゃんおはようございます」孫娘があいさつに来た。なまりのないきれいな日本語だ。アメリカに住む娘家族が一年ぶりに帰ってきた。孫達の泣き声や足音で家の中が一気ににぎやかになった。
孫は2人、上の子は女の子で4歳、下の子は男の子で2歳。孫娘は人なつっこく、まわりを笑顔にしてくれる。絵を描く事が大好きで私の部屋に入ってきて楽しそうに絵を描いている。 部屋に飾ってある、友人から送られた風景画の絵を真似て木の絵を描いていた。特徴を捉えうまく描いていた。私は壁に落書きされたらどうしようかとハラハラしていたが、その心配をよそに上手に用紙いっぱいに描いていた。
その孫娘が選んだ私へのお土産は、なんとアルマジロのぬいぐるみだった。聞くとテキサスでアルマジロは特別な存在らしいが、なかなか見ないぬいぐるみにビックリした。しかし彼女は、可愛いでしょう?と言いたげにニコニコして私の横にそれを置いた。
下の男の子は人見知りがひどくママ以外抱っこされない。去年は夫の腕の中で眠っていたのに、触ろうものなら「ママ!」と叫びながら逃げるので、いつも夫と追いかけっこだ。一週間も経つと、自分で私の部屋にも入ってきた。

アメリカに帰る日、パパから投げキッスしてと言われて、照れながらしてくれた。嬉しかった。
ここで一句。
「おばあちゃん 孫の笑顔に 癒やされる」
また会えるまでおばあちゃん頑張るよー!


NO.049(155号):「歯科の訪問診療」 諸喜田 美智代さん(ALS)

すごい力だ!
私の口の中を見ようと指を入れたとたん、私は先生の指を思い切り噛んでしまった。
病気の症状は人それぞれ違う。
私の場合、くいしばりがとてもひどく口の中は傷だらけだ。毎日舌を噛んで出血してしまう。なにか改善出来る事はないかと色々調べていた時、患者会の仲間から口腔ケアと顔のマッサージが受けれる訪問歯科診療の話を聞いて、私も利用出来たらと思っていた。今月から隣町の歯医者さんの訪問歯科診療を週一回受けることが出来るようになった。先生のアドバイスを得ながら少しでもくいしばりが良くなることを願う。
当分は先生と私の力くらべになりそうだ。(笑)

NO.048(154号):「身も心も…」 諸喜田 美智代さん(ALS)

エッセイを書く私は週一回訪問リハビリを受けている。担当のAさんは私の体調にあわせてリハビリをしてくれる。彼女のソフトタッチの手の動きはとても心地よく、辛くても頑張ろうという気持ちにさせてくれる。
その彼女がある日、満開の桜の枝を持ってきた。勤務先の中庭から切ってきたとの事。
もちろん許可を得てきたそうだが、自由に外に出れない私のために持ってきてくれた。
桜の花のおかげで部屋の中がぱっと明るくなった。
そこで一句。
“リハビリで身も心も桜色”
夫がその桜をインスタントカメラで写真を撮っていた。(久しぶりにインスタントカメラ見たなぁ~)

NO.047(153号):「今年もよろしく」 諸喜田 美智代さん(ALS)

玄関に飾るお正月用の花を夫に頼んだ。
正月らしく華やかで綺麗な花を買ってきた。
娘と「お父さんなかなかやるね」と話すが、よくよく見たら造花の盛り合わせだった。
あぜん。
しかも買ってきた本人、全く気づかず。
それ見て笑いが止まらなくなった。
ここで一句。
“きれいだね よくよく見たら造花だし”
仕事していた頃、生け花を習っていた私には造花を受け入れる事が出来ないため、もう一度頼んで生花を買ってきてもらった。

こんな家族ですが、今年も支援よろしくお願いします。


NO.046(152号):「ありがとう」 諸喜田 美智代さん(ALS)

私の家に実習に来た看護学生が私の部屋を見渡して言った。
「愛が詰まった部屋だね」なんと感性が豊かな学生さんだろう。
私の部屋にはたくさんの写真が貼られている。ベッドの正面にはアメリカに住む孫達の写真が、左側には友人が送ってくれた花の写真と、5月の誕生日に保健師の後輩達から送られたたくさんのメッセージが書きこまれたボードが飾られている。
もうすぐクリスマスだ。
娘が今年もクリスマスの飾り付けをしてくれた。
孫達の写真の横にサンタさんからのプレゼントを入れる大きな靴下が掛けてある。
おばあちゃんは何をサンタさんにお願いしようかな~
えっ?
おばあちゃんにもプレゼントがあるかって?
あるさ~!
おばあちゃんは歩けないから赤ちゃんと同じ、お肌もモチモチだねって言われてるからね、プレゼントが楽しみよ(^^)♪

今年も多くの人に支えられてきました。
皆さんありがとう。
来年もよろしくお願いします。


NO.045(151号):「こんにちわ いかがですか?」 諸喜田 美智代さん(ALS)

「こんにちわ いかがですか?」 優しい笑みを浮かべてO先生が入ってきた。O先生は私の訪問診療医だ。毎月二回診察に来てくれる。
なんでも気軽に相談でき、私には頼りになる先生だ。胃ろうとカニューレの交換も自宅だ。交換時の手さばきはスピーディーで正確だ。ほとんど苦しさは感じにくい。

2年前、心臓の動悸が激しくなり精密検査のため3週間入院した事があった。検査の結果異常なしだったが動悸がなかなか良くならず、退院がのびのびになっていた。
その時の担当医は私にこう告げた。
「あなたがこの部屋を独占していると、急患を中部まで送らないといけなくなるから早くよその病院に移ってくれ、 胸のどきどきは、この病気の症状として付き合っていくしかないね。」
私はこの言葉がトラウマとなり、病院に足がむかなくなった。もっとも私は寝たきりなので足がむかないのは当然だが(笑)。

一ヶ月前台風19号が近づくさなか、風邪をひき、体調を崩した。本来なら入院しないといけないのを私の思いを受けとめて先生は在宅で治療してくれた。目だけしか動かない寝たきりの私を1人の人間として扱ってくれるのが嬉しかった。訪問看護師との連携もよく取れている。O先生に最後まで在宅で診てもらうつもりだ。O先生よろしくお願いしますね。

なんでも気軽に相談できるO先生と訪問看護師にターミナルケアまでお願いするつもりだ。
ちなみに動悸はO先生の薬の調整でぴたりとやんだ。


NO.044(150号):「エッセイ10月号研修会がもたらしたもの」 諸喜田 美智代さん(ALS)

 9月4日に行われた北部保健所主催の在宅療養支援者研修会に参加して、私自身達成感と生きる意欲を貰った。体のきつさや娘の介護負担を想うと早く楽になりたいと思っていたところ、下記の事があったからだ。

1、金城妙子先生から電話があったこと
 金城先生とは、私達多くの保健師を育ててくれた方で、御歳が100歳を超えている。
 私の病気の事は仲間の保健師から聞いたのだろう。わざわざ電話をかけてきてくれたことに涙がでるほど嬉しかった。先生ありがとう。
2、恩納村のかつての仲間が研修会に参加していた事
県と市町村の人事交流事業で私は2年間恩納村で勤務していた。
その時の仲間がわざわざ来てくれた事だ。あの頃から10年以上経つのに忘れないでいてくれた事が嬉しかった。
 後輩だけでもなく、これまでお世話になった人達から期待されている事を感じて…私にはまだまだやらなければいけない事がたくさんある。早く楽になりたいと言っている場合ではない。がんばろう!


