1. まとめ|こころの現場から

まとめ|こころの現場から

NO.101(228号):名前の不思議

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 皆さんは、電話相談をする際に自分の名前を名乗っていますか。本名でないと相談できない場所もあれば、匿名や仮名で相談をすることが可能な場所もありますが、特に電話相談では、匿名や仮名での相談を希望される場合もあります。
 自分の名前とは不思議なもので、名前を名乗ったり聞いたりすると、こころには責任が生じてきます。
 自分が相談をする場合に、相手に自分の名前を言える時には、自分が相談をした問題を自分自身で引き受けようとする覚悟があり、自分の悩みや自分自身の存在を肯定的に捉えている場合が多くあります。つまり、自分の存在や生き方に、ある意味では、自信をもっていると言ってよいでしょう。自分の名前を相談する場で出すことができる方は、心理療法の効果も出やすいとも言えます。
 一方、匿名での相談をする場合には、自分の存在や具体的な状況を明らかにしないまま相談ができるというメリットはあります。しかし、デメリットとして、自分の問題を自分自身の心でしっかりと受け止める覚悟ができにくかったり、逃げに転じてしまったり、心理療法としての効果が薄かったりする場合もあります。
 電話相談を受ける場合でも、相談を受ける自分の名前を相手に名乗ると、相手の相談をしっかりと聴くのだ、という覚悟が無意識に沸き上がります。責任が生まれるといってもよいでしょう。
 相手から相談を受ける際には「相手がとても大切に想っていて何とかしたいと思っている事柄を相談してきている」という、基本的な認識を忘れないようにしましょう。相談する人も自分の抱えている問題に責任をもち、相談される人も真剣に相談に乗り続ける姿勢の大切さを改めて考えてみてもよいかもしれません。


NO.100(227号):謝る必要のない生き方をしたい

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 わたし自身も含めて、人は「案外、自分は死なないのではないか」という気持ちで日々を生きているようにも感じます。日々の生活の中で、死という出来事を直面化せずに生きているといえます。それゆえ、「明日は当たり前のように訪れる」と思っているし、今、目の前にいる人は「明日もきっと変わりなく自分の目の前にいる」と思っているわけです。ある意味では、このように感じることは、その人のこころが健康である証拠でもあります。
 思い返してみると、わたしの大切な人は、わたしに「ごめんね」と謝ることは全くと言っていいほどなかったように思います。きっと、わたしのことをほんとうに大切な存在であると想ってくれているからこそ、わたしに対して謝る必要性が生じる事柄を、しないように全力で努力をしていたのでしょう。そして、わたしも自分の大切な人に「ごめんね」と謝ることがないように努力をしています。
 心理臨床の現場では、相手を深く傷つけたにもかかわらず「自分がやったのではなく、自分の病気がそうさせたのだ。だから許してほしい」と言う方に出会うこともあります。その方の在り方はとても悲しいと思います。
 おそらく、余命が宣告されている場合には、残りの人生で自分の大切な人にしてやれるできる限りのことを何でもしようという気持ちになると思います。人は自分の命があたかも永遠のように続くかのように錯覚をしているので、人を傷つけてしまうことがあるのです。この世に生きていることは当たり前のようですが、実はたくさんの奇跡が積み重なった結果です。日々の生活で、謝る必要のある出来事ができるだけ少なくなるように、努力をしてみると平和な世界になるかもしれません。


NO.099(226号):大切な人に、あなたは何を与えますか

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 闘病の末、回復の見込みがなく病床でケアを受ける立場になった場合にも、自分が相手に「してあげることがない」と悩むことがあります。その際には、これまでの病いを患っていなかった時の自分が相手に大したことをしていなかったとも思う気持ちも当然のように在り、これまでもこの先も相手に「何もしてあげることがない」と後ろめたさや申し訳なさや自己不全感を感じているようです。
 相手に「何かをしてあげる」ことを想定する際に、人は、「自分の身体を活用して、何かをする」ことを無意識に想定しています。だからこそ、自分の身体が動かない将来を想定し、何もしてあげられないと悲嘆するのです。相手に何かをすることは、大きな身体動作を伴って行うことだけとは限りません。病床にいても相手の話を聴くことはできます。相手にこれまでの感謝を伝えることもできますし、笑顔でいることもできます。表情がうまく動かない場合でも相手に対して慈しみを込めた瞳で訴えかけることもできます。
 そして、「何かをしてあげる」ことは自らの願望やエゴも入っており、純粋に相手を想って相手のために「何かをする」ことと少し意味合いが異なっているということにも注目していただきたいです。
 あなたの大事な人は、あなたが自分のことを褒めてくれたり、感謝をしてくれたり、笑顔を向けてくれたりするだけでも幸せを感じるのです。
 瞬間を、全力で生ききる、そのようなつもりで日々をすごしてみてはいかがでしょうか。もちろん後悔はどのような時もすると思います。しかし、その瞬間を大切に全力で生きた後には、あなたの大切な相手にとって、あなたというかけがえのない存在が与える宝物が増えているはずです。


NO.098(225号):犬好きには伝わる話

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 人はコミュニケーションをとる際に、ボディランゲージを使用する場合もありますが、多くの場合は、言語でのコミュニケーションに頼っています。だからこそ、相手が発した言葉を受け取り、うれしくなったり、自分のことをわかってもらえたと感じたり、衝撃を受けたり、傷ついたり、悲しくなったりするのです。言葉は相手とのコミュニケーションを行うために便利で優れたツールですが、人間はあまりにも言葉に頼りすぎているところがあると思います。
 相手の話を聴く際に、「傾聴する」ことが大事であることは広く社会で認識されています。ただ実際には、聴いている人が「傾聴しているつもり」であるだけで、本当の意味で傾聴していない場合もあります。
 傾聴の良い例として、犬によるアニマルセラピーが挙げられます。犬は一生懸命に話を聴いてくれる(であろう)から、犬に語り掛ける人は「傾聴してもらって」元気になります。犬は相手の話を聴く際に、相手の目をみて、全身で聴いていることを表現します。これは傾聴の一つの形です。
 また、飼っている犬の伝えたいことを知るために飼い主は、犬の状態や行動をよく観察して、犬の言いたいことを知ろうとし、それに応じます。これも傾聴した結果に生じることの一つの形です。
 お互いに傾聴しあって、相手がどのようなことを考えていて、どのようなことを想っているのかを知ろうとすることが、思いやりの溢れる人間関係をつくるために必要です。
 自分にも自信をもち、相手の存在をかけがえのない存在であると尊重し、相手に興味を向け、何を感じ何を考えているのかを思いやり、寄り添うことがすべての基本です。真の意味での傾聴につながる一歩だと思います。


NO.097(224号):相手への思いやりの醸成

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 2019年11月から始まった新型コロナウイルス感染症(COVID-19)によって大きく変化した日常と非常事態により影響を受けられた方々にこころよりお見舞い申し上げると共に、医療従事者の方々に深い敬意と感謝を申し上げます。
 COVID-19の影響もあり、例年とは大きく異なった新年になっています。
 大きく変化を遂げた生活の中で、改めて相手への思いやりの醸成の方法について考えてみたいと思います。私たちは普段何気なく生活をする中で、相手からの思いやりを受けることが当たり前のように感じてしまっていることを意識してみてください。自分が相手に問いかけた時に真摯に応じてくれること、一緒に何かをしたいと思って誘おうとした時に素直にその誘いを受け入れてくれること、自分が相談をした時に真剣に傾聴して意見を述べてくれること、衣食住の満足にとどまらず心理的に支えになってくれること、笑いかけると笑顔が返ってくること等、普段何気なく受けている温かい言動は、実はとても貴重なものです。そして、これらの思いやりの言動は、方法がわからない人が実施するには実はとても難しいようです。
 「どのような言葉がけをしてくれると嬉しい」「どのような対応をしてくれると、こころが温まる」等は、病いを抱えて生きる人が支援者への羨望を抜きにして教えたり、確かな経験の豊富な支援者が、具体的に教えたり伝えたりしていくことが必要になります。「どのようなタイミングで」「どのような口調で」「どのような表情で」「どのような力加減で」等を具体的に教えていくことが必要です。「思いやり」とは具体的にはどのような言動なのかをもう一度確認し、本年が思いやり溢れる年になりますよう祈念しております。


NO.096(223号):こころも身体も元気にする睡眠

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 睡眠が心身の健康を維持するために必要であるとは周知の事実です。しかし、私たちは睡眠の大事さを知っているつもりでも、ついつい不摂生をしたり、早寝早起きをしようと心がけてもついつい夜更かししてしまったり、してしまいます。人間だから、それもまた仕方がないことなので、責めることはできません。
 ただ、病いを抱えて生きる人の中でも、「自分は不規則な生活をしても病気が悪くならない。夜中まで起きていても大丈夫」と話している方はいらっしゃいますが、客観的に見ると、睡眠時間を確保している方の方が、同じ病いを抱えていても身体の状態は安定しているようです。
 子どもや親のために、病いを抱えていても自分が頑張らなければならない状況におかれている方もいらっしゃいますし、住んでいる地域によっては季節ごとの行事へ参加するために、どうしても遅くまで起きている必要がある場合もあります。人間だから自分の身体のためだけに生きることは難しく、自分の大切な人のために身体に負荷をかけてでも頑張らないといけないこともあります。
 そうはいっても、気力で何とかならないものが病いを抱えている身体です。自分が倒れたりせずに寛解状態を保つことは、間接的に自分の大切な人を護ることになります。やはり、睡眠時間を確保することは重要です。できたら22時までには就寝できることが理想です。そして質のよい睡眠をとるために、寝室にはこころが休まるような品を揃えましょう。意識して睡眠時間を確保することによって、昼間に受けたストレスも軽減されます。大事であると知ってはいても、ついつい疎かにされがちな睡眠時間を、改めて確保できるように見直してみてはいかがでしょうか。


NO.095(222号):それぞれのQOL

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 わたしたちには自分の置かれた環境の中でできるだけ快適に生活し幸福を求める権利があります。QOL(Quality of Life)は、一般的に人生の内容や社会的にみた生活の質を指し、どれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているかという尺度でとらえる概念です。
 皆さまもすでにQOLという概念はご存じのことと思います。すなわち、わたしたちは、QOLという概念は知っており、QOLのことを考えながら普段の生活を送っているのです。ただし、よくよく考えてみると、ひとつの「QOL」という言葉にも、それぞれのひとの人生に対しての願いや、自分の人生を生きる際に重要視していることや家族との関係等、様々な感情や想いが盛り込まれています。つまり、それぞれの「QOL」の中身はまったく別のものであるにもかかわらず一様のものとして捉えられているのです。
 ピアサポーターとして相手の話を傾聴する場合でも、どうしても自分の価値観から感覚的に判断をしてしまっていることもあることでしょう。難病が人々に生じさせる孤立感や喪失感は、ひとのこころの奥深いところまで侵食し、人生に痛みを与えます。「生きること」と「死ぬこと」に深く影響するからこそ、ひとそれぞれの人生への価値観が大きく影響するのです。
 基本的には自分にも相手にも安全で安心な場を用意し、どのように生き、どのように死ぬか、人生とは何なのかという問いに対して、「良い」「悪い」の価値観ではなく、「より佳く生きる」ことを目標とすることが必要です。そして、難病療養者もピアサポーターも専門家もお互いの立場をリスペクトしながら、かかわりを継続していくと、結果的にそれぞれのQOLが自然と向上するのではないでしょうか。


NO.094(221号):お金

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 あなたは、「お金」と聞いてどのようなことを想像しますか?
 「お金がなくても何とかなる」と思うことも人生のある一時期にはあるでしょう。しかし実際にはお金がないと生活が苦しくなり、言動が卑しくなったり愛情が薄れたり心身の健康を損ねたりします。
 歴史的にみると人間は、社会生活を協力して円滑に行い、共に生きるために「お金」という概念を作り上げましたが、長い年月を経て「お金」というモノだけが価値があると錯覚されることが多くなりました。例えば、夫を自分にお金を運んでくる存在であると認識し、あたかも夫はATMであるかのように認識し長年連れ添っている夫婦もいます。そのような夫婦の場合、夫が難病を発病した時には、妻は夫の面倒を見たくない、自分の快適な生活が大事なので、夫に早く死んでほしいと思う方もいます。また、逆に妻が不治の病いを宣告された場合に夫が同様のことを思う場合もあり、男女差はありません。
 相手の存在価値をお金の有無で判断する人の言動は、自ら相手を引き込む底なし沼のように深くドロドロと暗い感情に支配されているように感じます。また相手から自分の存在価値がお金だけであると思われている人が絶望し、生きる意味を見失うことも当然だと思います。
 本来、人間は、愛情や尊敬の念で繋がり続ける存在ですが、お金というモノで繋がれてしまう悲惨な現実もあるのです。
 ただこれはすべて本人の「生き方」「生きざま」の問題ですので、他人が口出しすることは難しいです。 改めて、今、自分が相手とどのような感情で繋がりたいのか、どのような人間関係を構築していきたいのか、どのように生きていきたいのか、ということを見つめなおしてもいいかもしれません。


NO.093(220号):各コミュニケーションツールによる関係性の変化

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 世界がコロナ禍によって変化を余儀なくされている現在、心理臨床現場の形も変化をしています。対面での相談が困難になり、電話やオンラインやメールでの相談を受けることが急増しています。同じひと同士の相談でも、相談で繋がるツールが異なる場合には、これまでとは違う関係性が醸成されます。
 電話は声や息遣いや聴こえる背景の音での繋がりになります。オンラインではパソコン・携帯の画面に映し出される、お互いが見せたいと思う姿のみが現れる2次元の映像と音声の繋がりになります。これでは身長や実際の風貌や微細な表情やにおい等が不明なままです。メールでは、画面上に現れる文章・絵文字・顔文字の使い方、送信時間のみの繋がりです。LINEではメールに少々遊びの要素が加わり、吹き出しで囲まれている文章とLINEスタンプで表現された相手の趣味・嗜好が視覚情報に含められた繋がりです。
 これらは全て、対面でのやり取りとは異なり、お互いに、見せたい部分だけ見せることが可能なツールなのです。つまりこれらの相談では、自分の想いが、例えば漏斗を通して相手に伝えられ、自分は相手から向けられた漏斗の先っぽから相手が流し込んだ想いを拝察するというこころの作業が生じるのです。相談では各々のツールの特徴を含めて解釈する必要性が生じます。
 どのツールを用いるかが、そのひとのこころの在り様を表現していると解釈することもできます。ただ、相談が長期に亘るほど様々な感情がお互いに生まれ、どちらかがひどく傷つく場合も多いです。お互いを守るためにも、どのようなコミュニケーションツールで相談をするか、双方の合意と、相談を受ける場での規範に即して相談を受けることが必要です。


NO.092(219号):ほんとうの意味で、自分らしい生き方ができるために、支援者ができること

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 心理臨床の場でお会いする方に対して、臨床心理士は相談に訪れる方が自分らしく生きることができるようなお手伝いをします。目の前にいる方が、どのような想いで生きているかについて心身をかけて傾聴し、他の誰でもなく、その方自身が自分の人生に納得し生きることができるように寄り添っていきます。
 このようにお会いをしている中で、何か命にもかかわるような人生の重大な決定をする際にも、例えば父母からこのように言われたとか、夫のことを思うととか、妻がこう言うからできない等…、自分自身の気持ちを脇に置いて、自分の親しい人の意見や想いを尊重し決定してしまうことにしばしば出会います。
 もちろん臨床心理士であるわたしは、相談に来ている目の前の人が想いを整理できるように話を進めていきます。しかし、例えば本人自身のためではなく夫のためを思って本人が決定をした場合に、それが実はそのひとらしい生き方という場合もあり、これにはサポートする側にも大きな葛藤が生じます。
 人生に正解はないので、自分の人生についての決定において、相手の意思を尊重することが、ほんとうの意味でその人らしい生き方であるならば、よいのですが…難しいです。ただ、目の前にいる方自身が心底納得する生き方を選択できるようにお会いをするのです。
 この姿勢はピアサポートにおいてもとてもたいせつです。同じ病であったり似たような境遇にあったりする場合に、必要以上に共感をし、それがピアサポーター自身の願いなのか、家族の願いなのか、相談をしてくる方の願いなのかが混同されることがあります。相手がたとえ同じ病・境遇であっても、別の人格・人間であると意識しお会いすることが肝要です。


NO.091(218号):約束 ~想いを形にすること~

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 人と人との関係は、基本的な信頼関係で成立しています。人が生まれたときから最も基本となる大事なことは、相手との信頼感です。この信頼感が基盤として機能していないと、困難が立ちはだかったときに踏ん張れなかったり、相手からの行為を被害的に受け止め攻撃的になったり、約束を守れなかったりします。
 日常生活では、様々な約束が積み重なっているといっても過言ではないでしょう。家庭でも、一緒に朝夕の食事の場面に同席することも当たり前の日常生活の一部ですが、ある意味これも約束です。風呂やトイレを使う際にもマナーがあります。家族で買い物に出かけたり旅行に行ったりする場合でも、親しき関係の中でお互いに約束がなされ実行されているといえます。家庭での生活のみならず、友人同士や職場での関係でも約束が前提となって、私たちの生活は送られています。ただ、私たち人間は勘違いをする生き物ですし、自らの記憶も都合の良いように改変していく生き物です。毎日すべての出来事を完全に覚えていては、生きてくことができないので記憶の忘却や改変がなされます。だからこそ、勘違いや言い間違いにはその人の無意識の願望が含まれるとも考えられるのですが…。
 自分が相手のことを大事に想っているとしたら、その相手との約束には誠実に対応することがたいせつです。自分が相手のことを「たいせつだ」と言葉で言うことも重要ですが、態度で示していくことも当然ながら必要です。目の前にいない時間に、相手のことをどれだけ想っているかがその約束の瞬間に現れるのですから。
 世の中が急激な変化を遂げている今、当たり前のことを丁寧に取り組むことが、こころの健康を保つための秘訣です。