NO.043(149号):「生涯保健師」 諸喜田 美智代さん(ALS)

保健所から在宅療養者支援者研修会で、病気の受け止め方、支援者に期待する事などについて、当事者の立場から話してほしいと依頼があった。
 私の報告のあとは、神経難病専門医の講話を予定しているとの事。私は迷わずOKした。これをきっかけに外へ出られること、病気に対する思いを聴いてもらえること、マイトビーを使っているところを見てもらいたい事がその理由だ。しかし私が外に出るには多くの人と物が必要だ。私が楽にいられるようにと事業所と保健所の連携で会場にベッドが用意された。
娘、訪問看護師、ヘルパーに付き添われて保健所に着いてビックリ! 「ありがとう 諸喜田美智代先輩」と書いたうちわを持って、玄関に横一例に並んだ歓迎ぶりにじーんときた。
 会場には支援者のほかに保健師も多く参加していた。私の原稿は、始めの部分をマイトビーに、 残りは娘に読んでもらった。研修会終了後、私のまわりに後輩の保健師達が集まってきた。
 私は病気になる前、退職後やりたい事として病気で悩む人達の交流出来る場所を作りたかった。が自分自身も難病となり、これを実現できなかった。その事を知ってる娘は、今日私の周りに集まる保健師達を見て、「お母さんはまだまだ仕事がたくさん、後輩育成に忙しくなるね!今回のエッセイのタイトルも“生涯保健師”にしたら?」
 さすがわが娘!そのタイトル貰った~(^o^)

NO.042(148号):「通行止め?」 諸喜田 美智代さん(ALS)

「通行止めになってるみたい。工事中かね~」
 口の中を吸引しながらヘルパーのKさんが笑いながら言った。
 くいしばりがひどくなり口が開けにくく吸引もやりにくくなってきた。さらに舌の萎縮も進んで全く動かなくなり、口の中でべたっと張り付いた状態だ。
 くいしばるたびに舌のへりや下の歯ぐきを傷つけ出血。口の中は傷だらけだ。
 漢方や口の軟骨で対応しているが、間に合わない。まさに工事中状態だ。
 病気の症状は人それぞれ違う。 私にとって今一番辛いのは、くいしばりだ。
 2年前、呼吸器をつけて長期入院をした時、今後の家族の介護負担を想うと辛くて、お盆が近づくと今は亡き父と母に
「お父さんお母さん、帰る時私も一緒に連れて行って」と必死に祈ったものだ。
 今年もお盆が近づいてきた。
「お父さんお母さん、9月に保健所から大きな仕事を頼まれているので、今年は私の所に寄り道しないでまっすぐ帰ってね。それに私のまわりは今、工事中で通行止めになっているから」

NO.041(147号):「台風8号」 諸喜田 美智代さん(ALS)

 大型で非常に強い台風8号を自宅で乗り切った。最大風速50メートル、最大瞬間風速70メートルで、今まで出たことがない暴風・洪水・高潮の特別警報が出された。
 娘を含め周りから、病院へ非難入院を勧められたが、私はそれを断った。それは下記の理由からである。

 その1、夫の兄弟が暴風対策を万全にしてくれたこと。
 私の部屋のガラスが割れないように、鉄製の窓枠をとりつけてくれた。
 その2、停電に備えてアンビシャスの紹介で発電機が確保できたこと。バッテリーの充電器も準備している事。
 その3、電気関係に詳しい夫の兄が、家に泊まりこんでくれたこと。
 その4、停電時の対応について、学習会を積み重ねてきたこと。
 去年、保健師の計画で呼吸器管理会社の担当者を交え、ヘルパーを含めて何度も学習会を実施していた。

 今回の台風はアメリカでもニュースになっていたようで、テキサスに住んでいる娘からも電話があった。風は心配したほど強くはなくホッとしたが、雨が凄かった。各地で冠水の被害が続出した。幸い私の家はなんの被害もなく、停電も最長1時間だけで済んだ。
 日頃はのんきで雑な娘が停電時冷静に対応しているのが頼もしかった。台風が去った日の朝、セミの大合唱で目が覚めた。あのセミ達はどこに避難していたのでしょうか? 自宅?(笑)


NO.040(146号):「名実ともにおばあちゃんに」 諸喜田 美智代さん(ALS)

 5月14日、名実ともにおばあちゃんになった。
 朝一番に、アメリカに住む孫から電話があり、日本語で誕生日の歌のプレゼントがあった。嬉しかった。
 午後から、A事業所所長Sさんの呼びかけで、誕生会が行われた。私に関わっている二つの事業所のヘルパーや保健師、訪問看護師、ケアマネなど、約20人が忙しい時間をやりくりして集まってくれた。Sさんが考えたプログラムにそって会が進められた。私は、車椅子でリビングに移動した。開会の言葉、お父さんの挨拶、乾杯、ケーキ登場、ヘルパーさんたちによる余興はウチナーぐちラジオ体操、最後は、私のメッセージで締めくくった。
 料理は、夫の兄弟、妹が焼肉やサラダなどを差し入れてくれた。楽しい時間は、あっという間に過ぎていった。
 夕方、前年度まで担当だったS保健師さんが、たくさんの後輩からのメッセージが張られたボードを持参してやってきた。さらに、呼吸器管理会社の担当者のIさんが、夜に仕事を終えてわざわざ可愛い花束を抱えてやってきた。夢みたいと言うと、「若い男性からの花束が夢みたいに嬉しいのね」と娘。これまで誕生日をこんなに大勢の方に祝ってもらったのは、初めてである。その日は、興奮してなかなか眠れなかった。
 病気になって改めて人の心の暖かさを再認識した幸せな1日だった。みなさん、ありがとう。今後も、サポートよろしくね。

NO.039(145号):「日記」 諸喜田 美智代さん(ALS)

1日なにもしないでいるのは辛いので、去年7月から日記をつけ始めた。その日の体調や出来事などを記録している。ベッド上で過ごす毎日も、まわりのおかげでネタは尽きない。日記はまわりのみんなにも読んでもらっている。色んな事が起こるものだなと読み返してみて思う。そんな日記の一部を少し紹介したいと思う。

◯月△日(日)
 朝カーテンを閉めて清拭をしていたらお父さんが入ってきて、「カーテンを開けたらいいのに」と言った。
「だって覗かれたら困るのに」とヘルパーのTさんが答えた。「ネコがしか覗かないよ」と、お父さん。すかさずTさんが突っ込んだ。「オス猫だったら困るさぁね、諸喜田さん」(上品な顔してよく言うよ)と思い、笑いが止まらなかった。

◯月△日(土)
 いたでりつくせりで何の不満もない生活より、お父さんのグチを言って気持ちの変化があった方がいいと娘が言った。良いこと言うよ!私がお父さんにグチを言うのも体のために良い事か?だったらこれからもおおいにグチろう!お父さん、覚悟しといて!

◯月△日(土)  訪問入浴あり。スタッフの3人がそろって三つ編みをして現れた。Tさん、Nさん、K君まで!笑いが止まらなかった。マウスピースが取れた。変化に乏しい療養生活にいつも笑いを届けてくれてありがとう。
~みなさん、これからも楽しいネタの提供よろしくね~


NO.038(144号):「マイトビーのストライキ」 諸喜田 美智代さん(ALS)

マイトビーがストライキを起こして動かなくなった。
マイトビーには便利な機能がたくさん組み込まれている分、普通のパソコンより複雑である。
機能の一つにブザーがあるが、既存のブザーでは私の部屋から台所までは音は届かない。
それであらたに台所や居間で鳴るように、新しいブザー機能を取り付けた。
アンビシャスの照喜名さんに協力してもらいセット完了!良かったと思ったのも束の間、それを拒否するかのように翌日動かなくなった。マイトビーがこれ以上働くのはイヤだと言わんばかりに、文章作成機能以外は使えなくなったのだ。
沖縄には支社はない。
困った娘が東京の会社に電話をした。
すると担当者が東京から遠隔操作で状況を確認し、ものの30分ばかりで直してくれた。
コンピューターの世界ってすごい!
いまでは故障する事も恐れずメールを楽しんでいる。

NO.037(143号):「マイトビーがやってきた」 諸喜田 美智代さん(ALS)

「マイトビーを特例補装具(重度身体障害者意思伝達装置)と認め、その価格を補助します」
役場から通知が届いた。

マイトビーとは、視線で文字をひろい文章をつづったり、会話ができるパソコンだ。
まだ、沖縄ではあまり知られていない機器だ。
病気が進行し、今では動くのは目だけである。
会話や文章を書いたりするのはすべて文字板だけとなった。文字板は、相手が目の動きをうまく捉えなかったり、早とちりをしたりで思いが伝わらないことが多い。
その点、マイトビーは、自分の思いを直接つづることができるのでストレスが少ない。エッセイや日記を書くのも楽になった。
又、メールができるのもいい。 特に、アメリカにいる娘とのメールは、一番楽しみだ。
特例補装具の申請は、各市町村役場で行う。
そのとき、窓口の担当者が、申請者の生活の不便さをいかに受け止めてもらえるかが重要だ。何せ、マイトビーは、高額の機器だ。申請を認めたとしても、果たしてうまく使えるかも気になるのも当然だ。
ALSの年間の発症率は、10万人に1~2.5人といわれている。
現在、私の住む村の患者は私1人である。
重度の障害があっても、住民1人1人を大切にする行政運営がなされているわが村を誇りに思う。

窓口の担当者および関係者、そして村長さん、ありがとうございます。
更に、マイトビーの情報を寄せてくれた患者会のUさん、役場の担当者にアドバイスをしてくれた県の担当者、保健師、ケアマネージャーにも感謝します。


NO.036(142号):「桜満開~半年振りの外出~」 諸喜田 美智代さん(ALS)

桜を見に行った。半年振りの外出だ。
娘がせめてスカーフでもと頭に細いスカーフをバンダナ風に、胸元には赤いスカーフを三角に折って、おしゃれに結んでくれた。
今帰仁城跡の横を通って、八重岳に向かった。
八重岳の山頂の広場で車を降りた。
透き通るような青い空から降り注ぐやわらかい日差しが頬に心地よかった。
桜の濃いピンク色が青い空に映えてとてもきれいだった。
今回は、アメリカテキサスに住む娘家族も一緒で、記念の写真をたくさん撮った。
3歳の孫娘は、喜んではしゃぎまわっていた。

来年も、孫たちと桜の花見ができますようにと祈る気持ちを胸に抱きながら、帰路に着いた。
私が外出するには、介護タクシーをチャーターし、車椅子の準備、呼吸器、酸素ボンベ、吸引器等持参するなど道具も人手も必要だ。
さらに、超多忙な訪問看護師の日程調整も大変だ。

10分でもいいから気軽に庭に出て、草花を眺めたり愛犬クマの顔が見られたらいいな~


NO.035(141号):「初日の出」 諸喜田 美智代さん(ALS)


我が家の庭から撮った初日の出です。
娘に撮ってもらいました。
今年も仲間の皆さんが
笑顔でいられますように。
 

NO.034(140号):「帰ってくることを信じて」 諸喜田 美智代さん(ALS)

チッチッチ、ある朝裏庭から小鳥の鳴き声が聞こえた。
「あっ、あの鳥かもしれない」娘は急いで台所からパンを持ってきて裏庭の草むらにちぎってまいた。
すると一羽の小鳥がさーっと飛んできて、パンをくわえて飛び去っていった。あの鳥ではなかった。あの鳥とは去年の冬のあいだ裏庭に飛んできていた渡り鳥シロハラのことだ。ヒヨドリより少し小さく、色は灰褐色で名前の通りお腹が白い。ぷくっと膨れたお腹が愛らしい。
中国やロシアで繁殖し、冬に越冬の為に日本にやってくる。同じ鳥が同じ場所に戻ってくるとは限らないが、私は帰ってくると信じたい。
シロハラよ、早く帰ってきて。チョンチョンと草むらを移動し、パンをつっつくシロハラの動きを見ていると体の辛さも忘れてしまう。
そんなことを考えながらふと窓の外に目をやると、なんとネコがパンをたべているではないか!
「コラァー!!」