NO.090(217号):COVID_19のこころへの影響を減らすために

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 世界的にコロナ禍が続いている状況のなかで、日常生活への影響が大きく出ています。COVID-19へ感染する恐怖を拭えないまま、日々の生活を送っている方が多いのではないかと拝察します。
 今は心理的トラウマが起こりうる前提条件が多く発生している時期です。予想・予測がつかないことが多い時期には、可能な限り自分の生活を予測ができる方法を使って組み立てることがたいせつです。例えば、起床時間・就寝時間を決め、食事や入浴の時間を決める。自分の身体の状態に応じたストレッチや体操を行う時間を作り、歌を歌ったり音楽を演奏したりする時間を作る(歌うのが苦手な方は聴くだけでもよいでしょう)。自分にとってたいせつな人と電話やインターネットでやり取りをする時間を決める。オンラインでのやり取りに疲弊したら手紙を書く時間を設ける等、特定の時間に特定の活動をすることを設定しておくことが、こころへの負荷を低減するために有効です。
 今何が起こっているのか情報を収集するためにニュースを見るのはよいですが、必要以上に不安になったり気分が重くなったりするような情報は取り入れないようにしましょう。ただ、厚生労働省から提示されている感染を防ぐための手立ては、強迫的に行って丁度よいくらいです。
 たいせつなのは人とのつながりです。自分が今どのような心理状態にあり、どのようなことを欲しているのかに耳を澄ませてみて、今の生活の中でどのように安全なつながりを作るかを計画してみてもよいでしょう。怒りが爆発しそうであれば、落ち着ける時間と場所を確保できるよう協力を求める、寂しいのであれば安全に接することができる方法を一緒に考える等を試みてみるのもよいでしょう。


NO.089(216号):新天地での生活に向けて

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 今の世の中の情勢は、非常に不安定で危機的です。お互いに自衛していきましょう。
 さて、この春から新しい環境ですごすことになったり、転職や就職をしたりした方は、不安と期待とが入り混じった心境でいらっしゃることでしょう。またこれから新たな環境へと移りたいと願っている方も不安があると思います。
 身体の病いを抱えているとしても、そのひとが志高く居ること、周囲の方たちに理解と協力を得ることによって、自分らしく生活することができます。
 自ら努力せず現状への不平不満を述べているだけでは何も改善しませんし、成長もしません。相手のあら捜しをして、※スケープゴートを次々と設定していく集団においては、魂がすり減っていくだけですし、成長しない集団の中で「ほんとうの意味で自分らしく生きる」とは言えない状態で生きていくことになります。しかし、努力をし続けて、自分の努力や志を正当に認め評価をしてくれる場や集団に出逢うことができると、さらに自分の力を発揮することができ、心身ともにやる気が湧き起こり、よい循環が生まれることになります。
 もちろん、新しい環境がどんなに良いものに見えても一歩踏み出すことには不安が生じますしデメリットもあります。正確な知識・事実・状況を元に適宜判断し、信頼できる方に相談をし、物理的心理的に安全な保険を用意することは必要です。十分に吟味し、一歩を踏み出すとより佳く生きることができるかもしれません。

※補足:その所属する集団において非難やいじめの対象にする者。スケープゴートを設定することによって成り立っている集団は非生産的であり望ましくないとされる。またここでいう集団とは家族という小集団も含まれる。


NO.088(215号):主語を明確にする

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 相談にのっている際や会話をしている際に、語りの内容の時系列に注意を払うと、その語っているひとのこころの在りようについて、より深く理解することができることがあります。つまり、「いま」この場で語られていることは「いつ」の出来事なのか、ということに意識を向けてみるのです。例えば、「かなり昔のこと」を「いま」ここで語っているのであれば、それだけ長い間思い続けてきたことであるとわかり、語るひとにとって忘れることのできない重要なことであると認識できます。また例えば、「昔の衝撃的なこと」を、「いま」「あたかも感じているかのように」語るのであれば、ピアサポートだけではなく専門家による治療が必要であるので、適切な相談機関に紹介することが必要になります。
 語られている内容の「主語」が誰であるかが不明瞭な場合には、自他との境界が揺らぎやすい傾向のある方なので、意思疎通に時間がかかったり、騙され被害に遭いやすかったり、依存的になる可能性が高かったりすることが想定できます。その場合には、「いまの話」では「主語が誰であるか」を適時確認しながら傾聴することが必要になります。語られたそれは「自分の感情・出来事」なのか「他人の感情・出来事」なのかを明確にすることが、そのひとが自分の人生を丁寧に歩むことのできる一助となるのです。
 元々依存的で自他の境界が曖昧なひとはいますが、そうでないひとも、ゆとりがなかったり、非常に繁忙な事態になった場合には、「主語」が不明瞭になることがあります。「主語」を明確にし、整理して語ることができる機会を得ることによって、平静さを取り戻し本来の自分らしさと強さを取り戻すことができるのです。


NO.087(214号):認める> 褒める

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 ひとは誰でも自分や自分がたいせつに感じているひとや物について褒められると、そう悪い気はしないでしょう。教育現場でも職場でも医療現場でも、「褒めて伸ばす」方針は良いものとされ、多くの方々が何とかして褒める方法をとろうと努力をしているようです。たしかに、相手の良いところを見つけること自体は「よいこと」です。しかし、だからといって誰に対しても常に褒めることは適切ではありません。
 “褒める”ことのデメリットとしては、褒めるひとと褒められるひととの間に上下関係をつけてしまうことが挙げられます。また、褒められるひとが決してそれをよしとしていない場合や、相手が自分よりもはるかに経験値が高かったり社会的な地位が高かったり年上だったりする場合には、相手に対して不愉快な思いをさせてしまったり関係が悪化したりすることもあります。相談を受けたり治療を行ったり支援をしたりする立場にあると自然と心理的に上下関係が生じているので、“褒める”行為が加わるとさらにこの心理的上下関係が強化されてしまう危険性があります。
 “褒める”よりも、相手の存在や言動を“認める”方が、お互いの人間関係を平等で良好なものにしやすいです。
 相手を認める言動をするためには、自分自身のこころのゆとりや研鑽も必要です。正しい情報や正確な知識と相手に対する配慮と謙虚さをもちながらピアサポート活動に取り組むと、お互いに高めあえる関係が醸成されていきます。相手をひとりの人間として尊重することができていれば、相手が自分の人生の中で工夫してきたことを教えていただき、そこから一緒に考えるという方法もできますし、当然相手のことを認める言動ができるからです。


NO.086(213号):平穏なこころの風景をつくろう

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 そのひとが人生を歩んできた証拠は、そのひと自身の中にある記憶や、一緒に関わってきたひとの記憶の中に存在します。
 ひとの記憶は、そのひとのこころの風景に適応するような形で書き換えられ、そのひとが穏やかに生きていくことができるように変容させられます。また、そもそも日常の生活で、ひとは自分の都合のよいように物事を認識する傾向もあります。つまり、こころの平穏を保つために記憶の変容が行われるのです。そして、それと似たような作用で記憶の忘却も生じます。忘却は認知症だけではなく、強いこころの葛藤がある状態でも生じますし、日常が凄まじく多忙な状態でも生じます。また難病等を抱えて生きることになるとそのこと自体が、それまでのそのひとのこころの風景を一変させることもあり、そこで記憶が変化したり、忘却される記憶が選択されたりすることもあります。
 忘却は、ある意味でそのひと自身を守っていることですが、対人関係に亀裂を入れたり、周囲からの信頼を失わせたりもするものです。そうならないためにも、ゆとりある生活を送るようにこころがけてみましょう。
 どのような記憶を自分がとっておきたいか、どのような記憶をずっと覚えておきたいか、辛いことがあって忘れてしまったときに思い出したい幸せな記憶はどれなのかということを改めて考え、いつでもその穏やかで嬉しく平和な記憶を取り出せるように、ノートに書いておく等の工夫をしておいてもよいでしょう。その記憶を書き出す際に、ひとりでもいいですが、誰か自分が安心できるひとと一緒に行うこともお勧めです。
 自分自身の中にあるこころの風景を、より穏やかで平和なものにしていくことができるとよいと思います。


NO.085(212号):ひととの出逢い

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 新年明けましておめでとうございます。本年が皆様にとりまして、幸多く実り豊かな年になりますよう、こころより祈念しております。
 ひととの出逢いは偶然のように見えますが、実は必然です。ただし、その出逢いをどのように活かすかは、ひとそれぞれです。そして、出逢ったひとが側にいることが自分にとって安心するのか、ホッとするのか、穏やかな気持ちになるのか、それとも苦痛に感じるのかなど、ひとによってどのような相手とピッタリくるのかは不明です。つまり、ひと同士が出逢ったからすべてが解決するのではなく、そこで何を一緒に創造するかにかかっているのです。
 相手との関係の中で創造をしていくときには、言葉だけではなく、身体で感じることや身体で表現されることにも注目をしてみるとよいでしょう。自分が相手とかかわる際に、自分は自分の力を把握しきれず受け止めきれずに倒れてしまうのか、相手が近づいてきたときに引いてしまうのか、相手にこころ開くことに抵抗があるのか、それとも相手を全面的に信頼して依存してしまうのか、一見協力しているふりをするのかなど、関係性は多種多様で、相手によって自分の言動が変化することもあるでしょう。
 また、ひとは出逢いの場面で、その場の状況やそこにある集団の影響も受けることになります。集団の力動には時に凄まじい力があるので、そこに巻き込まれているだけなのか、それとも相手との関係の中で生じてきたことなのか、自分の感覚を研ぎ澄ませて感じることも、せっかくの出逢いをよりよいものにするためには必要です。
 新年に、これまで出逢った相手と何を創造し、いかに生きるかに思いを馳せてみてもよいのではないでしょうか。


NO.084(211号):継続して話を聴くことのメリットと注意点

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 話を聴く際に、継続して話を聴いていくことのメリットと注意点について考えることは、ピアサポートでもカウンセリングでも日常での話をする場面においても必要なことです。
 1回では話しきらないことを聴くことができることや、相談するひとの成長や変化の様子を見ることができることも、継続して話を傾聴するメリットでもあります。話を聴く中で、継続して何回か話を重ねていくと、そのひとの状況が理解しやすくなります。
 ピアサポートやカウンセリングでは、実際に見ていないことから推察して話を聴いているために、想像するしかありません。現実にそれがどのような状況であるかわからないため、語るひと自身が感じた内容を一生懸命に聴くしかないのです。それがそのひとの人生にお付き合いする心理臨床を志す者の独自性でもあります。
 もちろん、実際の場面を見ていることでわかることは多いため、一緒に体験したり経験したりしているところで話を聴く強みは、そのひとの語りを状況とともに知ることができることです。ただし、話を聴く者が、語りに巻き込まれやすいので、ほんとうはそのひとの問題なのに、話を傾聴するひとが問題を引き受けすぎて、辛くなってしまったり、身体症状として反応を出してしまったりすることに注意をしておくことが必要です。
 相談を受けることは、相手の人生と自分の人生とが絡み合うことですが、相手の話を傾聴しつつ、巻き込まれ過ぎないようにこころを配ることが必要です。
 また、語るひとに現実との解離状態を維持させてしまうことが注意点として挙げられます。相手の心的現実にも共感しつつ、現実の状況についても意識を向けながら、話を傾聴することがたいせつです。


NO.083(210号):「疑心暗鬼の状態は不毛」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 人間は、無意識に信頼しあって生きているといってよいでしょう。例えば、散歩や買い物やお店の順番待ちで見知らぬひとと挨拶や話をすることはしばしば目にする光景です。また、自分が相談をすれば、相手が誠実に対応してくれるだろうという前提があるので、話をします。傾聴するひとも、相手が自分を選んでくれて大事な話をしているということがわかるからこそ、真剣に聴くのです。
 しかし、一度疑心暗鬼になるとすべてのことを疑ってかかるようになります。「これを話すと他のひとにも言いふらされるかもしれない」「言っても信じてもらえないかもしれない」という気持ちになり、相手とのコミュニケーションを避けるようになります(幼少期から愛情を拒否されたり、事件への巻き込まれ、虐待、暴行も、ひとに疑心暗鬼を生じさせます)。
 集団の中で、一人疑心暗鬼の状態に陥るひとがいると、その周りにいるひとに自分の不安を増幅して伝えるので、話を聞いたひとの別の不安を喚起させる引き金ともなり、そこで喚起させられた別の不安がそのまた別のひとに話され、また別のひとと異なった不安を喚起させます。そうして集団全体が様々な不安に満ち溢れ、疑心暗鬼の状態になるという悪循環が生じるのです。一度、疑心暗鬼になった集団は他者・他集団に対して攻撃的になります。そして攻撃された集団もその相手・集団に対して攻撃的・防衛的になるため、よい関係の構築は不可能になります。

 信頼しあって何かに取り組むと、予想以上によいものが生まれます。あなた自身の信頼できるひとを大事にし、ひとから信頼してもらえるために、まず自分に何ができるかを改めて考えてみてもよいのではないでしょうか。


NO.082(209号):「約束を守ること」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 ひと昔前、相手と約束をしている時、待合せ場所に遅れないように最大限の努力をしていた時代がありました。待合せ場所に相手が来ない場合には「何か重大な事件に巻き込まれたのではないだろうか」と心配をしたものです。そして約束の時間に間に合わない状態になったひとの方は、待たせている相手に自分の誠実な想いを伝えることができないことに焦り、悔やみ、何とかして待たせている相手に連絡を取ろうと最大限の努力をしたものです。
 現代では携帯電話が普及し、遅刻をしてもLINEやメールで簡単に伝えることが可能なので、相手を待たせること自体を軽視してしまう傾向になっています。自分が約束を破られたという経験が、約束を破った相手との約束は次回以降も守られないのではないかという疑心暗鬼な状態を生じさせ、相手に対しての誠実な対応を困難にしてしまいます。
そしてお互いに遅刻したり直前キャンセルをしたり、という不誠実な関係が構築されていくのです。また、何かを予約する際にも一旦予約をしておき、キャンセル料金の発生する1日前にキャンセルし、当日にまた予約をするという、常識では考えられない方法を選択しているひともいます。自分にとって都合のいい言動ばかりをしていると、協力してくれたり守ってくれたりするひとが激減してしまいます。
 「約束を守る」という概念が薄れていることは、相手の予定が自分との約束によって縛られていることを想像しない自己中心性から生じます。時間はお金では買うことができません。約束は、相手の貴重な人生の時間を消費するという認識がもう少しあると、お互いを思いやり、守り守られ、信頼され、こころ穏やかに生活できるかもしれません。


NO.081(208号):「死とは」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 この世界は、不平等で理不尽です。経済的に富める者と困窮する者。社会的に地位が高い者と低い者。子どもがいる者といない者。病いを抱えていない者と病いを抱えて生きる者。ただ、唯一、全てのひとに平等なことは、死が訪れることです。もちろん死ぬ時期が早いか遅いかや、安楽な死か、過酷な死か、ということには差があります。それでも死は、誰にでも平等に訪れます。
 皆さんにとって、「死」とはどのようなことであると認識していますか。心肺機能の停止や、脳死もひとつの死の定義といえます。様々な宗教においても、「死」や「死後の世界」については多様です。死は無であるという考え方や、輪廻転生という考え方もあります。多くの偉人や宗教家も死について考えてきましたし、ひとによって考えは様々です。
 わたしは、大事なひとを亡くした場合には、その亡くなったひとは、遺されたひとの中で生き続けると思っています。肉体は滅んでも、生きているひとのこころに存在し続けるため、どの部分でひとは死んだかということを決められないと思うのです。答えはひとそれぞれだと思いますし、正解はないと思います。ただ、与えられた人生を、自分らしく誠実に、丁寧に生きることがたいせつなのかもしれません。「死」は人生における一幕なのかもしれません。如何に生き、如何に死に、如何にひとのこころに生き続けるか。それが自分の人生を生きる、ということなのかもしれません。
 生きることは様々なしがらみを背負い苦しいことですが、そのしがらみが救いや癒しになることもまた事実です。死への憧れを消すことができないひともいらっしゃるでしょうが、なんとか生ききってみるのも、またひとつの人生です。