NO.033(139号):「マスクの効果は?」 諸喜田 美智代さん(ALS)

私の介護にかかわる人は、家族を含め全てマスクをしている。
ある日、二人の新しいヘルパーが派遣されてきた。二人とも若く見えた。私は20代かと思った。
しかし何日かつきあっているうちに、どうも20代ではないらしい事がわかった。
ある日二人のうちAさんがマスクをしないで私の前に現れた。やはり20代には見えなかった。
そのことを彼女に話し、二人で大笑い、そのあとから吸引などで彼女の顔が近づくたびに二人で吹き出してしまう。
私にとってマスクは感染防止だけでなく、笑うことにより顔の筋肉がほぐれ、くいしばりが良くなることがわかった。
マスクの力ってすごい(笑)

NO.032(138号):「身近な人々に支えられて」 諸喜田 美智代さん(ALS)

最大風速50M、瞬間風速70Mの台風24号が、沖縄を直撃するという予想がテレビから流れた。
娘は恐いから病院に避難入院しよう、と言った。しかし私は「家に居たい」とそれを断った。
結果的に台風は何事もなく通り過ぎていった。
台風時の停電対策は以前から保健師の協力をえて取り組んできた。
呼吸器の会社の担当者から、説明ばかりだけでなく、実際に酸素ボンベの繋ぎかたやバッテリーの交換を家族やヘルパーに対して説明会を何度も実施してきた。
また発電機やバッテリーなど関連機器も揃えている。でもガラスが割れたらどうしようと娘は心配していた。
それにたいして夫の兄弟が窓に金網を張ってくれた。
また台風で官公庁が業務停止になったにもかかわらず、A事業所が所長の送迎付きでヘルパーを派遣してくれたのにはとても嬉しかった。また電気関係に詳しい夫の兄が当日我が家に待機してくれた。

このように身近な方々に支えられて私の在宅療養は続いている。関係者に感謝。


NO.031(137号):「自分の力で文を!」 諸喜田 美智代さん(ALS)

送られてきたアンビシャス136号の私が書いたエッセイ「学生のひとこと」を読んで、?となった。
私が一番訴えたかった文章の一部が変わっていたからだ。
それは、今後も患者の立場に立った“声かけ”を忘れないでねという文だ。
自分の思いをわかってもらえるという事は、患者にとって嬉しいことだからだ。
唯一動いていた右手の親指は、スイッチも押せなくなり思いを伝えるのは、文字板のみとなった。
エッセイも文字板を使って、娘や妹に一字ずつメモしてもらっている。
それを娘が構成してメールで送ってもらっている。
いつもは送る前に確認するが、その日は確認しなかった。やはり自分の手で文章を書きたい。
今は色々なスイッチを試しているところだ。
訪問リハビリのPTさんと体のどの筋肉を使えばスイッチが動かせるか試しているところだ。
そんななか患者会の仲間からマイトビーという機械の紹介があり、業者の方に家に来てもらった。
視線で文字が選べ文章が作れる機械だ。とても便利だ。しかし価格がなんと1**万円!!!
早速機械を使って値引きは出来るかと聞いて、周りは大笑い。
あ~あ、早く自分で文章を打ちたい。

NO.030(136号):「学生のひとこと」 諸喜田 美智代さん(ALS)

呼吸器をつけて初めて外に出た。
実家までのドライブに出かけた。
二時間近くリクライニングの車椅子に乗って行ったが、ほとんど疲れは感じなかった。
 今後の外出に大きな自信につながった。
今回のドライブが実施出来たのは、学生の一言があったからだ。
『外へ連れ出したい』
北部看護学校から訪問看護に実習に来ていた学生二人の言葉である。
 それを聞いた訪問看護師は、忙しいながら車椅子や同行者など色々手配してくれた。
私も娘と「梅雨が明けたらドライブに行きたいね」と話をしていたが、人手不足で忙しく飛びまわっている訪問看護師には話を切り出せないでいた。
 学生のTさんKさん、これからも患者の立場になった看護を忘れないでね。

NO.029(135号):「至福のとき」 諸喜田 美智代さん(ALS)

ゴシゴシゴシ、シュシュシュ、訪問入浴で頭を洗ってもらっている私。ほどよい力加減がとても気持ちがいい。
全身の筋肉が萎縮して体が重く、特に体位を交換する時は歯を食いしばって全身の力を振り絞り、きつさに耐える毎日だ。そんななかでの訪問入浴の洗髪の時間は、まさに至福の時である。
「痒いところはないですか?」大粒の汗をかきながら笑顔で声をかけてくれる。入浴スタッフの声かけ、心遣いも気持ちがいい。
今は週二回の入浴だ。せめてあと一回至福の時が増えたらいいなぁ。

NO.028(134号):「停電騒動」 諸喜田 美智代さん(ALS)

 「パチッ」…部屋が真っ暗になった。停電だ。夫が吸引しようとした時だった。
部屋には、夫と介護の手伝いに来ていた妹と三人だけいた。
 夫は慌てて懐中電灯を探し回った。電灯は見えやすいテレビの横に置いてあるのに、パニックをおこしなかなか見つけられない。
やっと見つけて妹に渡し、自分は急いで酸素のくだをボンベにつなぎかえた。これでまずは一安心。私の呼吸は確保された。『あっぱれお父さん!』
 電気に詳しい夫の兄弟がすぐに駆けつけてくれた。停電しているのは我が家だけだという。兄が停電の原因探しを始めた。配線を一本ずつ確認した。すると、配電盤にヤモリが入り込んで感電してのびていた。
 まさかヤモリが原因で停電するなんて!考えてもみなかった。
 停電は2時間にもおよび、完全に回復したのは午後10時であった。

 あの時夫一人であったらどうなっていたか…何かあると、すぐ駆けつけてくれる兄や弟達に感謝!
 今回の停電直後、担当の保健師が関わっているヘルパーを対象に研修会を開いてくれた。呼吸器の管理会社の担当者とアンビシャスの照喜名さんに来てもらい、実際に酸素のくだへの取り換え、呼吸器バッテリーの交換、その他電気の確保法を指導してもらった。素早い取り組みがありがたかった。
 ちなみに停電時私はどうしていたかというと…冷静に夫の動きを見ていた。自発呼吸が少しあるのと、呼吸器もバッテリーに切り替わって10時間は大丈夫だ、という事を知っていたから冷静でいられたのだ。
停電の原因であったヤモリは災難だったが、台風シーズンを前に、停電の予行演習が出来た事にむしろ感謝すべきかも知れない。


NO.027(133号):「孫誕生!」 諸喜田 美智代さん(ALS)