NO.080(207号):「アサーション」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 アサーションとは、自分も相手もたいせつにする気持ちのよい自己表現のことです。アサーションの方法では
(1)自分の気持ちに素直に耳を傾ける、
(2)「聴くこと」と「話すこと」に意識を向け、お互いのことをたいせつにしているかを考える、
(3)相手に受け入れられやすい表現を用いて話をする、という手順を踏むことが一般的な方法です。
 自分の気持ちに誠実であり、その気持ちを率直に表現できること、そして相手の立場や役割に関わらず対等で居ることがたいせつです。
 手法としては、(※1)I messageや本題に入る前に当たり障りのない会話を入れたり、穏やかな表情や声のトーン、身振り手振り交えて伝える等があります。
 自分の気持ちを率直に主張する一方で、相手の気持ちや意見にも素直に耳を傾けることも重要です。耳を傾けている姿をわかってもらうために、相槌を多く用いたり全身で頷いたり表情で表現する等の一工夫も必要です。
 お互いを尊重し、win-win(自分もOK、相手もOK)の関係を目指しましょう。そして自分の主張や言動の責任は自分で引き受ける覚悟をもつことも忘れてはなりません。
 ただし、このようなアサーションの方法を用いる前段階で、普段から「このひとの話であれば聴こう」と思われるような人間関係の構築は必須です。すなわち、物事に対する取り組みが誠実であったり、親身になって相談に乗っていたり、素直に相手に感謝を述べることができたり、周囲のひととの話題作りで周囲のひとの好きな話題を提供することができたり、場を和ませる存在であったりすることも、必要なのです。
 ちょっとしたアサーションの技法と普段からの心がけで、自分も相手もたいせつにしていきましょう。

(※1)自分を主語にした気持ちの表現方法(例「わたしはそんなことを言われると悲しい」)


NO.079(206号):「怒りを向ける傾向」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 生きていれば当然、理不尽な出来事に遭遇します。ひとは、そこで感じた理不尽さを表出する場合もあるし、表出しない場合もあります。理不尽さと同時に表出される怒りは、(1)相手に向けられるか、(2)自分に向けられるか、(3)状況に向けられるか、(4)怒りをどこにも向けないか、といった傾向に分類されます。
 (1)の場合には、対人関係に亀裂が入ることがあります。ただし当然、相手に直接向けるべき怒りもあります。また、相手が年下である場合に向けられやすいのか、女性に対して向けられやすいのか、目上の相手に対して向けられやすいのか等、あなた自身の傾向が出ることもあります。(2)の場合には、理不尽な対応により傷つき、さらに自分で自分自身を傷つけることにもなるので、二重かそれ以上の傷つきが生じます。(3)の場合には、ひとに怒りを向けない無罰的な傾向があるため、建設的に物事を進めることができる可能性があります。(4)の場合には、平和主義的な傾向とも言えなくもないですが、自分の気がつかないうちに怒りはこころに蓄積し、夢にその怒りと傷つきが表現されたり、身体症状として表現されたりしてしまいます。タイミングや状況によっても怒りを向ける傾向は変化しますが、自分の怒りの感情と怒りを向けやすい傾向について知ることで、対人関係の問題が生じた際に、ふと気を付けることができるかもしれません。
 基本的には、正当な言い分については社会的な常識の範囲内で相手が受け止めやすい言動がよいでしょう。※アサーションのスキルも活用して相手に自分がどれだけ傷ついたか悲しかったか等を伝えることも望ましいです。適宜ストレスを解消しつつ、自分を守っていきましょう。

※アサーション…相手を傷つけず尊重しつつも、自分の主張はしっかり行う円滑なコミュニケーション方法


NO.078(205号):「ひととのコミュニケーション」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 先日、体調を崩し、1週間程、耳も聞こえず、声も出ず、という状況になりました。周囲のひとたちが楽しそうに会話をしている状況は視覚的に理解できますが、会話の内容を理解することができないことで、自分の孤独感が非常に強くなることを体験しました。また、自分が話したいなと思う折々の瞬間で、声が出ないことの苦しさと、もどかしさと、悲しみと、自分が発言できないことにより周囲が自分へ配慮をしてくれるがゆえに自分が周囲のひとの会話の流れを止めてしまう原因となっている申し訳なさとを感じていました。
 それと同時に、コミュニケーションツールがあることのありがたさと、コミュニケーションがとれることが人間のこころの健康を維持するためにどれほどたいせつかということと、コミュニケーションの障害があることへの配慮をさりげなくしてもらえることのありがたさとを実感しました。
 ひとはコミュニケーションがとれないと、孤独になります。孤独になると、そのこころの隙間をついてくる悪徳業者の勧誘に引っ掛かったり、詐欺にあったりしやすくなります。
 こころにゆとりがもて、人生に彩りがあるようにするためにも、身近な親しいひととのコミュニケーションを、手紙でもメールでも直接会ってでも、そのひとの状況に合わせて行ってみてはいかがでしょうか。また、日頃から何らかの形でコミュニケーションをとっていることにより、相手のふとした言動が、どのような背景から生じてきているのか理解しやすくなります。
 対象者のいないところで対象者への対応を悩むのではなく、対象者を交えて様々な問題への対処法を考えることも、お互いの理解を深めるので、時には有効かもしれません。


NO.077(204号):「真心で繋がりたい」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 皆さん、ひとと仲良くしたいと思うとき、どのようにしますか?
 一緒に食事に行きますか?映画を観に行きますか?相手を誉めますか?自分がもっている知識を伝えますか?相手にお金を払いますか?
 あるひとがわたしに寂しそうに言いました。「自分はひとと仲良くしようと思うとき、お金で解決しようとしちゃうんだよね。どうやったら、お金以外でひとの信頼を得ることができるかなぁ」「手をかけないで一番効果の上がることはないかな?」と。
 わたしはもちろんそのひとの多忙な状況を理解しているつもりでしたので、具体的な方法を提案したのですが、わたしの中にふつふつと疑問が湧いてきました。〈よいものを造り出すためには、手をかけることが必須なのではないか?〉〈ひととの信頼を得ることは、どの程度こころを遣っているかにかかっているのではないか?〉と。
 カウンセリングでは、そのひとのためだけに使う時間と遣うこころがあります。ひとの信頼を得るためには、相手や物事に対して誠実で居ることがたいせつです。尽力しないで成果を求めようとしても、よいものを得ることはできません。
 もちろん相手の話を傾聴していると、相手の論理に巻き込まれて足をすくわれることがあるので正しい知識も必要です。しかし相手に対してこころを遣わないと、真心で繋がることができません。技術が進歩しAI(人工知能)でできることが増えています。だからこそ大事なひとの温もり発する言葉やトーンの温かさ、醸し出す暖かな雰囲気、タイミングがたいせつであることが再確認されるのです。不器用でもいいので、あなたなりの方法で周りに居るひとへ真心を伝えてみてはいかがでしょうか。


NO.076(203号):「ひととしての尊厳とは」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 「できるだけそのひとらしい最期を迎えてほしい」との理念で緩和ケアに携わるある方と、人生の終末について語る機会がありました。そこで、末期癌の患者さんで渓流釣りが趣味という方がいて、その方は最期にどうしても渓流釣りに行きたいという願いがあったことを聴きました。その方は、痛み止めを最大量用いて、家族と主治医と一緒に渓流釣りに行き、釣りを楽しみ、その場所でお亡くなりになったということでした。主治医の往診と訪問看護で、病院ではなく自宅で最期の数週間をすごせたとのことでした。
 わたしはこれまでに、親しいひとの死に何度も直面をしてきました。皆、口を揃えて「家に帰りたい」と病院で言っていました。
 どのような医療を受けるかは個人の自由です。自分や自分のたいせつなひとが人生における最期の時期をどのようにすごせるかを考えて、ひとりの人間として、そして、いち医療者として自分の在り方を振り返りたいと思いました。
 あなたは、ひととしての尊厳とは何であると思いますか? 自分や自分のたいせつなひとの尊厳を護るために、何ができますか?…願いを挙げればきりがありません。要望を挙げるときりがありません。しかし、まずは今の自分にできることを考えてみましょう。今の自分ができることを丁寧に取り組みましょう。自分の人生を丁寧に生きること、そして相手の人生についても丁寧にかかわること、身体を丁寧に扱うこと、こころを丁寧に汲みとり思いやること、それらすべてが、ひととしての尊厳を護るのではないかと感じています。
 ひとつひとつ丁寧に積み重ねることが、生きることなのです。

(本文は守秘義務の関係で本人が特定できないように内容を改編しています)


NO.075(202号):「睡眠はこころのバロメーター」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 皆さん、朝起きたときにどのような感じが自分の睡眠にはしっくりきますか?
(1)「あー、すっきりした。よく眠れた」
(2)「あっという間に朝になっちゃった。まだ眠い」
(3)「全然疲れがとれていない感じだけど、もう起きなきゃ」
(4)「夢ばかり見ている」
(5)「なかなか眠れない」
(6)「夜中に途中で目が覚める」

 (1)のひとは、よい睡眠がとれているといえます。すべてのひとの目標はこのような睡眠がとれるようにすることです。
 (2)のひとは、こころの疲れが貯まってきているサインが出ています。今の段階で、生活を見直せるところは改善し、睡眠時間を確保することが必要でしょう。またストレスになる要因は避けられるとよいです。
 (3)のひとは、がんばっている状況で、なんとかこなせているけれど、ギリギリのところです。
 (4)のひとは、だいぶ危機的です。黄色信号というところでしょう。できるだけ早急に休養してください。このままだとうつ病になりそうです。
 (5)・(6)のひとは、赤信号です。ストレスがかかりすぎです。生活を見直し、今のペースよりももっと負担のないようにしましょう。

 睡眠は、こころのバロメーターです。ストレスがたまってくると快適な睡眠をとることができません。起きても疲れがとれなかったり、夢をたくさんみたり、まだまだ寝ていたいと思ったりします。
 睡眠は貯めておくことができません。忙しいと、平日はなかなか睡眠時間の確保ができないので休日にまとめて10時間くらい寝るということは、2~3週間はなんとかもちますが、長期間になると心身ともに疲弊する要因となります。睡眠は毎日、7~8時間とることができると健康維持に有効です。よい睡眠をとり、心身の健康を保ちましょう。


NO.074(201号):「周囲のひとに協力してもらえるひとになろう」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 ひとは誰でもひとりでは生きていくことができないことはご存知のことと思います。そして、自分自身が生きやすくなるためには、周囲のひとにどれだけ理解をしてもらい、協力を仰ぐことができるかが、肝心です。
 たとえ正しい知識を有しており、その普及が誰かのためになることが明確であっても、そのひとが普段からピリピリしていたり、「自分の正しい知識や正論が受け入れられることができない」と言ってイライラしていたりすると、本来ならばひとのためになるような知識も周囲のひとに受け入れられることがないままという残念な事態になってしまいます。
 そのような残念で悔しい結果になることを防ぐには、自分の意見が周囲のひとに受け入れられることができるようにすることが必須となります。普段から穏やかな表情と口調にすることを心掛け、他人の批判をしないようにし、他人や物事についての文句を言わないようにすることが、前提となります。そして、自分の話を聴いてくれるひとに、わかりやすく話をすることが必要ですが、伝える際には具体的な言葉で、簡潔に、そしてもし視覚的に伝える手立てがあるとしたら、視覚的に工夫をすることが有効です。
 もちろん、日々生きていれば文句の1つも言いたくなるのは人間です。ただ、いざ自分の主張を通したいときに伝わらないと、困るので、文句を言うことをできるだけ少なくできるとよいでしょう。ただし溜め込みすぎると、変な形でストレスが爆発してしまうので、ストレス発散できるようにしていきましょう。
 出る杭が打たれ、心ないひとの嫉妬で苦しんだり邪魔されたりすることもありますが、それでも日々誠実に生きていれば必ず味方は増えるものです。


NO.073(200号):「家族とは」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 新年明けましておめでとうございます。皆様にとって、幸多き年になるよう、こころより祈念しております。今回は「家族とは何か」について考えてみます。
 皆さんは、「家族」と聞くと何を思い浮かべますか?温かい食卓を囲んで団欒すること、困ったときに助けてくれること、一緒に楽しく旅行に行くこと等、家族というものにポジティブな感情を抱いているひとも多いです。一方で、家族に恵まれなかったひとも少なくありません。愛されるべき存在の子どもが、様々な要因が重なることによって「自分は生まれてこなかったほうがよかったのではないか」と、自分の存在価値を根底から揺るがす疑問を抱いてしまうこともあります。このように思ったひとは、次の世代に見返りのない愛情を注ぐことが難しい傾向があります。しかし努力をして次の世代に惜しみなく愛情を注いでいるひともいます。里親・里子や養子縁組や、血の繋がりのない家族もあります。「家族のような繋がりだ」とか「家族以上の関係だ」等としばしば言うように、家族の質は様々です。
 家族の在り方は、個人に深刻な影響を与えます。自分の家族を振り返り、自分がどのように感じてきたかを改めて考えてもよいかもしれません。そして、ひととの望ましい繋がりとはどのようなものであるかを考え、できるだけ素直に愛情を注ぐことができる家族の在り方を見いだしてみるのもよいでしょう。親であるあなただからできること、子であるあなただからできること、配偶者であるあなただからできること等、あなたにしかできないことがあるはずです。あなたにしか救えないひともいます。ふとそのようなことを思いながら家族と接してみてもよいかもしれませんね。


NO.072(199号):「感謝すること・楽しむこと」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 ひとは誰でも相手に対して、羨ましい、妬ましい、不幸に陥れてやりたいと等といった非常に強いネガティブな感情を抱くことがあります。このような感情を抱くことは人間だから仕方がありません。しかし、仕方がないからといって、そこで諦めていたらそれまでです。
 あなたは毎日「ありがとう」という感謝の言葉をどのくらい使っていますか。わたしはできるだけ、相手と接するときには「ありがとう」と言うように心がけています。「一緒に居てくれてありがとう」「ご飯を作ってくれてありがとう」「話を聴いてくれてありがとう」「迎えに来てくれてありがとう」。自分の生活を振り返ると、毎日、何かしらの行動をするときに相手へ「ありがとう」と感謝の言葉を伝えるチャンスがいくつも見つかることに気がつくでしょう。
最初は「ありがとう」なんて気恥ずかしくて言えないと思うこともあるかもしれません。しかし、勇気を出して言えそうなときに「ありがとう」と言ってみてください。そして、「ありがとう」と言われた方は、素直に「どういたしまして」と言ってみてください。加えて「ありがとうと言ってくれてうれしいわ。どうもありがとう」と返してみてください。きっとお互いに、こころがほんのり温かくなることでしょう。
 そして、日々の生活を楽しんでください。もちろん、楽しむなんてとてもできないという状況の方もいらっしゃるでしょう。そのときは無理せずに、「ありがとう」だけで十分です。もし、楽しむゆとりがあれば、少しでも楽しめる方法を探すこともよいです。
 感謝し、楽しむことによって、相手への羨望や妬みは少なくなり、日々を穏やかにすごすことができると思います。


NO.071(198号):「ひとの目をみて話をするということ」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 現代は、ひとの目を見なくても、つまり、実際にひとに会わずにコミュニケーションをとることができる時代です。会わなくても相手がどのような生活を送っているのか、どのような状況に居るのか等が、SNSで簡単に知ることができるようになりました。これは文明の利器による人類の進歩ですが、置き去りにされてしまった大事なものがたくさんあるといえます。
 会えない相手が今何をしているのかと想いを馳せ、会える時間を大事にするという、ひととしての相手を尊重することが軽んじられ、共に時間をすごす努力が少なくなっているようです。実際に会うことを約束したひとが、目の前にいても、そのひとの目をほとんど見ずにお互いに携帯の画面を見て、他の空間にいるひととの文字だけの関係にいそしんでいる状況は、これはある意味でこころの大事な部分がどこかに置き去りにされて忘却の彼方にあるような、人間存在における危機をも感じるのです。
 ひとの表情や声のトーン、醸し出される雰囲気、瞬間で現れるこころの機微、それらがひととしての大事な部分を表現しています。
 近年「空気が読めない」とか「発達障害である」等が注目されスポットライトが当たっていますが、その背景には、ひとが目の前にいるひとのことを大事にできなくなっている真実が隠されているように感じられます。
 まずは直接会うことができるひととは目を見て、相手の表情やしぐさを見て、その場に流れる雰囲気を感じ取り、話をしてみるのも良いと思います。日々の生活で潤いを感じ、ひとと直接かかわることによって、自分をたいせつにしてくれるひと、たいせつなものを改めて見つける作業をしてみるのはいかがでしょうか。


NO.070(197号):「無意識を意識する」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 ひとのこころには自分で意識できる部分と意識できない「無意識」の部分があることはご存知のことと思います。自分で意識できる部分はどのくらいだと思いますか。どのくらいあなたはあなた自身のことを知っていると思いますか?
 …実は、意識できる部分は5%程度で、無意識の部分は95%もあるのです。いかに自分のことがわかっていないか、驚くばかりです。実際にわかった気になって日々の生活を送っていることが認識できるでしょう。そして、自分のことがこれほどわからないのであれば、いかに相手のことをわかることが難しいかが理解できるでしょう。

 では、無意識を知るためにはどのような方法があるのでしょうか。夜に見る夢や描かれた絵には無意識が表現されています。「なんとなく好きだ」と思う物やひとが自分の無意識を反映している可能性もあります。
 また集団のリーダーに選出されるひとは、その集団が求めている無意識を体現できるひとであることが多いです。たとえば、その集団が改革を求めているような状態であれば、改革のできる力のあるリーダーが選出され、その集団が対立を求めているのであれば対立姿勢を好むリーダーが選出され、その集団が「和」を求めるのであれば周囲のひとと調和ができるリーダーが選出されます。
 ひとが意識している部分がとても少ないことを知識として理解していると、相手の話を傾聴する際に「素直に聴く」ことがいかにたいせつか納得できると思います。傾聴している際に自分が感じることが、実は相手から投げ込まれた相手自身の無意識であることがあります。投げ込まれた相手の無意識を上手に意識して聴くとよりよいピアサポートに繋がるでしょう。