アメリカにいる娘に二人目の子供が産まれた。様子を伝えようと早速動画が届いた。パパに抱かれて大きな声をあげて泣いていた。元気な男の子だ。
一緒に見ていた夫は、男の子の誕生がよっぽど嬉しかったのだろう。嬉しさのあまり、そっと涙をぬぐっていた。
故郷を離れ、仕事をしながら二人の子供を育てるのは大変だと思う。娘と子育てについて色々話が出来ないのがくやしい。体は動かなくても、せめて言葉が話せたら…と思う。
その事を知った末の娘が言った。
「言葉が話せなくても文字板や表情でお母さんの気持ちは、しっかりと伝わってる。こうやって毎日おしゃべりしてるでしょ?」と言ってくれた。娘の気持ちが嬉しかった。

今年の夏、二人の子を連れて里帰りする予定との事。早く孫に会いたいな。


NO.026(132号):「小鳥に癒されて」 諸喜田 美智代さん(ALS)

久しぶりに我が家に戻った。窓の外に目をやると、一羽の小鳥がじっとこちらを見ていた。 そしておもむろに飛び、窓まで近づいてまた元の小枝に戻っていった。まるで「おかえりなさい」と言っているようだった。

入院前に娘が毎朝パンをちぎって与えていた小鳥だ。またパンをあたえなくっちゃ。

夫や娘は、周りのサポートを受けて介護を頑張っている。私はやりたいことは色々あるが、体が思うように動かない。
でも、泣き言を言わずに前向きに病と向き合わなければ…。
あの小鳥の訪れを楽しみにしながら…。


NO.025(131号):「真珠」 諸喜田 美智代さん(ALS)

胃の中になにか入れると胸が苦しくなるので、検査入院した。
心臓のエコーなど色々な検査を受けた。そのなかに胃カメラの検査もあった。機械を病室に持ち込んで検査が行われた。

皆さんは自分の胃のなかを見たことがありますか?普通は鎮静剤を注射して眠ったまま終わってしまうものだ。私は神経が高ぶって寝ることができず、目の前に映し出される自分の胃のなかをまばたきもせず見つめていた。すると約2センチくらいの丸い物が胃の壁からぶら下がっているのが見えた。先生は何も言わなかった。なんだろう?
それはカメラのライトを受けてキラキラと光っていた。まるで真珠のように見えた。
わかった!あれは胃ろうが抜けないようにしている水の入ったバルーンだ。
私の命を繋ぐ真珠より大切なものだ。バルーンが真珠みたいに見えるように思えるという事は、まだ頑張れる力が残っているということかも。でも体のキツさは良くならず、かえって悪化するばかりだ。笑顔が消え、眉間のシワが更に深くなった。お見舞いに来てくれた友達の皆さん、笑顔が見せられなくてごめんなさい。
早く良くなって本物の真珠を身につけて出かけたいものだ。


NO.024(130号):「後悔?」 諸喜田 美智代さん(ALS)

裏庭の木々が風に吹かれてゆらゆらゆれている。時々小鳥が餌をもとめてやってくる。
また近くに住みついているのだろうか、子猫がそろりそろりと草むらを横切っていく。
室内に置かれたものは、どんなに綺麗な花でも動きがない。その点窓越しに見える景色は動きがあって見ていて楽しい。
元気な時は目にも止めなかった景色だ。

三年半前、病気の告知を受けた時、呼吸器をつけるのは当たり前と思って去年、それをつけた。
たしかに呼吸は楽になった。しかし筋肉の萎縮による筋力の低下で体のきつさは 想像以上だ。家族の介護負担も考えると、この選択がよかったのか…と考えてし まうことがある。
自分の体がこれほどまでに重いとは…

これからどれくらいこのきつさと付き合っていけばいいのか、呼吸器をつけなければ良かったと思うことも何度もあった。

でも一所懸命支えてくれている家族会の方々や保健師、アンビシャス、友人など 多くの仲間がいる。

泣き言を言ってはいられない。裏庭にやってくる小鳥を見て気分をきりかえている。

頑張らなくちゃ!


NO.023(129号):「在宅療養のスタート」 諸喜田 美智代さん(ALS)

12月、やっと退院することが出来た。愛犬のクマがしっぽを振って迎えてくれた。9ヶ月ぶりのわが家だ。
玄関の横の花壇にはホウセンカの花が手入れされないまま我が物顔で咲き誇っていた。

 部屋の入り口にはクリスマスツリーが置いてあり部屋はクリスマスの飾りつけがしてあった。
忙しいなか娘がやってくれたのだ。娘の心遣いが嬉しかった。
ここでいよいよ呼吸器をつけた在宅療養が始まった。

 不思議と呼吸器を付けているという違和感はない。すっかり体の一部となったようだ。

 緊急搬送時に備えて自宅まで救急隊員に来てもらい、呼吸器などの取り外し方を訪問診療の担当医から説明してもらった。
これからは地域の方々の協力を得ながら療養を続けていかなければならない。
退院して三週間、今のところ大きなトラブルもなく過ごしている。

 しかし家族の介護負担は想像以上に重い。慣れるまでは頑張るしかない。
 退院当日、県内各保健所の保健師の皆さんから届いたという励ましのメールを集めて綴ったファイルを保健師Tさんから貰った。
 辛くなった時、それを思い出せるようにといつもベッドの横に置いてある。

みんなの心遣いに感謝。


NO.022(128号):「退院を目の前にして」 諸喜田 美智代さん(ALS)

“退院” なんと複雑な響きを持つ言葉だろう。本来なら喜ぶべきことでしょうが、私の心は複雑な思いでいっぱいだ。
これから今まで経験したこともない人工呼吸器をつけての在宅療養が待ってるからだ。

一番気になるのは夫や娘の介護負担がこれまで以上に増すことが考えられる事である。
そんな私の心配をよそに娘はこう言った。
「家に帰ったら朝に鳴く鳥の声、番犬として頑張って吠えるクマ(我が家の愛犬)の声、お父さんの三線も聞こえて賑やかだよ~」
なんと前向きな考え方なんだろう。我が娘ながら感心した。娘がこんなに介護に前向きになれたのは、家族会やアンビシャス、保健所の方々を始め多くの人の支えがあるからだ。
特に保健師のSさんは身近で気軽に相談できると一番頼りにしている。

退院後はヘルパーの派遣時間が減るという。家族の介護負担が更に増す事になる。
先月号に掲載された神戸の岡本さんは、かつて呼吸器をつけたまま1人暮らししていたという。我が山原の地域でも早くヘルパーの24時間派遣の体制が整う事を願っている。


NO.021(127号):「あらステキ」 諸喜田 美智代さん(ALS)

主治医のM先生が私の口元を見て“あらステキ”と一言。冗談とわかってはいるが、やさしい先生の語り口に私もにやり!