NO.069(196号):「治療に対するやる気を出させるためには」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 慢性疾患を抱えていると、自分の健康・体力維持に必要とされる継続的な努力をすることが難しい場合もあります。
 例えば糖尿病を抱えて生きる方で運動機能の障害が無い方の場合には、日常生活のなかに効果的に運動を取り入れ、消費カロリーを増やすことが治療には有効とされています。買い物をする際に少しスーパーで歩く距離を増やしてみる、近い距離や体調のよいときにはバスや車ではなく徒歩で移動をする、家族や友人と一緒に話しながら散歩をしてみる、なかなか家から出ることが億劫な場合にはテレビ番組で定期的に放映されているラジオ体操をしてみる、等、生活を少し変えるだけで、治療に有効な運動を行うことは可能です。
 ただこのようなことをピアサポーターや医療関係者から提案されても、実際には長期的に継続して運動をできる方は少数です。なぜなら、運動の効果がすぐに現れないからです。だからこそ、本人もやる気をなくしてしまうし、それを支援するピアサポーターや医療関係者も「どうせできないかも」と諦めてしまうのです。
 運動の例を提示しましたが、その他の治療でも同様です。本人にやる気を出させるためには、ピアサポーターや医療関係者が諦めないことが必要です。ピグマリオン効果といって教育の場面で見られる効果ですが、ピアサポートや医療現場での場面にも有効です。ピアサポーターや医療関係者が正しい最新の知識をもっていることと、諦めないことと、できない患者に対して怒りをぶつけないこと、それらが大事です。「やる気の出る言葉はないかな」と探したくもなる場合も多いでしょう。やる気は、その言葉自体ではなく、日々のよりよい関係の積み重ねから醸成されるのです。


NO.068(195号):「すべての人たちが生きやすくなるためには」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 人は多種多様の苦悩や問題を抱えています。もちろん身体疾患や難病を抱えて生きることはそれだけでたいへんなものです。しかし、社会には様々な人がいます。難病を抱えて生きる人が配慮されない状況も少なからずあります。「自分たちはこんなにたいへんなのだから、配慮してくれてもいいじゃないか!」「もっと支援をしてくれてもいいじゃないか!」と叫び、怒りをぶつけたくなること、理不尽を嘆きたくなることもあるでしょう。
 それはもっともな意見です。わたしももちろん理解しているつもりです。しかし、世の中には様々な考え方の人がいて、その人自身が抱えている苦悩や問題の種類によっては、「自分の方がたいへんなんだ」「もう十分に助けてもらっているでしょ。こっちの方を支援してもらいたいくらいだ」という意見もあることもまた事実です。
 わたしたちはその事実に対して、反発・非難する必要はありませんし、しない方がいいです。
「助けてもらえることが当たり前」「支援を受けることは当然の権利である」と、こころのどこかで思う部分があると、難病以外の他の種類の悲哀辛苦を抱えて生きている人の反感をかい、言葉には出されない反発を生むのです。
 どのような質・量の悲哀辛苦を抱えていたとしても、「生きているのだから辛いこともある、…しかし嬉しいこと楽しいこともある」と思えるこころの強さをもつと、自然と様々な人と円満な関係を構築できる可能性が広がるのです。
 そしてそのことが、難病を抱えて生きる人がより生きやすい社会を創ることに繋がるのです。もちろん、そのような考え方を様々な人がすることが、どのような状況下の人にも優しい環境を創ることに繋がるのです。


NO.067(194号):「解離への対応」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 解離症とは、凄まじいストレスを体験したときに、自分を守るためにもうひとりの自分(犠牲者)をこころの中で作ってしまうことです。外傷体験(戦争、天災、事件の被害、虐待、DV等)があったり、病名が確定するまでに自己を傷つけられるような波瀾万丈の出来事があったりすることは解離症の発症に繋がる可能性があります。
 ピアサポートで「もうひとりのわたしがいる」とか「現実であるという感覚がない」といった相談を受けた際には、「相談者は凄まじいストレス体験をしたんだ」と認識しましょう。そして、空想の世界や幻覚、交代人格等のことも無視せず否定せずに聴きましょう。ただし、多重人格に関する書物やテレビ・映画を一緒に観て解離の世界に入り込んではいけません。交代人格の年齢・性別・経緯を詳細に確認しすぎることもやめましょう。共感した上で現実との相違点や思い込みの可能性も考えましょう。
「忘れてしまう」「覚えていない」といった健忘の場合には年齢によっては軽度の認知症の発症も疑う必要がありますが、外傷体験があった場合には、解離症を考えて相談の方法を工夫することが望ましいです。
「人の声が聞こえる」と言った時にしばしば統合失調症と間違われることがありますが、解離症の場合には一例を挙げると「自分の声が聞こえる」との訴えであり、統合失調症の「他人の声が聞こえる」ことと異なります。
 基本的に解離症を発症する方には、見捨てられるのではないかという不安が根底にあります。孤独感が強い方も多いです。したがって、相談者の話を傾聴し、相談者に安全な環境を作り、必要であれば主治医にも相談するよう伝え、周囲にいる支援者で連携をしていきましょう。


NO.066(193号):「食べ物をテーマにして、ピアサポートの在り方を再考してみる」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 生きているものすべて、何らかの形で食べ物を摂取しないといけません。食事は、生命を維持する上で必須の事項です。
 死期が近いと、食べることができなくなるので、本人も周囲の人も「死」を意識します。また、過食症や拒食症の患者さんが抱えている問題も、食にまつわることです。アレルギーや食事制限のある方にとっても、生活の重要な位置を占めています。また、信頼している方との和やかな会食はこころの健康維持に有効です。
 食事は生命の維持と直結する問題なのです。
 さて、ピアサポートで相談を受けているときに、目の前で相談者が持参した食べ物を口にした場合、あなたはどのよう感じますか?
 例えば、「こちらが一生懸命に話を聴いているのに失礼だな」と思う場合、もしかすると相手と自分との関係性に上下関係があるように感じているのかもしれません。このように感じた場合、ピアサポートの危険性が現れているので、ピアサポーターとしての自分の在り方を見直す必要があるでしょう。深層心理学の考えでは、上記の状態に加え、もし夢に相談者が出てきたら、ピアサポートの対応に盲点があることも示唆されるので、スーパービジョンを受けてもよいでしょう。
 例えば、「シェーグレンで口が乾くのかな」と思う場合、あなたが相談者の病気を我が身のことのように感じているのかもしれませんし、病気のことをよく知っており、親身になっているからかもしれません。「なかなか最近栄養が摂れていないから、水分補給と栄養摂取のためなのかな」と思う場合には、相談者の生活や命の課題にまで先を見通して目を向けることができているのかもしれません。
 相談を受けているとき、食をテーマにして、自分の感情や夢に意識を向けてみるのも、聴く技術向上には効果的なのです。


NO.065(192号):「伝える言葉、受けとめる配慮」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 人は誰でも自分をわかってほしいという気持ちを抱いています。だからこそ、人間の長い歴史の中で話し言葉や書き言葉を増やしてきたのでしょう。そして、昨今の課題のインターネット上のトラブルも、そもそもは人に直接は言いづらい気持ちを包み隠さず表現できてしまうツールを人が獲得したがゆえに生じてきた問題であると感じるのです。どのように表現するかは、人それぞれです。例えば、相手のことをほんとうに想っていても素直に口には出さない人もいるし、逆にその場しのぎの言葉だけで取り繕う人もいます。ただこれは、自分の言葉を自力で発することができる人の傲慢な悩みなのではないかと先日実感する出来事がありました。
 2週間近く私は風邪で、声が全く出せないか出せても絞り出すような状態が続いたのです。電話もできない、笑いたくても声が出ない、挨拶したくてもできないので無視をしたと勘違いされる、どうしても伝えたいことを伝達したいのに、声を絞り出しているので必要最小限の事項しか伝えられず、声もいつも以上に低いので機嫌が悪いと勘違いされる等々、これほどまでに人に伝えることが難しいことだと実感したと共に、伝えることができない悲しさ辛さも実感しました。もちろん、普段の私と違うことに気がついて対応してくださる人も多くいましたが、そうでない人もいて、自分と相手との関係性も再確認された出来事でした。
 誰しも「相手はこうである」という評価をもって人と接します。ただその恒常性が崩れたときに新たな関係を構築するかはその人次第だと思うのです。この出来事で私は「相手の状況が変わったとしても、相手に配慮し、それまでのよい関係を続けていきたい」としみじみと思いました。


NO.064(191号):「すべての人にやさしい世界へ」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 難病や障害を抱えて生きる子どもの保護者の心配は尽きません。「自分が死んだらどうしよう」「この子ひとりで生きていくことがどうしたらできるようになるか」等、将来を見据え今どのような方針をとるかを日々考えています。例えば特別支援学校に在籍をすれば高等部を卒業してからの福祉的な枠での就労や訓練は用意されていますが、現在では医療的ケアを行いながら地域の公立学校の通常学級や特別支援学級に在籍をする子もいます。もちろんその子自身の状態と保護者の考え方、そして受け入れをする学校やそれを応援する教育委員会や地域の状況にもよりますが、「子どもに何を学ばせたいか」「子どもがこの環境で何がどれだけ伸びるか」「安全面への配慮はできるか」等を中心にして決定します。
 一方で、自分の子どもを故意に傷つけたり病気にさせたりして病院を受診し、保護者自身が注目を浴びたい欲求を満足させる代理ミュンヒハウゼン症候群の保護者もおり、病いをめぐり様々な問題が生じているのが現状です。教育の目標は、いわゆる健常者や定型発達といわれる子どもが、病いや障害を抱えて生きる子どもを差別せず偏見をもたずに育っていくことですが、こころの機制が逆説的に働いてしまっている場合もあるということです。それでも、“病いは辛いこと”という認識が普及しており“患者は助けるべき存在”であるという認識が人間に存在するからこそ、代理ミュンヒハウゼン症候群は存在するのですが、子どもを犠牲にしてまで自分が注目を浴びたい欲求にかられるのはその保護者の養育環境は望ましくないものだったといえます。すべての人にやさしい世界をつくりたいものです。


NO.063(190号):「現実逃避は一時的なものにとどめよう」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 ピアサポートで相談を受けているとき、相手のことを「まったく次の一歩を踏み出すことができずにいる人だ」「現実逃避をしている状態だ」と感じた場合には、「この人は現実を受け入れるエネルギーがまだ貯まっていないのだ」と理解してみると、今後のサポートの方法が見えてくるかもしれません。
 今後、難病の治療法が続々と開発されていく時代になると思われますが、まだまだ時間がかかります。だから現実を受け入れることができずにすごす時間が増えたり辛苦がなかなか軽減しなかったりします。たしかに、一時的には現実逃避状態に陥ることも現実を受け入れるこころの過程では必要な段階です。しかし、不安に押しつぶされてしまい、すぐに答えを与えてくれる人への盲信や、簡単に現実逃避ができる対象(オンラインゲーム、アルコール、ギャンブル等)への依存は非治療的です。ただ、ゲームが癌治療に功を奏した例や酒は百薬の長という諺があるように、信頼できる主治医のもとゲームを活用した治療や、ドクターストップがないならばたしなみ程度に晩酌することはよいかもしれません。
 また生活の中で、世間話をしながら疲労を感じない程度にゲームを楽しむことや、一緒に酒を酌み交わすこと等は不安を軽減させ、依存をその前段階で防ぐという効果があります。やり方と程度を間違わなければよいのです。対象自体にひとりでのめり込むのではなく、対象を介して一緒に行動する人との適切な人間関係を築き、それによって不安を軽減させることは有効です。相手への依存ではない確固たる自我同士で癒しを求めることが望ましいです。
 将来に難病が根治されることを信じ一生懸命に生活することは賢明だと思います。


NO.062(189号):「楽しく笑えるように」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 あなたは毎日、何回笑っていますか?
「子どもは1日に300~400回笑っており、大人は15回しか笑っていない」という研究結果をご存じの方も多いと思います。
 日々の生活に追われていたり、心配事があったりすると笑うことができなくなる心理状態になります。
例えば身近な人に不幸があったときに少しでも笑顔を見せたり気分転換を図ろうとしたりして自分の興味がある事ことに取り組もうとすると、中には周囲の方に「こんなに不幸なことがあったのに、笑うなんて不謹慎だ」と非難をされ、悲しい出来事に加え余計な傷つき体験が増え、ストレス事態から回復する機会を失わされる場合があります。しかし、このような非難をする方は、自分がうまくいかないのは誰か他人のせいであると思う傾向がある人だったり、何らかの悪意をもっていたり、他人が不幸でいることが嬉しいというような心理状態である可能性もあるので、気にせず自分や自分の大事な人のメンタルケアを行っていくとよいでしょう。
 相手の一面だけ見て批判をしたりマイナス面に言及したりすることは簡単です。物事にはあらゆる側面があります。できるだけ皆一緒に楽しくすごすためにどうしたらよいかと考え、ポジティブな言動をし、お互いの心理状態の改善を図りましょう。そのためには、物事を俯瞰的に見ることが有効です。俯瞰的に見ようとしても俯瞰する高さは人それぞれですし、俯瞰した先で見えてくるものも人それぞれ異なります。だから試しに俯瞰しようと意識するだけでも実は事態は好転に向かい始めるのです。
 笑顔は伝染し免疫力を高めたりする機能もありますので、物事の肯定的な側面を見て笑えるようにこころがけてみるのはいかがでしょうか。


NO.061(188号):「人間の力を信じて」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 新年明けましておめでとうございます。将来への不安が拭えない情勢ですが、目の前のできることを着実にこなして、生活とこころの安定をはかっていきましょう。
 さて、昔はさまざまな分野でたくさんの「匠」「職人」がいたように思います。弟子は師匠の技を盗み見て成長したり、自然の神秘の力も身近に感じたりするという時代がありました。敢えて教えてもらわなくても、自分で技術の向上を目指し、空気を読みながら礼節を学びながら、成長したものです。
 現在は、AI(人工知能)で行えるものは行えるようにと、人間の生活は大きく変化をしてきました。医療も人の手だけでは行わず、ますますICT(情報通信技術)を活用していくようになりました。その恩恵として一定水準以上の技術が担保されるようになりました。生活もより快適で便利になりました。ただ懸念事項としての、二次元のテレビ画面やICTの世界に親しみすぎている子どもたち、自然の中で遊ぶ経験がほとんどない子どもたちが大人になったときの危険性は払拭できません。
 さまざまな奇跡や最高といったものは結局、自然や人の手でしか創り出せないのではないかとも思ってしまいます。研究所のスーパーコンピューターでも勝てないのが人間の頭脳です。感情の伴った相槌や会話、言葉のない場に流れる穏やかな空気感、統計では予測不可能な将来、夢を叶える想いの強さ、命の温もりを感じられること、これらがわたしたち人間にできることです。
 もちろん、医療の進歩による恩恵をわたしたちは確実に受けています。それでも、新しい年を迎えた今、技術に踊らされずに目の前の生身の人間ができることを、あらためて考えてもよいのではないでしょうか。


NO.060(187号):「難病を抱えた子どもの就学について」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 生まれてすぐ、あるいは生まれて数年して、我が子が難病であると知った親の悲嘆は他人には計り知れないものです。もちろん我が子が何歳になっても難病に罹患することは辛苦でしかありません。しかし子どもを育てるためには嘆いてばかりではいられません。生きるために必要な医療的ケアを行いながら、主治医と協力をしながら子どもと愛情あふれる生活をし、子どもの成長過程において様々な乗り越えなければいけないハードルを子どもと周囲の協力者と一緒に乗り越えていくのです。
 子どもが就学をする際には、また違った大きなハードルがあります。障害者差別解消法が制定され、合理的配慮を行いながら地域で障害者も生きていこうという考えはありますが、子どもがどのような環境下であればより成長するかという視点で、子どもを育てることが最も重要です。
公立の学校は、難病であるがゆえに配慮すべき身体の事項においては出来る限りの合理的配慮を行いますが、保護者の理解と協力は不可欠です。また、難病を抱えているがゆえの外見によるいじめの防止は配慮すべき事項です。
 基本的に、身体のケアと生活における安全面がどの程度保証されるか、知的能力(IQがどの程度か)、発達の偏り(発達障害のスペクトラムがどの程度か)、心理状態(不安が強いのか、自信があるのか等)、環境(親からの適切な愛情を受けているか、療育がどの程度できるか等)、といった5つの観点を総合して考え、適切な就学場所を考えましょう。
 もちろん教育では、健常の子どもをハンディキャップのある子どもも差別しないで助けることができる子どもに育てるということも大切です。
互いに相手を理解し助け合える子どもを育てたいものです。


NO.059(186号):「いつでも人の尊厳を…」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 あなたには本音で話せる人がいますか? いつでも誰にでも本音で話をしている方もいらっしゃると思いますし、本音で話ができる人は限られているかまったくいないという方もいらっしゃるでしょう。本音で人と話をすることができるか否かは、人間関係がどの程度信頼に満ちているものかという指標にもなり得ます。もちろん相手への想いや期待がどの程度のものであるかは大いに関係しますし、これまでの生育歴がどの程度安心できるものであったかということも関係してきます。これからの人間関係含めた自分の生き方をどのようにしたいかという望みも含まれています。
 時々、相手に対して敢えて攻撃的に話をしてくる人がいます。攻撃をすれば相手が本音を話すだろうという誤解が理由の場合もあります。その人自身の人生でこれまでに自分が守られてきた体験が少なかったという理由もあります。本音で話をすることができる環境に恵まれてこなかったということもあります。だから攻撃をしてくる人がいたら、「あぁ、この人は人間を信頼することができない人なんだ」「これまでの人生でよほどたいへんなことがあった人なのかな」とこころの片隅で思うことができると、たとえ酷い攻撃をされても相手と同じ土俵に上がることなく対応ができ、相手との関係をこれ以上悪化させることなく、自分の人間としての尊厳の低下を防ぐことができると思います。
 人は、金銭的に苦しかったり、人の生死を目前にした状況になったり、切羽詰まった状況に陥ったりすると、心中穏やかにいることが困難になります。
それでも、礼儀を欠いたり弱いものに八つ当たりしたりせずにすごすことができるようなこころの強さを培いたいものです。


NO.058(185号):「患者を取り巻く家族の想い」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 病を抱える者が入院をし状況が不透明なとき、その家族が主治医からの説明を受けることは、今後の関わり方を決めるためにも必須事項です。本人不在で説明が行われる場合も往々にしてあります。家族はこの主治医からの説明の日時が決まる前にも様々な想いをめぐらせ、本人との多様な思い出が走馬灯のように甦り、その本人と自分との間で悔いのないようにしたいと思うのです。
 例えば、夫の容態が急変したときの妻の想いと、子の容態が急変したときの親の想いと、親の容態が急変したときの子の想いと、きょうだいの想いとは皆、異なっています。ターミナルケア、遺される家族の生活、遺産等考えざるをえない事柄に対する想いも異なっています。そのようなときこそ、自分と病に臥せっている本人との関係に目を向けて、損得感情を抜きにして、自分がどのようにしたら後悔しないかを考えて、様々な調整を行っていくことが大事なのです。
 病を抱えた家族を支えるには、いつも以上に、体力とこころのエネルギーが必要です。共倒れになってしまっては、支えたい人や守りたい人を守ることができません。こころの隙を突いてくるような人や情報に流されたりしないようにしましょう。後悔しないような対応をするためにも、自分自身の心身のエネルギーが枯渇しないように、自分自身がホッとできるような安らげる場所をひとつ作っておくことがよいでしょう。安らげる場所が、患者本人の側である場合には、万障繰りあわせてでも患者の側にいることがよいでしょう。
 ひとりの生と死をめぐり、生き様を想い、悲嘆を受け止め、希望を見いだし、ありのままを受容できるためには、本人と向き合う物理的な時間が大切なのですから。


NO.057(184号):「ストレスに負けないために」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 心身の健康状態をよりよくするために睡眠は必須要件です。規則正しい生活で1日8時間以上の質の良い睡眠確保が望ましいですが、物理的に2日で合計14~16時間の睡眠をとれればよしとしましょう。また、睡眠はストレスの負荷度合いを判定する目安にもなります。ストレスがかかるとリンパ球の働きも弱まり、癌細胞の増加、感染症への罹患率の増加、現在の病状の悪化等が起こります。“朝起きたときぐっすり眠れたと気持ちいい気分”は良質な睡眠がとれているのでOKです。“朝起きたとき目がばっちり冴えている”は危険信号(黄色信号)です。“夜中に何度か目が覚める”はより危険信号(オレンジ信号)です。“寝付きが悪い”“夜中に目覚めても目がばっちり冴えている”は更に危険信号(赤信号)です。これらの危険信号は抑鬱のサインでもあるので気づいたらできるだけ早く休養をとりましょう。
 人との接し方・つきあい方もストレスに大きく関わってきます。人とのつきあいの中でストレスをためないようにするには「(1)自分の権利を尊重しつつ、相手の権利も尊重する」「(2)自分が何を思いどのように感じたかを“私”を主語にして伝える」「(3)罪を憎んで人を憎まず」「(4)相手の行為や言葉の背後にある想いを理解し共感する」を意識した接し方を日々心がけることが大切です。
 さらに、意識して「無駄な時間」や「無駄な会話」を増やしましょう。今の社会では物理的な空き地も減っており子どもたちが空き地で遊ぶ姿をほとんど目にしませんが、こころの中にある空き地も減っています。

 ストレスを受けた時に柔軟にそれを跳ね返すことのできるように、普段からこころの中に空き地を作っておくとよいでしょう。


NO.056(183号):「孤独が最も人を弱くする」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

人を最も弱くすることは孤独だとわたしは思っています。難病を抱えていても、余命が宣告されていても、死に瀕していても、自分の存在を認めてくれて大事に想っていてくれるだろうと感じられる誰かが傍らに居たり、こころの中に存在していたりすると心安らぐ瞬間もあるでしょう。
 他者との関わりがあってもそれが酷評だったり意図的な無視だったり単なる使い走りとか金の出所としての存在だったりすると、孤独と言えるでしょう。孤独になると、話し相手ほしさに悩み相談の電話にかけたり、ひたすら時報に電話をかけていたり、迷惑メールが送られてきたりすることだけでも誰かが必要としてくれていると感じてしまう(端から見ると誰かからのメールが送られてくるという態度に見えるので、それが自分の存在価値を高めると勘違いしてしまう)場合が実際にあります。
 だからこそ、孤独や寂しさにつけこんだ詐欺が横行しているのですし、最愛の人を亡くした時に自分が生きる意味を見いだせず後を追うように亡くなることも昔からあるのでしょう。

 コミュニケーションツールが発展したことによって、生身の人間同士の本質的な関わりが減っておりますが、それでも想いが一緒であると感じられることはしばしばあります。例えば同時刻にメールをしていたり、連絡をした際にお互いを想っていることが認識できたり、目の前にいない人のために尽力したり募金したり。人は本質的に孤独や痛みを知っているからこそ、人にやさしくできるのです。そしてまた人のやさしさを知っているからこそ、つながりあい助け合うのです。
 自分の存在自体が、ほんの少しでも相手の存在し続ける価値になる、そのような人間関係も素敵ですね。


NO.055(182号):「ステレオタイプ的な見方に注意して、対人関係をスムーズに」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 私たちは無意識に相手を職業で判断したり病名で判断したりして、自分の価値基準に基づいた見方をしています。
 例えば患者やその家族は“医師・看護師・臨床心理士とはこうあるべきだ”“教師はこうあるべきだ”と自らの望みを相手が当然満たしてくれると過剰に期待し、その期待に少しでも沿わないと非難したり敵対視したり関係を絶ったりすることがあります。一方で医療関係者もこの病名の難病患者はこうであると決め、それぞれ個性のあるひとりの人間であることを忘れてしまうこともあります。

 向かい合っているつもりでも実はそれぞれお互いの本質を見逃していることは人間だから当然あります。
 勿論、初めに期待があるからこそ関係性が生じ構築されるので、相手に期待するのは当然の心理ですし、適切な医療を求めたり最良の介護・看護・教育・支援を求めたりすることは人間の尊厳を守るためにも必要です。
 見知っている人でも、実は知らないことが沢山あり、意見の相違が生じたり、お互いの想いに齟齬が生じたりして、驚くことがあります。でもそれは当たり前のことです。人はお互いのことを知っているつもりで、日々の生活を何気なく送っていますが、一度問題や課題が生じるとお互いの考え方や想いの相違が表面化して、あたかも最初から関係性が悪かったように感じてしまうこともありますが、そうではありません。

 難病や障害を抱えて生きることが、健常者よりも日々の生活で課題に直面することが多いことだからこそ、相手への期待だけではなく相手の置かれている立場や状況に目を向けることを意識して、自分に付き合ってくれる人の存在が貴重であると認識し、自分の言動を選択することが大事だと感じます。


NO.054(181号):「身体的に難しくても、できることはたくさん」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

先日、点字の書物を読んでいて、「あれ?活字が書いてない箇所が何十ページも残っている」と初めて感じ驚きました。
勿論、点字の書物を読み慣れている方であればこのようなことは感じなかったかもしれません。
どれほど自分が日々視覚から取り入れる情報に偏っていたかを実感したと共に、この驚きは障害を抱えて生きている方が日々生活の中で感じておられる“健常者との差”を体現したことかもしれないと思いました。
全盲の方でも色を感じることができるという機器は以前に開発されたと知らされていました。しかし、目で見えなくても触れたりにおいをかいだり感じたりして、情緒的な関わりの中で言葉での詳しく適切な説明を受け体験すること(例えば、「透明はきれいに澄んだ水の色だよ。小川を流れている水を触ってごらん。ひんやりしているでしょう、風も心地よく吹いていて、ざわざわと木の葉が揺れているでしょ。ざわざわと揺れる音は新緑だよ」と水を触り風を感じ、愛情のある人との交流場面での会話をすること)によって、色を理解することは可能とのことを遅ればせながら先日知りました。
人間の可能性も再認識しました。身体に不自由を感じていると今までの失敗体験が基になって自尊感情が徐々に失われ、こころが不安定になり“自分のできる範囲はここまでだ”と諦めることが多くあるのは当然だとも思います。
しかしだからこそ“意識して自分自身や家族の有り様を受け入れ、今の状態で何ができるか”が大切になるのです。
“今何ができるか”に視点を置き、心地よい環境作りを考えるとよいかもしれません。

見えなければ聴けばいい、それぞれが精一杯できることをすればいい、というように…。


NO.053(180号):「未来を語ることが将来につながる」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

病気や事故が原因で障害を抱えて生きることになる方の中には、その重荷に耐えきれずにより重篤な精神疾患を併発する方が多くなる現実があります。

障害や難病の程度が重い程、身体的なストレス(負荷)と心理的なストレスが個人にも家族にもかかり、身体の障害程度と精神的にかかるストレスの強さは一見比例しているように見えます。例えば身体疾患を抱えて生きている方が鬱病を発症することも多いですが、家族は本人の身体ケアに加え、本人が頻繁に死にたいと訴えるので「とりあえず何もしなくてもいいから生きていてくれればいい」という境地になり、本人の身の回りの世話諸々を担うことになります。
勿論、相手の世話を甲斐甲斐しく行う事が無意識の願望であり生きる意味を見いだす傾向の方にとっては望ましい状態ですが、そうではない方にとっては負担が増える一方になり家族の身体的及び精神的な過労を引き起こし、悲劇を引き起こす場合も往々にしてあります。
しかし、個人や家族のストレス耐性の強さや社会の適確なサポート体制により悲劇を減らす事が可能です。
またこれまでストレス場面をどのように克服したかや生育歴は大きく作用しますし過去は変えられないし精神状態はホルモンの影響もあるのでなかなか自力で改善は難しいかもしれませんが、それでも心身状態の悪化を予防する方法はあります。

未来を語ることが将来につながります。望みや夢を言葉に出すことによって、自分の心情と状況を変えることも実際あります。
身体の不調に比例して精神の不調は出現し、精神の不調により体調管理が難しくなり病状へ影響が出るので、まずは自らこの悪循環を断ち切る一歩を踏み出してみましょう。


NO.052(179号):「評価が入る言葉(相槌)は禁物」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

ピアサポートで同病者の話を聴いている時に、生じやすい相槌で「それは大変でしたね」という言葉があります。相槌を打つ方の心情としては「自分自身も病気にまつわる出来事でとっても大変だったから、きっと相手も大変な出来事を体験しているだろう(もしくは、既に体験しただろう)。だからその大変さを乗り越えたあなた自身を労おう」というつもりで発せられた言葉でしょうが、この「大変でしたね」もしくは「大変ですね」という言葉は実はくせ者なのです。

「大変」という言葉には、ある何かを基準とした評価が含まれているからです。勿論、評価が入った言葉を言われて喜ぶ方もいます。しかし、評価は同等の立場でなく上下関係がある中で生じる言葉なので、同等の立場で支えあうというピアサポートの理念とは異なってしまうこともあるのです。実際のところ、同じ難病の診断名がついていても症状も多様ですし、程度も軽重あります。

その中でしばしば生じることがある「あの人よりもわたしは症状が軽いからよかったわ」という想い・こころの深い部分での闇、その人間であるがゆえの闇を生じさせないためにも、ピアサポートでは、評価が入る言葉を使わない方がいいのです。

相手の心身の苦労を労うのであれば「これまでよくやってきたね」という言葉が適切だと思います。
それに、心底傾聴できていれば、相槌の言葉なしでも表情や流れ出てくる涙で、話をしている相手が自分のことをわかってくれていると素直に伝わります。お互い人間だから、なかなか難しいのは当然です。それでも、ただその人の在り方・生き様を尊重しながら関わると、自然と相手の気持ちにフィットした言葉が口をついて出てくるものです。


NO.051(178号):「自分の想い・希望と本人の想い・希望を混同しないように」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

人は皆平等であるか否かという命題は様々な分野で議論されており、何が正解かはあらゆる価値観や指標が存在するので、一概に決めるのは不可能ですが、それでも人のこころに付き合うにあたり大事なことなので少し考えてみます。

例えば、生物学的な人間の健康や構造という指標で考えても遺伝子レベルで不平等ですし、罹患する病気の種類が異なることにおいても不平等でしょう。また社会でどの地位に居るかによる発言力や影響力は不平等で、経済的な指標で考えても高所得者と低所得者の生活環境は不平等です。
ただ、死が訪れる時期は不平等であっても、死を迎える事実は誰にでも平等であるといえますし、自分のこころが感じる真実に関しては平等であるといってよいでしょうし、何を幸せだと捉えるか等、自分のこころの有り様については平等であるといえるでしょう。
そうすると「如何に生き、如何に死に臨むか」は人として遵守していくべき道徳事項であると思うのです。

本人が延命を希望するか否かは尊重されるようになってきていますが、その延命措置を行う場面に遭遇した人がどのような立場の方かによって本人の希望がほんとうの意味で尊重されるか否かが左右される事実もあり、憂慮すべき事項です。
そしてどうしても“死それ自体がもっているステレオタイプ”やそれぞれ“死に臨んでいる本人の周囲の方々のもつ「死の価値観」”が“死に臨んでいる本人の「死の在り方」”に多大な影響を及ぼすので、死に臨んでいる本人の想い・希望と、その周囲にいる家族・支援者・医療従事者としての想い・希望を混同しないことが大事になってくるのです。

混同しないよう意識した上でどう在るかを選択することが大切です。


NO.050(177号):「気持ちを前向きにする『化粧』」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

どうしても気分が落ち込む時、何となくモヤモヤする気持ちの時、気合いを入れて取り組もうと思う時、「化粧」は気持ちを変化させるために役立ちます。実際に女性が化粧をすると気分が明るくなったり頑張ろうという気持ちがわいてきたりする心理学の研究もありますし、ある民族では祭事や士気を高める際に化粧を用いていたりします。今回は「化粧」は身だしなみを整える意味全般を込め使う事にします。

女性のする化粧と同様に、老若男女に共通してストレスを発散しポジティブな心理的な効果を発揮するのは、散髪、美容院でのメイクアップ、好きな衣服の購入・制作、着物・伝統的な衣装の着用・制作、好みの小物の着用、身近な医療機器を(医療機器の動作に支障がない程度に)装飾して楽しむ事等が挙げられます。
もちろん、化粧や装飾の成分が体調に悪影響を及ぼすことも少なからず懸念されるので、心配ない品を使うことが望ましいですし、経済的に負担のない程度で楽しむことが必要になります。

できる時・やりたい時に自分ひとりで楽しんでもよいと思いますし、身体の動き具合や体調によって家族や支援・介護者と一緒に楽しんでもよいと思います。より自分の好みに合うように調べたり工夫をしたりすることは、人との関係作りのための話題になったりします。
実際に体調や生活が苦しいとその悲哀辛苦を他人に吐き出さないと生きていくことがさらに辛いものになりますが、傾聴してくれる人との友好的な関係を持続させるためにも悲哀辛苦以外の話題に触れることが望ましいです。

「化粧」によって、個人の心理的な変化に派生して、対人関係に好ましい変化が生じる可能性もあるので有効に活用してはいかがでしょうか。


NO.049(176号):「自分の幸福も、他人の幸福も願いたい」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

人はいつから、他人を疑ったり信じられなくなったり、相手の不幸を密かに望んだりするのでしょうか。
そして人はいつから、自分の気に入らない人に対しては敢えて冷たい態度をとったり論ったりするのでしょうか。
幼少時には、人が悲しんでいたり心底がっかりしていたり傷ついていたりすると、自然と「元気を出して!」「笑って!」と子どもなりに相手の悲哀に素直に共感し、励ます行動が見られます。そして自分が理不尽に扱われると「自分が悪いことをしたのではないか」と自分を責めるのです。

日本は他国と比して(震災等の言動から)モラルがよいと言われておりますが、小さなところでモラルは崩れている印象を受けます。自分の子どもが年下の子どもを理由もなく蹴っても何の対処もしない親、落とし物を拾うと『儲けた』と自分の物にしてしまう人、障がい者の地位向上は法的には認められましたが実際の現場で依然残っている根強い区別、相手の立場や心情に共感をできない人、「障がい者だけが優遇されている」と感じる人は実際に増えている等、例を挙げると悲しくなってきます。