歯を食いしばる症状が悪化し、歯ぐきを傷つけないためにマウスピースをつけている。しかも素材の関係で鮮やかなグリーンだ。

どうみても異様に見えるそれを“ステキ”と言える先生のユーモアに脱帽!

いまだに治療法が確立されていない病と向き合いながらの長期の入院生活で、気持ちがややもすると後ろ向きになりがちである。
このような中で、先生は胃ろう交換などの処置が終わるとOKサインをだしてにっこり笑って、動かない私の手を優しくなでて出ていく。そんな穏やかで優しく、またユーモアを持ち合わせた主治医は、気持ちを切りかえる大きな力となり私にとってありがたい存在である。

私からお返しに一言…
“先生のあごのチョビヒゲもステキよ(笑)”


NO.020(126号):「一枚の写真」 諸喜田 美智代さん(ALS)

自分史を綴ったファイルに一枚の写真が貼ってある。秩父宮妃と秋篠宮妃 紀子様と一緒に写った写真である。
平成7年に参加した研修会で撮られたものだ。

それは結核看護に関する研修会で東京の結核研究所で行われた。
全国から20人の保健師が参加し、1ヶ月間行われた。

研修のハイライトは、最終日に行われる結核予防協会 総裁への研修報告会と称した茶話会である。
その年は総裁が秩父宮妃から紀子様に交代する年で茶話会にはお二人が参加し、秩父宮邸で行われた。

写真はその時撮られたものだ。
茶話会にはケーキと紅茶が出され、みんなあっという間にたいらげた。
紀子様もつられて大きなケーキをパクリ!気さくな方なんだなと親しみを覚えた。

先日、その研修会以来交流のある奈良県の友人から便りがあり、楽しかった当時の事を思い出した。
彼女は現在、難病を担当しているという。彼女を介して奈良県の患者と情報交換が出来ればいいなと思っている。


NO.019(125号):「絵手紙」 諸喜田 美智代さん(ALS)

かつての仕事上の先輩から絵手紙が届いた。千日紅(センニチコウ)の絵が描かれていた。まるで生花のようで風が吹くと葉っぱが動き出しそうだ。

今は亡き母も、千日紅が好きだった。庭には一年中その花が咲いていた。久しぶりにやさしい母の顔を思い出した。

私は幼い頃すずらんの花が好きだった。
沖縄では見ることが出来ず、一度は見てみたいと思う憧れの花だった。

初めてすずらんに出会ったのは、新婚旅行で北海道へ行った時である。想像通りの可憐な花だった。

今好きな花は太陽に向かって咲く大輪のひまわりだ。
あの鮮やかな黄色い花びらから、生きるパワーを感じるからだ。
「退院したらあちらこちらの花畑を見に行こうね」
娘は優しく語った。

N先輩、絵手紙をありがとう。
また届くのを楽しみに待ってます。


NO.018(124号):「花火見たヨ~」 諸喜田 美智代さん(ALS)

ドンヒューパッ
夜空に大輪の花が咲いた。
近くの祭り会場で打ち上げられた花火だ。
私はそれを病院の屋上で人口呼吸器をつけ車椅子に横たわったまま見学した。
かたわらでは主治医のM先生が、時々私の酸素を確認しながら花火を楽しんでいた。

入院して4カ月あまり、初めて外の空気に触れた。
体を吹き抜ける風が心地よかった。

その日の昼過ぎ担当看護師から
『花火を見に行こう! 車椅子も確保したよ!』
と声掛けがあった。少し不安ではあったが行くことにした。
この先の退院に向けてベット上で座位訓練を始めていた。車椅子に乗るいいチャンスだと思った。

夜、主治医のゴーサインで車椅子への移動が始まった。まさかこんなかたちで花火が見られるなんて思ってもみなかった。

よくQOLの向上という言葉を耳にするが、今回の花火見学がまさにそれにあたり、今後外出する時の大きな自信につながった。

背中を押してくれた主治医や看護師のみなさんどうもありがとう。


NO.017(123号):「エッセイに思いを託して」

「お母さんのエッセイがある病院でコピーされて読まれてるそうだよ」
先日行われた患者家族会から帰ってきた娘の報告である。

aさんがご主人の入院先の病院の看護師に、以前私が投稿した吸引カテーテル噛み切り事件のエッセイを読んでもらい、病状を理解して対応してほしいと頼んだそうだ。

ALSという病気を理解してほしいとエッセイに込めた思いをaさんが汲み取ってくれたと思う。

これからもALSについてわかってほしい病状や、支援体制などについて思うままに書いていこうと思う。

これが支援する側受ける側の両方の立場がわかる私の役割かもしれない。

★諸喜田 美智代さん(ALS)


NO.016(122号):「病院へのヘルパー派遣に助成を」

「お母さんのことを今日から眉間シワ子と呼ぼうね!」
体位交換中、眉間にシワを寄せ歯を食いしばって指示を出す私に娘が冷たく言いはなった。介護に疲れイライラしたなかで出た言葉である。よく思いついたものだ。

介護負担を少なくするためヘルパーを最大限活用している。入院先の病院へも派遣してもらっている。
言葉が喋れずナースコールが押せないALS患者は常に誰かが側にいることが必要である。病院へのヘルパー派遣の費用は公的サービスが適用されず、自己負担である。現在助成金の制度がある市町村は県内にはひとつもないという。
嬉しいことにわが村が最近その制度の検討を始めたそうだ。ぜひ県内の先陣をきって制度を確立してほしい。

さて、最後に娘のことに触れておきたい。
お母さんのそんな顔など見たくないと言いながら痰の吸引や寝る前の口腔ケアなどよくやってくれる。私にとって、もっとも安心できる存在である。
娘に感謝。

★諸喜田 美智代さん(ALS)


NO.015(121号):「吸引カテーテル噛み切り事件」

ピーポーピーポーピーポー…
吸引カテーテルを持続吸引中、カテーテルを噛みちぎり救急車で病院へ。
ツバを飲み込む事が出来なくなり、持続吸引をしていた時、カテーテルを噛みちぎってしまった。
夫にそれを伝えようとしたがなかなか伝わらず大パニック!!
病院でCT検査と胃カメラでカテーテルの切れ端を取ってもらった。
頭を支える筋肉が萎縮し、歯を食いしばることが多くなり歯ぎしりもひどくなった。そんななかの事件である。
ALSといえば人工呼吸器が思い浮かぶが、力が入らず歯を食いしばって頭や体を支えている辛さがあることも知ってほしい。

★諸喜田 美智代さん(ALS)


NO.014(120号):「天然ガス?」

判ってはいるが、なかなか出来ないことが多いです。
いつも追われていて、休まることが少ないです。
夜更かしするな、仕事は終わらない、腹八分で食し、コーヒーお茶はお昼まで、タバコは止めなさい、ect…
「はぁー」とため息が止まらない。
嫁さんからは、あまりにもため息が多すぎるといわれまた、ため息がでてくる。(苦笑)
ため息をすると幸せが逃げると言われるのは、周りへの配慮不足だからだと思う。エチケット。
それは「あくび」も「おなら」もいっしょだね。
あくびやため息は身体の反応ではあるが、意識的に「腹式呼吸」をゆっくりすると良いらしい。
「おなら」は、トイレに行くことをお勧めします。

★照喜名 通


NO.013(119号):「ヘルパーさんに感謝」

「来週はじめて人工呼吸器を付けたALSの患者さんの介護を担当することになった。
これからの諸喜田さんの為にも より良い介護が出来るように色々考えながら頑張ってくるね。
言葉が喋れない方の思いをしっかり受け止めて支援したいといつも考えている。」
とヘルパーのAさんが語った。
嬉しいの一言では言い表せない意味の深い言葉である。
私が在宅療養を続けられるのは、このように頼もしいヘルパーさん達のおかげである。
4月からヘルパーも一定の研修を受ければ痰の吸引が出来るようになった。多くのヘルパーに研修を受けてほしいと思う。痰の吸引はALSの患者にとって、死活問題だからである。
ヘルパーさんよろしくね!

★諸喜田 美智代(ALS)


NO.012(118号):「患者・家族会」

先日中部福祉保健所で行われた交流会に娘が参加した。介護疲れで眠い目をこすりながらの参加であった。
帰ってきて、会の内容や様子を笑顔ではなしてくれた。久しぶりに見る娘の笑顔である。

患者家族会の役割はいろいろあると思うが、私にとっては娘が笑顔を取り戻す場となっていることである。
会には同じく母親を介護している同級生もいたとのこと。

患者・家族会の活動がますます充実することを期待する。

私も忘れかけている笑顔を取り戻さなくちゃ。

★諸喜田 美智代(ALS)


NO.011(117号):「多くの仲間に支えられて」

 エッセイのコーナーを担当して1年。「何を書いてもいいよ」と言われ、軽い気持ちで引き受けたものの、漫画サザエさんのいささか先生状態が何度もあったが、何とか穴をあけずにすんだ。アンビシャスのおかげで、多くの友人から励ましの便りが届いた。その中で思いがけなく届いたN所長からのメールは涙が出るほど嬉しかった。
「陰で多くの仲間が支えていることを忘れないで」ありがたいお言葉だ。
 エッセイは、テーマも内容も視野の狭いものなっているが、書くことでややもすると後ろ向きになりがちな自分の気持ちを必死で引き戻しているというのが現実だ。
 支えてくれている多くの仲間とこのような機会を与えてくれたアンビシャスに感謝。

★諸喜田 美智代(ALS)


NO.010(116号):「『つらい』という字に『−』をくわえると・・・」

つらいという字に「−」をくわえると「幸」になる。テレビのコマーシャルの一部である。
病気が進行し、トイレへの移動も困難になり家族の介護負担も増してきた。
言葉を失い思いがうまく伝えられず唸り声をあげる私と、思いを受け止めることができず戸惑う夫。
訪問看護やヘルパーを活用しても家族の介護負担は大きい。
我が家は今まさに「辛」字状態だ。

そんな中、夫が盆栽仕立ての小菊の鉢植えを買ってきた。
花はまだ一部咲きだが、満開が楽しみだ。
その香りが「辛」の字に加える「ー」の役割を果たしてくれることを期待したい。
夫に感謝。

★諸喜田 美智代(ALS)


NO.009(115号):「娘語録」

1)部屋でヤモリを見つけた時
「ほらお母さん!友達が来てるよ。お母さんが1人で寂しそうだから遊びに来たんだね」
2)アリが足に這い上がってきているが取り払えずに喚いているとき、
「このアリよ〜間違えて登ってきたんだ~!お母さんの足は大木みたいだからね」
3)思いがうまく伝わらず涙する私に、
「泣くより笑おう!はい笑って笑って~」

これは病気が進行し、介護の負担が増したなかで娘が私に言った言葉の一部である。
ユーモアのセンスのない私にはできない発想だ。
仕事をしながらの介護で、自分の時間がない!ゆっくり寝たい!
と愚痴をいいながらも明るく声かけしてくれる娘に感謝。

★諸喜田 美智代(ALS)


NO.008(113号):「しなやかな心」

庭に大きな松の木がある。
太い幹から伸びた枝は、庭師により定期的に剪定されいい形を保っている。
ところがその幹にツタがからみついてきた。
せっかく形を整えたのに・・・
切ってしまえと思っていた。
ところが、朝のさわやかな風に吹かれてユラリユラリとしなやかに揺れるツタをみていると、不思議と心が和むのである。
せっかちで意地っ張りな私は、やってほしいことがあると矢継ぎばやに指示を出し、娘を困らせている。
そんな私にツタは、焦らず周りの支援を素直に受け入れるしなやかな心を持てと語りかけているかのようだ。
癒しを求めて出かけることが少なくなった今、朝日を浴びて輝く松の木とツタを眺めるのが私の毎朝の楽しみとなっている。

★平成23年9月20日(月) 諸喜田 美智代(ALS)


NO.007(112号):「孫と競争~その2」

アメリカから孫がやってきた。
現在11ヶ月、やっと1歩だけあんよができるようになった。
昨年、病気が進行する最中、これが最後のチャンスとアメリカ行きを決意し、生後間もない孫に会ってから10ヶ月。
髪の毛が薄くどう見ても男の子にしか見えなかったあの頃とはうってかわって、笑顔の可愛い女の子に成長していた。

“ハーフ”にはほど遠い“ウチナーンチュジラー”(沖縄人の顔)である。

あまり人見知りもせず、構音障害で言葉を失ったわたしにもにこにこ笑いかけてくる。
私の車いすにも興味があるようだ。
ならば競争しようかと車いすを動かすと、四つんばいになり必死で追いかけてくる。
さて、その勝負の結果は?・・・

孫とのふれあいは、病気の不安を忘れさせてくれる。
遠い地で暮らす孫に気軽に会うことはできないが、その分、成長の変化が楽しみでもあり、その成長は病気と向き合う上での励みにもなる。
さて、次は何の競争をしようか?
孫が日本語を、私は英語を話せる(書ける)ようになること・・・?