一方で、お互いに研鑽し高め合い支え合い、あたたかな人間関係を他人同士でも築くことができる人も実際にたくさんいます。
新しい年になった今、自分が大変でも相手の置かれた状況に配慮をできるゆとりと、ほんとうの意味でのおもいやりをもって皆が生活できることを切に願います。障がいやハンディや様々な苦労を抱えていることは実際大変ですが、相手の辛苦も思いやることができ、自分がそれを克服した経験をアドバイスすることもできる素地があるということなのですから、弱い立場の方の力になると思います。


NO.048(175号):「相手からの信頼感を増すための、ちょっとした工夫」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

人は誰でも相手から見られる自分に関しては、パーソナリティーや生育歴によって培われた受けとめ方をします。例えばとても自分に自信がない人であれば、ちょっとした相手の言動を非常に気にし、いくら褒められていても一緒にいて楽しそうにしていてもそれを素直に受けとめないで「それは社交辞令で言っているのではないか」「でも内面では本当にそう思っているのか信じられない」と疑心暗鬼に陥ったりして余計に人間関係をこじらせたりする傾向があります。

相手からのプラスの言動を信用できない傾向にある人から信頼感を得ようとするときには、基本的なスタンスとして、人は相手を意図的に傷つけようとはしない、という姿勢を貫いて接することです(これを信じる人が増えることによっても人間関係の改善が行えます)。
具体的には、相手自身の信じられないという気持ちをも認める言動(「あなたは□□と感じているのですね」「どうしても信じられないのですね」等)を行いながら、自分の素直な気持ち(「それでも、わたしはあなたのことを○○と思っている」等)を丁寧に伝え返すことが必要になります。

相談時以外の評判が相手の信頼感を増すことにもつながります。物や金品を介してのやりとりは長期的に考えるとほんとうの意味での心理的な信頼関係の構築にはなりづらいので、できるだけ言動で相手とのコミュニケーションを行っていくことが望ましいです(物や金品が介入するとその瞬間にはよい心理的な人間関係の構築がなされたように感じられますが、長期的に見るとお互いに悪影響があります)。

周囲の人間関係を改善しようとするならば、まず自分から相手を信じて生きていくことが近道かもしれません。


NO.047(174号):「グループでのピアサポート」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

ピアサポートで相談を受ける際、(電話相談でも同様)基本的には一対一になっておりますが、グループでのピアサポートを行う場合には、それぞれの参加者がそれぞれピアサポーターとしての役割を担うことになるので一対一の状況とは若干意識する点が異なってきます。

グループではピアサポーター同士でそれぞれのこころのケアを行っていくことになりますが、一般的に一対一の状況よりもこころの深い面でのお話になりにくい傾向があります。つまり、身体の話や病状の話、薬の話など難病を抱えていると当然直面する課題についての話にはなりやすく、家庭内の繊細な悩みであったり、身体疾患と精神科疾患の両方を併発したりしているという話等は、避けられる傾向があります。

ただ、グループに参加するメンバーが長期間に渡って固定化すると、次第にこころの深い面の話もされるようになる傾向があります。

グループで話を聴く際に、一対一よりも集団で話を聴く際の集中度や責任感は下がりがちで、話を聴きながら自分の状況や想いと比較しながら聴くというこころの状態が生じやすいので、より安全な形でこころのケアを行っていくための守秘義務や「あなたのピアサポーターとしてわたしがお聴きする」ことを改めて意識することが大切です。
またそのグループの参加者の中で中心的な役割を担っていたり日頃から発言力があったりする参加者の意見にグループが引きずられる傾向もあるので、グループでのピアサポートで大切なのは「素直に相談者の話をお聴きし、そこで生じた自分の感情も大切にして、相談者を傷つけない配慮を十分にしたうえでピアサポーターとして発言をする」ことを忘れないことだと思います。


NO.046(173号):「悪口を言わざるを得ない辛い状況を打破するための一歩は」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

人には誰しも自分を認めてほしいという欲求があり、一生懸命に生きていても認められない状況や自分の意見が受け入れられない状況が続いたりすると、不満が溜まり自分の周囲にいる人の悪口を言ってしまう傾向があります。悪口でも何でも自分の想いを口に出すとその瞬間は気持ちがすっきりして楽になった気になりますが、発した言葉は言霊でもあるので意識しないところで自分に降りかかってきます。愚痴や悪口を言わずにいられない心理的・現実的状況はとても辛いものです。
その辛い中でさらに自らの言葉で意図せず自分も重ねて傷つけているのですから、何か違う方法で自分の辛い状況を理解してもらえるようにしたいところです。
基本的に、こころのエネルギーは褒められたり成功したり嬉しかったり楽しかったりするときに貯まりますが、せっかく貯めたこころのエネルギーは悪口を言うだけで簡単に消費されてしまいます(心理検査の一つでも様々なポジティブな言葉を連続して口に出していくと気持ちも前向きになるというものがあります)。

新しい事を始めたり、自分のさらなるステップアップとして行動を起こしたりする時等もたくさんのこころのエネルギーを必要とするので、できるだけ普段からこころのエネルギーが貯まるような発言ができるとよいでしょう。
もちろん、ピアサポートやカウンセリングでは悪口を言うことも厭われません。そこでは「なぜ悪口を言いたくなるのか」という気持ちに焦点を当てて、自らを省みるこころの作業を共に行っていくからです。

悪口の裏にある想い、すなわち自分にとって何が不満なのか、不安なのか、恐怖なのか、物足りないのか等見つけることができると、生活の質も向上するかもしれません。


NO.045(172号):「『傾聴』テクニックは、こころを共に」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

ピアサポートでも日常会話でも人の話を“きく”ときに大事になることは、“聞く”でもなく“訊く”でもなく“聴く”であるということはご存知だと思います。
いわゆる“傾聴”は、人が会話中の「なるほど」という言葉を《きちんと聴いてもらえている》と受けとる傾向があること、「ふむふむ」という相槌を《もっと話をしてもいいんだ》《この人は自分の話を聴いてくれている》と感じる傾向があることを活用したカウンセリングの技です。

このような傾聴の技はピアサポートでのこころの癒しを生み出す際にも日常生活での人間関係を円滑に進める際にも効果的ですし、実際に自分が相手の話をしっかりと聴いていることを伝えたいときにもとても有効です。
その反面、この技を身に付けると聴いているピアサポーター自身がこころから納得して《なるほど》と感じられていない段階でも、聴く技だから…と焦り「なるほど」と伝えてしまうことがあります。
このような場合、3ヶ月程するとピアサポートもうまくいかない事態になります。

技が先行すると、こころが言葉に伴わない事態に陥るきらいがありますが、この事態を防ぐためにも、ピアサポーターのこころに素直に生じたことを言葉にしようと意識することが大切です。ピアサポートで一生懸命に話を聴きつつ、わからないことを素直に時々伝え返すことを繰り返していると、自然に相手に、一生懸命に理解しよう努力し力になりたいと思っていることが(その瞬間ではなくても何年も経って振り返った時にでも)伝わるものです。

一生懸命に聴いている、そのピアサポーターの姿勢によっても、人は自らの存在価値を再確認し、癒され、自ら生きていく力を回復させていくのです。


NO.044(171号):「『もう何もしたくない』という欲求」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

一般的に、人間の欲求は、マズローの提唱した6段階の階層に分かれているといわれています。
これは、低次の欲求は生きるために必須の欲求で食欲、睡眠欲、安全欲等であり、高次の欲求は承認されたい、自己実現したい、自己超越したい等といった欲求であり、人間は低次の欲求が満たされるとその上の段階の欲求が生じ、低次の欲求が満たされないと、その上の段階の欲求は生じにくいという考えです。

しかしながら人間には『何もしたくない』という欲求もあります。
これは「こころにぽっかり穴が開いたようだ」「こころが空っぽになってしまったようだ」「こころが折れそうだ」等という気持ちとは異なったものと考えてください。鬱病ではない人にこの『もう何もしたくない』という気持ちが生じてくると、こころのエネルギーが枯渇しきっているという危険信号です。
状況によってはこの危険信号が出ても休息できない場合もありますが、自分の心身を休め何もしないという選択をとらないと長期的に回復が難しい鬱状態に陥ってしまったり、そのまま頑張りすぎると自分の素直な気持ちを感じることができなくなったりして表情が乏しくなったり、思考が単純化したり、気持ちが少しずつ回復したとしても趣味の活動でさえ楽しめなくなったりするので、ぜひ自分の気持ちを大事にして「何もしない時間」をすごしていただきたいと思います。

ピアサポートで、この『もう何もしたくない』という欲求・想いを聴いた時、特にそれが急に生じてきたということであれば、これまでの頑張りを労い、疲れたという言葉さえ出せずに走り続けてきた相談者に対して、何もしない時間を作るように勧めてみるのがよいでしょう。


NO.043(170号):「付き添い人の心情」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

家族や大切な人が難病を抱えて生きていると、急な入院によって付き添ったり、入院中必要な身の回りのものを用意したり、仕事を休んで家族や大切な人のために時間を費やすという状態になることが多くなります。

付き添い人は、「自分が代わってあげたい」と思ったり「あの時自分が○○したから、そのせいで入院になった」等と罪悪感を抱いたり、医師からの適切な説明を聴いてもそれ以上の何かしら悪いことが起こり得るのではないかと不安や恐怖心を抱いたりします。一方で「入院をしていれば、何か起きてもすぐに対処してくれるから安心」と思ったり「自分が医師であれば自宅で面倒をみてあげられるのに」と悔やんだり嘆いたりします。
患者と一緒に付き添って病院に泊まることによって、心身の疲労は蓄積し、感染症にも罹患しやすくなったり、患者の病態が悪化するのではないかという不安による不眠や慣れない病院での寝泊まりによる不眠が生じます。そうすると、「何でわたしがこんな目に遭わないといけないのか」とか「いっそ、患者がいなくなってほしい」というような否定的な感情も生まれてきます(この心情は介護の現場でもしばしば生じる心情です)
。 このような否定的な感情を感じたこと自体にも罪悪感を感じるので二重苦です。しかしこれらの感情が沸き起こってくるのはそれだけ一生懸命に献身的に看病をしているからこそ生じてくる、人間であれば当然の感情なのです。
自分の感情を否定せずに自分で自分を認めてあげましょう。また周囲の人たちも付き添い人を労い誉め認めてあげましょう。

難病患者が生きていくことは、患者とその家族や支援者が一体となってお互いの努力を認め合うことなのですから。


NO.042(169号):「こころと食事の関係」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

ピアサポートで関わる人同士は会話が中心となる傾向がありますが、会話だけでなく会食や軽食をすることによって、会話だけでは見えなかった相手の心情や生活背景や悩みが垣間見えることがあります。そして、人のこころとは不思議なもので、心理的な問題に会話で直接触れなくても、お互いの日々の食事にまつわる出来事やメニューについて話をすることによって悩みが解決されることもあるのです(この食事にまつわる出来事とは…難病や疾病を抱えて生きていると内服薬の種類によって特定の食物の摂取を制限する必要があったり、病状が回復して経過観察の状態で服薬がなくなっても特定の食物の摂取を制限したり食事内容を工夫したりすることが必要な場合があるので…料理を誰が作るか、誰と一緒に食事するのか、楽しい食卓かそれとも苦痛なのか、薬の影響でホルモンバランスが崩れ肥満のようになったり逆に食事摂取量に関係なく痩せていったりする状況や、経管栄養で固形の食事ができない辛苦悲哀、幼少期からの食事にまつわる思い出等を指します)。
また食事の感じ方は心身の健康度のバロメーターにもなります。例えば、砂を噛んでいるように感じる、食欲が湧かない等であればこころの健康度が低下しているというサインですし、普段の食事の味が変わったと感じる等は身体の状態に何等かの変化が生じているというサインです。

心身の健康度合いは比例していることが多いので、こころの健康を維持すると病状の悪化を防ぐことにもなります。だからといって食事の件のみに執着してしまい日常生活での他事が疎かになっては本末転倒です。できるだけバランスのよい生活を心掛けられるといいなと思います。


NO.041(168号):「間(ま)」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

日常会話でも、対面でのピアサポートでも電話相談でも、人が話をする時には必ず「間」が生じます。ピアサポートにおいても「間」の活用は聴く際に有効なスキル(技)でもあります。

「間」の感じ方は人それぞれで「間」の短長に関わらず、熟考、拒否、放心、自分の世界への逃避、妄想、等の心理状態が内包されており、会話をする人間同士の関係性も大きく反映されます。例えば、強迫傾向のある方やこころの病が重い方等は、「間」が不安要素になるために、戸切のない会話をしたり何度も話題が急に変わったり一方的に話続けたりする場合もあります。そして「この人にこの話をしても大丈夫だろうか」と確認するために自分に支障ない話を半年も数年もとめどなく話してから、自分の不安や悩みの核心となる話をすることもあります。
これとは逆にカウンセリングには、ほとんど話をしないで50分過ごしてまた来週…と毎週いらっしゃる方もいます。話をしないけれども、その方のこころの中では様々なことが浮かんでは消え、自分なりの回答を出してカウンセリング後の日常を生きていくのです。
そしてある時、ポツリと「…ありがとうございました、お陰で生きる勇気が湧きました」と言ってカウンセリングを終了する場合もあります。

ピアサポートの中で長い「間」が生じるとピアサポーターに不安が生じてきますが、まずはその不安に耐え自分も沈黙し、相手の心情に静かに想いを馳せてみましょう。「間」の直後や相談後の相手の言動から、新たな情報を伝える方がよかったのか、傾聴し表情で想いを伝えればよかったのか等がわかり、お互いにとってこころの成長を伴う心地のよい「間」造りができると思います。


NO.040(167号):「“声だけの繋がり”では終わらせたくない電話相談
 ~その弐~ 相談をする者の嗜み」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

電話相談では、長い間こころに秘めていた悩みをやっと今相談を始めるといったこころの深い部分の問題から、困っているときにちょっと電話相談を行っていることを思い出してかけてみるといった今日の困り事まで、話す内容の深さも様々です。また相談の種類も多岐に渡り、中には身体の問題よりもこころの問題の方が大きすぎて精神科での心理療法に満足せず、時間や料金の制約もなく気軽にかけられる電話相談に依存をしている場合もあります。
相談者の欲求には、悩んでいることに関する専門的な回答を得たい、自分の考えにただ同意をしてほしい、一緒に悩む時間を共有してほしい、ひたすら傾聴してほしい、等の様々な相談者の欲求が含まれています。ただ電話相談は必ずしも数回話した程度で自分の欲求を完全に満たすとは限りませんし、満たしてくれることだけがほんとうの意味で相談者のためになるとも言えません。
また、相談員からアドバイスを受けてもそれを実行するのは相談者の意思決定によります。従って、自分の人生において選択し決定し実行するのは相談者自身でありその結果も自分が受け入れなければいけません。相談員がこう言ったから…と責任転嫁しないことも大事なことです。

人はどうしても顔の見えない電話相手に対しては、普段言わないような辛辣な言葉や無慈悲な態度をとる傾向があります(電話での保険等の勧誘がその最たるものです)。継続する電話相談をより良いものにするためにも一度は対面してお話できるといいです。
人間の主要な情報元である視覚を奪われた状態で真摯に傾聴し、自分のためだけに自らの人生の時間を割いている相談員の方に感謝をして相談をできるといいなと思います。


NO.039(166号):「“声だけの繋がり”では終わらせたくない電話相談」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

難病を抱えて生きていると、遠出という体調悪化の要因を回避でき、外出せずに横臥した状態で相談できる電話相談がとても役に立ちます。その反面、相談をする方は自ら万障繰あわせ体調も数日前から整え相談料金を持って相談に赴くこととは異なり、誰に構うこともなく自宅で着の身着のまま都合よい時間に通話料金のみで電話できる電話相談自体を軽く捉えてしまう傾向があります。

電話相談の良さを生かすためには、電話での相談を受ける場合に、(1)今回の相談の目的を明確にし話を整理する、(2)「○○と理解をしたけれどそれで合っていますか」等と相手に自らの理解度を確認する、(3)手っ取り早く相談できる電話に依存しやすく対面して話をする機会を減少させる傾向があるので、社会性を失わせないためにも電話相談の後にいつか一度でも対面して話ができる場合があればぜひお会いする、ことが有効です。
また、相談者に主体性をもってもらうために、電話相談を紹介する時や相談を受ける始めの段階で「話を聴いてもらうのはいかがですか(←相談者が受動的になりやすく、世間話を話すように相談内容が浅いままになる傾向がある言い方)」ではなく、「ゆっくりお話をして(←あなたのお話を傾聴しますというメッセージが込められた言い方)、一緒に考える機会にしませんか(←相談者自らが悩みを解決できるよう、アドバイスを聴いた上で考える力を育成する言い方)」をする、といった工夫も有効です。

相談をする方も、相手が自分のために電話口に神経を集中してあなたの話を傾聴している状況を、対面している以上に思いやって話をすると、気持ちも繋がり、対人関係も繋がり、より有益な相談時間になると思います。


NO.038(165号):「言い間違い」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

あなたも会話の中で、ふと言い間違いをしたことがあるのではないでしょうか。そして、言い間違いをした自分に驚いたり、なぜ自分が今この言葉を発したか不思議に思ったりすることがあるのではないでしょうか。

精神分析では、言い間違いに注目するという考え方があります。ちょっとした言い間違いに心理状態や隠された願望が現れるという考え方です。これは精神的な疾患ではなく誰にでも生じ得る現象です。
例えば「○○は面倒だ…いや、予定があるので難しい」という話では、一般的な差し障りのないお断りの言葉を言いたかったが、本音が内包されている「面倒だ」がふと表面に出てしまって自分がそう思っていることに驚いたり、心理的には似たような親密度の場合、名前の言い間違いではより親密な方の名前が出て自分がどれだけその方のことを常に考えているのか気づいたり等、日常的に言い間違いは起こり得ます。
確かに、脳の機能的な問題で一部分が損傷されていたり、軽度の認知症だったり、知的な遅れがある方との会話では名称の言い間違いが多く見られますので、上記の精神分析の考え方が当てはまりません。また、知らず知らずに自分の考えていることが声に出てしまっているという場合には、異なった精神疾患が予想されますので専門家に受診することをお勧めします。

言い間違いは、自分を理解したり、ピアサポートにおいて相手を様々な角度から考察し直し理解することにおいて少し役立つ知識です。先の「面倒だ」の例でも、それをすると体調が悪化しそうで怖い等の不安な気持ちの現れかもしれません。
言い間違いから相手との関係をより良いもの変えていくチャンスも見つけられるといいなと思います。


NO.037(164号):「1+1>2 1+1+1=∞」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

新年明けましておめでとうございます。本年が皆様にとりまして幸多き、実り多き年でありますよう、こころより祈念しております。

さて皆様はご自分の今の体調(例:身体がだるく動けない)を相手に伝える時に、相手がどのような言動をするか、その返答と対応を自分だけの物差しではなく相手の体験を踏まえたり推察したりして充分に考慮すると、自他のより深い理解に繋がり、また誤解も生まずに済み、心理的により良い関係性を構築することができます。

例えば同じ難病患者からの言動と、抗癌剤治療経験者からの言動と、人工透析患者からの言動と、難病患者の支援者(医療関係者含む)からの言動とは恐らく異なるでしょう。それでも「同病者だからわかる」だけではなく「同病者でなくても魂でわかる」のです。
異なる難病・障がい・疾病患者でも、虐待被害者でも、社会的弱者でも、生きるために行ってきた努力は内容は違えど同じだからです。そして支援者も、難病患者の支援を行おうと決めて生き続けていることには、患者の納得に足る理由と努力があるからです。
 人は必ずしも自分の体験を語るとは限りませんが、経験や知識が言動の基になります。また聞く時は、時々の心理状態に応じて自分が聴きたい言葉だけを受け入れる傾向があるので、状況の変化や心理状態の安定や精神的な成長によって、受け入れられる言動も変化します。
あなたのために涙を流し、あなたが不当な扱いを受けたときに心底怒り、あなたのこころに寄り添う友に、あなたはこのアンビシャスでの繋がりのなかで巡り会えていることでしょう。

 新たなる年も、共に助けになって生きていくことができるよう、より良い人間関係を築いていきたいものです。


NO.036(163号):「モヤモヤを自分自身の成長の糧としよう」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

ピアサポートで時折、言葉にできないモヤモヤした感覚や心理的な疲労感が湧き起こることがありますが、これは言葉で表現しきることが難しい《マイナスの何か》がこころに生じてきているサインです。そして、何らかのマイナス感情や疲労感を感じてしまう自分のことを《ピアサポーターとして不適格ではないか》と密かに悩んでいませんか。これは、本当の意味でピアサポートの集団がうまくいっていないシグナルです。この時、周りを見渡してみると、同じピアサポーターでも、Aさんはいつも話を聴く役、Bさんはいつも話をする役、Cさんはその場にいても黙って相づちを打つ役、Dさんはいつもお茶菓子などを用意する役…といったように、ピアサポートの定義とは異なり、集団の中で決まりきった役割を長い間のうちに知らずに担っていることに気付くでしょう。

ピアサポートに限らず、人間のあらゆる集団において生じる現象ですが、無理やり現状を変えようとすると、人間関係等に歪みが生じます。ピアサポーターは病を抱えて生きる人間同士、お互いがお互いの為になっている存在ですから、無難な改善策としては、初めに、今のピアサポートをしている状況は客観的に見てどのようなものなのかを振り返ってみることです。そして自分なりに考え感じたことを必要な時がくるまで温めておいたり、自分自身を成長させる反省材料にしたりすることがよいでしょう。評価には主観が付き物なので、本当の意味で客観的にみているかという疑問も忘れないでください。

そして時折、自分のためだけの時間をつくり、こころに休養をさせてください。これらの作業を繰り返していくことで、ピアサポーターとしての着実なスキルアップは望めるでしょう。


NO.035(162号):「事実、現実、真実」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

人は話をするときに《事実》《現実》《真実》という3つの次元で話をしています。

事実…
例えば《今日は11月1日である》《私の名前は○○である》《TPPで関税が何%になった》《この疾患には○○という薬が有効である》等。

現実…
今あなたが生きて、身の回りに起こっている事。

真実…
あなたが感じ、あなたのこころに起こっている事。
つまり、人の数だけ真実はあります。例えば、ピンクや白色のコスモスの花を見て、ある人は「秋になった」と感じ、ある人は「オレンジ色の外来種に負けた」と感じ、またある人は何も感じない等。
また例えば○○を服薬した際、ある人は「吐き気がする」、ある人は「頭痛がする」、ある人は効果があり「楽になる」等。いずれも全て真実です。

ピアサポートの際には、この3つの次元を念頭において話をお聴きすることが必要になります。
カウンセリングをするときに私が特に大切にしているのは《真実》です。
人は《真実》を傾聴されることによって自分自身や生き様を認められたと感じ、生きるエネルギーを貯め《現実》で生きていく強さを養っていくからです。
ピアサポートでも《真実》を傾聴しつつ、素直に《現実》で生きていくことができるよう《事実》と照らし合わせて、共に歩み続けられるといいですね(こころの病が重くなると《真実》と《事実》がかけ離れ《現実》で生きていくことが困難になります(その際には精神病薬が有効です))。
同病者ゆえに理解できることがピアサポートの強みです。
つまり《真実》をピアサポーターが本当の意味で理解することが、より一層患者の生きる力を育むのではないでしょうか。


NO.034(161号):「介護は、実はお互いのためになっている…(難しい問題ですが)」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

私はしばしば要介護の患者さんから「自分がバカなふりをしていればうまく回る」とか「間違えると相手に申し訳ないから、できないふり、わからないふりをしている」という本音をお聴きします。

介護する方と介護される方には心理的な上下関係ができやすいきらいがあります。それを前提にして、身近な要介護の方を思い浮かべて冷静に状況を考えてみてみましょう。その方は病気をする前から、文句をたくさん言う方でしたか?(そしてそれは本当に文句ですか?人として正当な言い分ではありませんか?)痛みや不安に耐え、忍び泣いているのではありませんか?人知れず、後に残される愛する人の悲しみを思いやっているのではありませんか?力を貸す方が、相手のできない場面しか目にしないのは当前です。

しかし腰を据えて、「自分がやってあげている」という上から目線の姿勢を捨てて、向かい合って話してみると、いかに自分が介護をしている相手から学ぶことの多いことか!
生きてきた中で、かけがえのない経験から多くの知恵を学び、今まで生き延びてきたことが本当に素晴らしく、尊敬に値することか。
綺麗事ではなく互いのためになっている、という関係で居られるためには、互いが謙虚に、相手に感謝(介護することで存在意義ができる、恩返し、徳を積む、給料をもらって食わせてもらっている。介護されることで、身体の負担が軽減される、後世に知恵や歴史を伝える生き字引となれる。)し、互いの状況を思いやれることが必要です。

私は実際に介護の関係がうまくいっている方からは「自分はこの方の世話をできることがうれしい」とか「この方がいるから生きていられる」といった心からの言葉をよくお聴きしています。


NO.033(160号):「医師も患者さんの話を聴きたいのです」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

私はしばしば患者さんから「電子カルテばかり見ていて、ちっともこちらの顔を見ない。話を聴いてくれない」「医師からは『最近どうですか?』『では、また次回』という言葉しか聞いたことがない」「一生懸命に話をしても、現在の血液検査等のデータでは私の話はわからないと言われる。もっと話をしっかり聴いてほしい」「すぐれない体調をおして通院しても、予約診療でさえ待ち時間が1時間以上もある。それなのに診察はたったの3分しかない」等といった医師への不満をお聴きすることがあります。
確かに、患者さん方のこのようなご意見はもっともです。
しかし、私の知り合いの医師たちは、皆、患者さんの力になりたいと寝る間を惜しんで難病の治療のための研究に尽力したり、昼御飯を食べる間もなく診察したり、患者会に顔を出したりしています。

そして、なんと!
その医師たちの悩みは、なによりも患者さんの話を聴く時間がとれないことなのです。『もっと患者さんの話を聴く時間がとれれば、この患者さんはもっと症状が改善される。それなのに、患者さんの数が多すぎて、精一杯力を尽くしても時間が足りなくて悩んでいる』と。
患者と医師の関係は、病気を治したいという気持ちでつながっているにも関わらず、その気持ちがなかなか表面に見えにくいために難しくなっているのではないでしょうか。

難病を根治させるためには、治療法の発見もとても重要でそれには医師の力が必要なのは明白です。
ならびに、患者さんから医師に身体のことを正確に伝えたり、生活全般等わからないことを理解してもらうように伝えたりすることも同じように大切なことだと私は感じております。
相互理解のもと治療が進められるといいですね。


NO.032(159号):「それぞれの夏」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

いよいよ夏本番です。
あなたは夏にはどのような生活になるでしょうか。

膠原病の患者さんで紫外線過敏のある方からは「夏は、紫外線対策をして外出することが大変だし、体調悪化が心配だから嫌だわ。海水浴したいのにできないし、外出時は手袋に日傘、帽子にサングラスかけて、全身黒ずくめで嫌だわ。」という話しをしばしば耳にします。
オストメイト(人工肛門)のある方からは、「夏は、ケアを頻繁にしても便の臭いが強くなるから嫌だわ」という話しをしばしば耳にします。
人工透析をしている方からは、「夏は暑くて喉が渇くけど、水分補給を多くしすぎてしまうと体重が増えてしまって、透析で水が引けきらない。水分を控えなきゃだから、暑くて大変だから嫌だわ」という話しをしばしば耳にします。

確かにその通りで、夏を乗りきることは工夫と労力を必要とします。しかしながら、嫌なことばかりに意識を向けていても、嫌なことはなくなりません。だからといって、嫌なことにまったく目を向けず生きていくことは甚だ困難ですし、それは心理的な成長を阻む《逃避》になるので心理的にも良くありません。
嫌なことは確かに嫌ですが、少しでも気持ちが穏やかで楽しくいられるように、自分なりの何か一工夫が見つかるといいですね。
そのためには同じ悩みを抱えている方に工夫を尋ねてみたり、辛さや苦しさを話し分かち合うだけではなく、
《ではどのようにしたら、その嫌な状況を少しでも打開できるか》
という側面で話し合うのもよいかもしれません。

同じ悩みを抱えて生きているからこそ、知恵を出し合いお互いがよりよい状態になれるような力があるのだと思います。
それがピアサポートであり、患者会の強みであるのかなと思っております。


NO.031(158号):「生きているだけで、素晴らしい!」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

いよいよ夏本番です。
あなたは夏にはどのような生活になるでしょうか。

「『貴方は生きているだけで素晴らしい!』と表彰されました」と私に気恥ずかしそうに報告してくださった方がいらっしゃいました。
身体の血液を二日に一度、3~4時間かけて入れ換えることにより生きている方です。
入れ換えというより、血液を体外の装置で濾過するという言い方が的確でしょうか。
人工透析は、免疫疾患や糖尿病などの病気や、過労や事故など、原因は様々ですが、慢性腎不全になった方が生きるために行う医療です。今から30年程前は、人工透析患者の余命は10年未満と言われておりました。現在は、当時と比べると人工透析の機械は性能が向上し、近年から人工透析を開始した方の余命は延びました。
彼は、人工透析をしているために長い間、定職に就けなかったので親族の間では肩身の狭い思いをしながら、それでも愛する妻子と一緒に生きてきました。自分のできることで努力し、食事制限や休養を自分の身体と相談し今まで生きてきました。
そして、人工透析を始めて30年のある日、病院から表彰されました。
「生きているだけで素晴らしい。長い間、透析をよく頑張った」と。

シャントを腕や足に造る痛み、透析の太い針を刺し続ける痛み、透析機械を血液が循環する間と透析後、歩けないほどの倦怠感。力が出ず、幼い我が子を肩車できない辛さ。シャントが破れて出血多量で死なぬよう日々の生活での細心の注意。 隣のベッドで透析をしていた方が次の透析の日には亡くなりベッドが空いている。つまり同病者の死と向き合いながら、自分の死とも常に向き合う…。
そのような毎日を30年以上も続けて生きるのはほんとうに大変です。
だからこそ、ほんとうに、生きているだけで素晴らしいのです。


NO.030(157号):「家族の問題」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

ピアサポートでは、家族間の悩みも多く相談されます。自分が育った家族(親やきょうだい)についての相談も多いです。相談者とピアサポーターの関係が深まると、《家族に身体のことを理解してもらえなくて辛い》とか《昔から母親との折り合いが悪い、自分はアダルトチルドレンだと思う》等の相談が多くなる傾向があります。

親への憎悪や悲哀の情を全てを吐き出せれば、自然と楽しかった思い出が蘇るものです(ただし、楽しかった思い出が蘇るまでにかかる時間が長すぎてギブアップしてしまう場合もありえます)。
当たり前ですが、世の中に親のない人はいません。そしてどのような親であれ、我が子に少なくとも愛情をもっています(たとえそれが1%でも。様々な相談を受ける中で、私はやはりそう思いますし、そう信じたいです)。産もうと選択したことだけでも大きな愛情の現れです。親自身が自分の親(相談者の祖父母)から愛情をもらっていないと感じていると、子ども(相談者)への愛情表現が間違っていたり、愛情表現の方法を知らなかったり、愛情を伝えたくても生活苦のため仕事に追われ疲弊し、できないこともあるのです。誰が悪い訳でもありません。

ピアサポートの目標のひとつは、相談者が《自分は大切な存在であり、必要な人間である》と感じられることです。その目標達成のためには、相談者が《自分は親から愛されていた》と感じることが重要なのです。ピアサポーターは相談者のマイナスの思い出や感情を「でも…」という言葉で否定しないで、長い時間かかっても相談者が自分の親との楽しかった思い出や親から愛されていた事実を再発見できるように、相づちを打つ時の表情等を工夫して意識を向けられるといいですね。


NO.029(156号):「創造的な作業による効用」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

前回、心理状態は人物画に現れると書きましたが、今回はその効用を考えたいと思います。

絵を描いたり、趣味などの作業をすることによる効用は、作業に没頭することによって、制限されている肉体や生活から意識を遠ざけ、安全に現実逃避し、再び現実社会で頑張る心のエネルギーを貯めることができることだと考えられます。また言葉で自分のことや悩みを伝えるよりも、侵襲性が少なく、相手の反応や対応により傷つくことが少ないことが特徴です。それに加え、言葉では意識していることしか話されませんが、絵などの創作では、意識していることだけでなく無意識のことまで表現されるので、何年も後になってその意味がわかることも多いです。
絵に関する活動でも、絵画鑑賞と自分で絵を描くこととは心理的な意味が異なります。「この絵や作品になぜか無性に惹かれる」という場合、創作しなくてもその作品で今のあなたの心理状態や願望が十二分に表現されていると考えてよいでしょう。

楽器や他の趣味活動でも同様で、例えば、和歌や俳句など型にはめるものが好きだと、より安全な形で自分を表現できますし、生活でも整理されたことを望んでいるのでは…と分析します。
また自分の好む楽器がもつ響き(可憐な音、遠くまで通る音等)や、楽器の歴史(先祖代々受け継ぐものだったり、楽器の作られた由来等)、文化(地域で受け継がれているもの)が、その方の人生とリンクしていたりパーソナリティを的確に表現していると分析をします。

自分を的確に表現できること自体が喜ばしいことですし、相手に認められたと感じたり、わかってもらえたという感覚になるため、生きるエネルギーが養われることが、一番の効用と言えるでしょう。


NO.028(155号):「人物画の活用」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

人の心理状態は、絵に如実に現れると心理学では考えられています。わかりやすい例を取り上げると「ムンクの叫び」では、画家自身の凄惨な心理状態がよく現れているといえます。
ピアサポートやグループカウンセリング、自己分析では、わかりやすく心理状態を把握し、よりよい自分になったり、より友好的にピアサポートを行ったりするために絵を活用することがしばしばあります。
今回は、人物画を考えてみます。

方法は、A4もしくはB5の紙と鉛筆を用意し、自分と同性の人物画を好きなように描きます。人物のどこの部分から描いても構いません。
どんな姿勢でもどちらを向いていても構いません。もしよかったら、試しにお描きください。

以下、分析例です。両手を大の字に開いているの人物を描く方は、とっても頑張っている方です。また、手を後ろに組んでいたり手を隠している人物画は、あまり他人に本心を明かしていないことが多い方だと推察します。とても線の薄い人物や小さい人物、輪郭が何本もある人物を描いた方は、自分に自信がない方です。身体の痛む部分が傷となって表現される場合もあります。
あなたは、どのような人物をお描きになりましたか。
絵の上手下手は分析に関係しません。またあくまでも心理学における考え方の一例ですので、この人物画がその方のパーソナリティや現状を総て表現しているとも限らないこともご了承ください。
またピアサポート等で絵を活用する場合には、どのような表現であれ、描かれた作品や描き手を尊重してください。あなたの前で描き、見せてくれたことに敬意を払い対応してくださいね。
絵は、こころそのものなのですから。