★平成23年8月15日(月) 諸喜田 美智代(ALS)


NO.006(111号):「“イナバウアー”でヘンシ~ン(変身)!!」


4ひきの幼虫がゆっくり家の壁をよじ登り羽化が始まった。

背中が割れ、思いっきり
”イナバウアー”の体制で殻から抜け出した。

アッ!
体勢を崩した1匹が地面に落下。
でも大丈夫。モゾモゾと草むらへ消えていった。
ドジなセミ。

ドジでもいい。
私も“イナバウアー”で生まれ変わりたい

★平成23年7月14日(木) 諸喜田 美智代(ALS)


NO.005(110号):「訪問看護」

「おはようございます」
 元気な声が玄関に響きます。訪問看護師だ。
 夫に訪問看護がどういうものなのか、どんなことをしてもらえるのかを知ってもらい、胃ろうや人工呼吸器になった時にあわてないようにと早めに訪問看護を導入することを決めた。 入浴を介助してもらいながら血圧等一般状態の確認や療養に関する相談に乗ってもらっている。 丁度、住宅改修をすすめている最中で、てすりの設置場所についてもアドバイスしてもらった。 ソフトな語り口のAさん、笑顔がすてきなBさん、時々忘れ物をする慌てん坊のCさんなど、訪問看護師さんにもいろいろ個性があり、彼女たちに会うのが楽しみであると共に、かつて支援者であった私自身が、今、直接支援を受ける立場になり、その存在がいかに重要かをも実感しているところである。
 在宅で高度な医療が必要なALS患者にとって、訪問看護はなくてはならないサービスであり、家族にとっても療養について気軽に相談できる安心できる存在である。 しかし、沖縄県看護協会の調査によると、訪問看護師の確保が難しいという現状があるという。 どこに住んでいても安心して在宅で療養できるよう、県看護協会が取り組んでいる訪問看護支援事業の充実強化に期待したい。

★諸喜田 美智代(ALS)


NO.004(109号):「歯科治療」

キューン、キューン、キリキリー
歯医者さんの器械の音である。
一般的にあまり歓迎されない音で、その音が嫌で歯医者に行くのをいやがる人も多い。

舌萎縮により口の中に食べ物が挟まるとなかなかはき出せず、痛みはないがいくつかある虫歯の進行が気になり歯医者に行くことにした。

構音障害や咀嚼障害、嚥下障害などの症状を抱えた私を受け入れてくれる歯医者はあるだろうか?
歯科治療を受けるに当たり、「かかりつけの歯科医」を持たない私はハタと困ってしまった。
障害者に理解のある歯科医院はないかと保健所に相談したところ、「障がい者歯科地域登録医院」があることを知った。一定の研修を受けて障害者を積極的に受け入れている歯科医院のことである。
その中のひとつ、O歯科で治療を受けることにした。
水が少しでものどにかかると、「ゲェー」と過剰に反応する私に、M先生は「あわてないでゆっくりいきましょうね」と私のペースにあわせて丁寧に対応してくれる。
O歯科は障害を持つ私にとって安心して治療を受けることができる場所となっている。
沖縄県歯科医師会の「障がい者地域登録医院」制度の取り組みに感謝!

★平成23年5月20日(金)作者:M.S(ALS)


NO.003(108号):「孫と競争?」

「体が重くて歩けない!」
顔をしかめる私に娘が一言。
「ミチに来てもらって競争したら?ミチもハイハイの練習ができていいんじゃない」
ミチはアメリカに住む孫娘で現在7ヶ月、まだ、ハイハイがうまくできないという。
病気が進行し、部屋の中をソロリソロリと歩く私に、娘はふざけてよく声をかけてくる。
「はい、イッチニ、イッチニ、まだ歩けるさ~」。
それには私もつい笑ってしまう。
頭では病気と前向きに向き合いたいと思いつつも、時々、気持ちが落ち込む私に、「まだ歩けるさ~」と明るく声をかけてくれる娘の言葉はありがたい。
できなくなったことを嘆くより、できることに喜びを感じ、プラス思考で病気と向き合うことが自分の気持ちを楽にし、周りの介護負担の軽減にもつながることになる。
娘の明るい対応に感謝し、孫と競争できる日を楽しみに、今日も「イッチニ、イッチニ」。

★平成23年4月19日(火)作者:M.S(ALS)


NO.002(107号):「役割を探しつつ・・・」

車庫の取り壊しをしているユンボがうなりをあげている。
玄関脇の木の下では、愛犬の”クマ”がユンボに向かってほえている。
私は、一人、居間で友人達から退職記念にもらったフォーク全集のCDを聞きながらパソコンにむかっている。
「君の行く道は果てしなく遠い・・・♪♪♪」

1年前までは支援者であった私が今は支援を受ける立場にある。
初診時、沖縄病院の担当医から言われた言葉が頭をよぎる。
「あなたが保健師としてやってきたことがこれから試される」と。
支援者と支援を受ける側の両方の立場がわかる者として、今後、どのように病気と向き合うか?

CDの曲が変わった。
「あせってみたって同じこと・・・助け合おうぜ 世の中は 気楽に行こうぜ・・♪♪」

回りの助けを素直に受け入れ、肩肘はらず、前向きに、気楽に行くのもいいかも知れない。両方の立場がわかる者としての役割を探しつつ・・・。

★平成23年1月29日(土)作者:M.S(ALS)


NO.001(106号):「人参のいちょう切り」

「明日は何にする?」
夜、寝る前に夫が私に聞く。翌日の娘の弁当のメニューだ。
「明日は、ソースカツ、ミックスベジタブル、豆腐の甘辛煮。人参は縦に切って・・・」といちょう切りの説明する。
「人参を縦に切ってそれを更に縦に切って・・・」人参を持ち出して、手真似で説明するも「わからんさ~」。
構音障害があり会話が困難な私の説明がなかなか夫に伝わらない。
二人のやり取りを聞いていた娘が部屋から出てきて、日頃、使っている簡易筆談器を取り出して絵にする。あまり上手でない絵に爆笑。
”いちょう切り”・・・料理をしている者にとってはとても簡単な事なのに、慣れない人に伝えるのは容易ではない。
左手の筋力低下で両手が使えない私に代わって、野菜を洗ったり切ったりの下ごしらえは夫の役割である。
朝が早い夫は、それらの準備をしてウォーキングに出かける。
準備された材料を使って私は弁当を作る。
これが我が家の毎朝の光景である。
出来上がった弁当を見て、娘が一言「ちゃんと切ってあるさ~」

★作者:M.S(ALS)