NO.027(154号):「テレビとの付き合い方」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

入院生活や寝たきりの生活になると、面会時間の制限もあるために、一人で誰とも話をせずにすごす時間が多くなることがあります。また話をすること自体が体力を消耗し体調悪化につながるために話すこともしんどい場合があります。
同様に、一人暮らしをしていると、次第に外との接触が限られたものになる傾向があります。また難病に特有の身体のこわばりや骨の損傷等が強くなると自然と外出が億劫になってしまうこともあります。
このように人と話す機会が減り、ましてや外出できないまま長期間いると、季節感も感じることがなくなり次第に時間感覚もなくなってきます。最悪の場合昼夜逆転、自分の世界に浸り切りの生活になり、本当に人との情緒的交流が失われてしまうのです。
外に出られない場合、リアルタイムで情報を上手に収集するためにはテレビも役立つものです。四季折々の映像を見たり、時事ニュースを見たりすると、自分のこころの時間が止まることを防ぎ、病気の身体の状態が回復してから社会に復帰しやすくなります。

確かに、テレビは一方的な情報発信源なので、一面的な見方や偏った情報が入ってくることもあります。また、強い光源が目に入ることにより疲労したり視力低下という悪影響もあります。しかしそれを差し引いても、そして気をつける(見る時間や番組数を少なく制限する等)ことで、心理的な時間を少しでも動き続けられるような効果があると考えます(だから病院にはテレビカードがあるのですよね)。
ただし現実逃避で一日中テレビばかり見ていては、これは心理的な時間を止めているので(テレビ依存症)、逆効果です。一番いいのは様々な立場の人と接することですが、できない場合にはテレビがいい代用かもしれません。


NO.026(153号):「潜在能力を発揮するためには…」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

人は皆、本来持っている身体能力をすべて発揮できていないと考えられています。
障害や難病を抱えると「できない」ことが確かに増えますが、今ある身体能力で使っていない潜在能力を如何に発揮するかが困難な状況を打開する、そしてより良い状況にするための鍵となります。
さて、現在、潜在能力を発揮して生きている女性がいます。先天的な聴覚の不自由さをもっており、かつ中途失明したAさんです。Aさんは盲聾唖者でありますが、結婚後は白杖なしに自由に家の中を動き回り、料理や掃除洗濯もし、火を使って夫の毎日の弁当も作ります。
全身のもてる感覚を研ぎ澄ませているのです。
失明してから出逢った夫との生活は、Aさんの意識を変え、人生を一変させたのです。
夫婦の楽しみは、朝の連続テレビ小説を観ること。観る、といってもAさんは見えませんし聞こえません。それなので夫が手話で手を通して状況を伝えます。Aさんは夫の手の温もりも、安らぎとともに楽しさも感じ取ります。喧嘩をするときも、夫の手を通して文句を言います。
良いことだけでなく嫌なこともすべて伝えているふたりです。

人は生きる力を得ると、自分のできうる限りのことは何でもできるのだと思います。
潜在能力、生きようとする力それは自分が見返りを求めずに尽くしたいと想う愛する人が原動力であり、愛する人のために発揮されるものだと思います。
そして工夫しようという意思、使われていない身体機能に意識を向けること、実際に試行錯誤し行動すること、ストレッチなどのリハビリテーションも必須です。
また、今までしようとしていなかったことに目を向けてみること、周囲の方々に理解を得、協力を得ることも本人の潜在能力を発揮するための一助となります。


NO.025(152号):「築くのは大変、壊すのは簡単…これなあに?」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

新年明けましておめでとうございます。新たな年を迎えられたことを嬉しく思います。
本年が皆様にとって幸多き年でありますよう祈念しております。 新年なので気持ちも新たに、原稿を書かせていただいております。
あなたは今回のタイトルを読んで、どのようなことを考えたでしょうか。
あなたが最初に思い浮かんだことも、あなたにとっては大切なことですし、頭の片隅において自分らしく生きるときのちょっとした手がかりになるものでもありますので、ふと思い出していただけるとよいかと思います。
わたしは、今回のタイトルで「人との絆」を思い浮かべていました。
どのような方同士も、最初は見ず知らずの他人です。人は生まれ、生きているうちに、人とのつながりが出来てきます。最初は知らない者同士でも、例えば病院の待合室で出会う方や医療関係者と少し世間話をして、最初は身体のことや病気のことが話題の中心だったものが、次第にその他の話をしたりするようになって仲良くなるとか、出先でお店の方と話をするとか。
人とつながりを持つことは時に面倒なこともありますが、自分とは異なった価値観や趣味をもっている方とお話をすることによって、自分自身の凝り固まった思考がほぐされ、人間としての幅が広がります。 体調がよくないと、どうしても自分の殻に閉じこもりがちになってしまいますが、そうすると心も病んでしまいます。
難病を抱えて生きていても、優しかったり、明るい方は、周りの方々の協力や理解を得やすいので、かえって自分が生きやすかったりします。
今年は少しチャレンジして、今まで以上に絆を深め合ったり、新たな絆を築いていってはいかがでしょうか。


NO.024(151号):「自分がよく用いる言葉」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

今回は口癖から心理状態を考えてみます。
身近な方や自分がいつもどのような言葉をよく用いるかということを観察したり振り返ったりしてみましょう。
方言訛り、声かけ(どっこらしょ等)、会話のはじめの言葉や接続詞(あのね、なんかさ〜、逆にね、でも等)、指示語の多さ(あれ、それ等)に気をつけてみると、近しい関係の方々は同じような会話の始め方をしている等、発見することがありますね。
今の生活や人生に満足していなかったり、不満が積み重なったり、病気で活動範囲が狭くなったりすると、思考が凝り固まってしまうことがあったり、被害者意識が強くなったりする場合があります。そのような場合には、会話をしているときに必ず「でも」というように相手の意見を否定したり受け入れられない意味の言葉が出てきます。
普段あまり自分の話を聴いてもらえないと思っている方の会話は、相手や集団の流れに沿わず、自分本位の話題になっていることが多々あります。
また、あまり自分は話をしなくて、いつも周りの方の話を聴いていることが多いという方は、それで満足をしているか、それとも気がひけて我慢しているのか等、自分の心に問いかけてみるとよいかもしれません。
病気を抱えて生きている方は特に、相手に自分の状態を理解してもらうことで、身体も心も楽になる場合がありますので、お互いのことをよく理解して、それぞれの方が、病気や辛いことを抱えて生きていても、心が穏やかになる時間が増えていくといいですね。
会話の傾向や癖に気づき、話し方を少し意識して、少し改善すると自分自身の気持ちが楽になったり、相手との関係がよりスムーズになったりしますよ。


NO.023(150号):「入院生活をより快適にすごすコツ」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 入院をしないで一生すごしたいという気持ちは誰にでもあると思います。だからこそ持病を抱えていると、いつ何時、入院して治療をする状態になりかねないのがつらいところです。
 入院治療では、病気から来る痛み、発熱、倦怠感、吐き気、寒気等に加え、治療を行うことによる痛みも加わります。治療を行うことによる痛みとは、診察による痛み、麻酔を打つときの痛み、点滴の針刺し、点滴の液漏れ、血管の破れ、薬の副作用等、治療の過程で必要とされる医療行為によるものです。
また、慣れない環境(病院)で生活することによる不安、当番制で入れ替わり立ち替わり来る看護師や医師との関係、病気の症状がどう進むかという不安、治療に関わる費用面での不安、等もあります。
確かに、症状の変化があってもすぐに対応してもらえることが入院治療ではメリットになります。
ただ、人の気持ちは変化するので、最初は入院して安心できたとしても、入院が長期に渡ればわたるほど不満は出てくるものです。
 入院の期間に関わらず、できるだけ快適にすごすコツとしては、スタッフと仲良くなることです。スタッフ同士の人間関係もありますし、それぞれ力量も違います。いろいろ話をしていると考え方もわかってくると思います。あなた自身が安心できるような対応をしてもらえるように、相手がどのような方であれ、こちらからは丁寧な応対をすると無難です。
 入院中は今まで以上に人の手を借りないといけない状況になるので、自分のできる範囲のことは自分で無理をしない程度に行いつつ、ケアをしてくれるスタッフも、人なので、自分がストレスを感じない程度に愛嬌を振りまいたり、「いつもお世話になります」「ありがとう」等の感謝の気持ちを言葉で伝えたりすることが有効です。


NO.022(149号):「(自宅)安静中の心がけ」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 あなたは、安静を指示されたとき、どのようなことを思いベッド(もしくは布団)に横たわっていますか?
 入院安静では、確かに、自宅に居られないことがストレスになる場合もありますが、同室になった入院患者さんや病院のスタッフと顔を合わせて話をすることができます。たとえお見舞いの方が来ないときでも、自分以外の誰かと話をすることができるし、急な体調変化にもすぐに対応をしてもらえるので安心です。
 それと比べて自宅安静で家族がいない時は、一人でベッドの上ですごす時間が圧倒的に長くなります。話を聴いてほしかったり、他愛のない話を聞きたかったりする時にできなくて、さみしく孤独を味わうこともあります。ペットが自分の世話や話し相手をしてくれればいいのですが…。
 痛みや発熱等が治まり少し体調が落ち着いてくると安静状態が暇に思えることもあります。考える時間が膨大にあり、落ち込んだり、希望や自信を失ったりすることもあるでしょう。そのような時には、意識して、今までの楽しかったことを中心に思い出すとよいです。写真を取り出して横になりながら見てもいいです。あえて楽しいことを想い体験するために、寝て夢の中で楽しい体験をするのでもよいでしょう。ただし、夢と現実を混同させて妄想の世界に入ってはいけません。あくまでも夢の中での体験というように認識をしていることが大切です。
 自分のこれまでの言動を反省したり、見えない周りの方々の動きに想いを馳せ感謝をしたりするのもよいでしょう。
 仕事をしたり趣味に高じたり、旅行したりすることは難しいですが安静時は、実は普段できないことができる時間です。できたら自己研鑽のための時間にできるといいですね。


NO.021(148号):「人のせいにするのは簡単…。しかし…」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 病気を抱えて生きていたり、職場でうまくいかなかったり、社会的な地位が低かったりする、いわゆる心理的なストレス状態が長期間持続すると、物事への対応の際に、自分の思うとおりにいかなかった場合に、他人のせいにしてしまうきらいがあります。
 確かに、人間なので自分の失敗点や改善点などに素直に目を向けその先に進むことが難しいのは当然の心理です。それゆえ、他人のせいにしたり何か他のことを悪者にしたりして、自分の気持ちを納めることが手っ取り早く、楽だと感じてしまうものです。しかし、責任転嫁する状態を続けていると、身体的には年を重ねていっても、心理的には全く成長しないまま…ということになってしまいます。たとえ難病を抱えて生きていても、経験をして自分自身をよりよい方向へ改善していくことで、人としてのすばらしさを身につけていくことができるのではないでしょうか。
では、他人を悪者にしないで人のせいにしないで生きるためにはどうしたらいいのでしょうか。
 それは、自分自身の現状を素直に話せる人を作っておき、自分自身の辛さ、嫉妬する気持ち、心配事など、ネガティブな気持ちも素直に話すことです。ただし人の悪口を言うことで人とつながるのは避けましょう。あくまでも主語は「自分」で、自分がどう感じたかということを中心に話すのです。悪口でつながっている関係は生産的ではありませんし、人のせいにしてしまっているのですから。
 また自分自身がどう感じているかを認めることも大切です。「あ、今疲れてるな」「辛い気持ちを押し殺してるな」「理解してもらえていないな」という自分の気持ちに気づいてあげること、自信のあることを作ることが大切なのです。


NO.020(147号):「ニーズに応じたサポートとは」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 どのような方でも難病患者になると、何らかのサポートを受けて生活するようになります。「サポート」を「支援」と捉えるか「援助」と捉えるかは人により様々な解釈がありますが、私たちが日々行っているサポートは,?身体のサポートと?心のサポートであると考えられます。 継続的にサポートを受ける生活をしていると,必要以上に依存的になったり要求がエスカレートしたり傲慢になったりして,結果として患者自身が社会から疎外されていくことになる危険性があります。
 それを防ぐためにも,ピア(患者相互の)サポートでも健常者がサポートをするときも大切なことは,患者の自立性を損なわずに,気持ちをくみ取って接することなのです。(1)身体のサポート(例えば、着替え、ベッドから起き上がる手助け)するときにも,患者自身があと少しの工夫があればできるようにし自分でやらせ、できたことを一緒に喜ぶことは大切です。(2)心のサポートをするときにも,「1.患者自身が意識しているニーズ」だけに応えるだけではなく,「2.患者自身が意識していないニーズ」も汲み取ってサポートすることが、患者に満足感を与え、患者の自己肯定感も高めることにつながるのです。
 例えば眠りにつくまで添い寝をしてほしいというニーズに対しては、実際に添い寝をしなくても、一人が寂しいという気持ちや不安になっているという想いに寄り添った発言(「誰かが一緒にいると安心するね」「添い寝をしてあげたい気持ちはあるけど,今は忙しいから難しいの」)をすることで患者の気持ちが落ち着いて,その後穏やかに眠れることもあります。両方のニーズに応えるようにすることで、信頼関係と自立関係を維持できるのです。


NO.019(146号):「インターネットと難病患者」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 インターネットが普及をしてきて久しくなります。情報は溢れ、手に入れたい情報は何でも(と言っていいほど)自宅にいるままパソコン画面で手に入れることができるようになりました。携帯でもスマートフォンが普及し、出先でも簡単に情報を得て調べることができるようになりました。便利になった反面、*SNSによる弊害についての警鐘が世界中で鳴らされています。
 難病になって在宅の機会が多くなると、タッチひとつで必要な情報を手に入れられることはとても助かるものです。外出しなくても同じ病を抱えて生きる方同士ネット上で想いを共有し、悩みを吐露し共感を受けて癒されるといった患者同士の絆もあります。一方で、何か心配や不安があって調べると、必要以上に病気の悪化を示す内容だったり、不適切な民間療法の勧誘だったり、何年も前の古い情報が掲示されていたりするために、発病したことによる不安や恐怖をさらに増強させてしまう危険性もあります。
 なかなか相手を目の前にすると言いにくいことがネット上では簡単に書き込みできてしまいますが、人間同士はやはりお互いに同じ空間に居て話し合ったり、話せなくても感じとりあったり、ふれ合うことが大切なのではないでしょうか。
 とかく病気になると引きこもりがちになってしまいますが、SNSの注意点も踏まえた上で、あなたの想いを発信することによって、それを聴いたり読んだりする誰かの勇気になっていたり、人生を変えたりしていることもあるのです。かけがえのない自分の人生を垣間見た相手が感動してくれたら嬉しいですね。
 ただし、どうしても伝えたくない・話すと辛くてとても耐えられないなら無理に話す必要はありません。無理のないように、のんびり生きたいものですね。

注*:SNS(ソシャル・ネット・ワーキングサービスの略。ネット上の交流を通して社会的ネットワークを構築するサービスの事


NO.018(145号):「抱えている問題をシンプルに整理」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 人間だれでも身体の調子が芳しくないと、心の調子も自ずと崩れてきます。
 生まれてくるときには、だれもが希望に満ち溢れて生まれてきたのではないでしょうか。
 そして年を重ねるごとに、自分ではどうにもならない問題に突き当たったり、人間関係のしがらみができたりして、悩むのだと思います。
 悩みの渦中にいると「自分の人生こんなはずじゃなかった」と現状を否認したり、「何が悪かったのだろう」と過去の出来事を後悔したり、「こうなったのは○○さんのせいだ」と責任転嫁したりして、問題を解決する方向から離れていきます。
 私たちにはざっと挙げても、1.自分の身体のこと、2.夫婦関係の問題、3.子どものこと、4.自分の親との問題、5.親戚との関係、6.医療関係者・ヘルパーとの問題、7.同病者との関係、8.経済的な問題、9.職場での悩み・就労に関する問題、10.地域の人たちの問題(騒音、近所づきあい等)、といったような10種類もの異なった悩みがあるのです。
 このような問題が、整理されずにどんどん絡まりあっていくと心を病んでしまい、「生きていても何の役にも立たない」と思い込んだり、人の言動が信じられず悪意をもっているように感じ、人の親切を素直に受け取れなくなったり、すべて悪い方にしか考えられなくなる危険性があります。そうなると何よりもつらいのは、あなた自身になるのです。
 すべての問題を一挙に解決はできませんが、まずは種類ごとに整理をしてみませんか。紙に書いて整理をしてもいいし、種類ごとに絵や詩にしてもよいですし、話すことで整理をしてもよいでしょう。
 問題は整理できると、解決しやすくなりますし、解決する意欲もわきますし、協力も得やすくなるのですから!


NO.017(144号):「難病患者の結婚・妊娠出産」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

一昔前、難病を抱えている方の結婚・妊娠出産は難しいと言われていた時代がありました。
しかし、現在では主治医と自分の体調を相談して妊娠出産も可能になっています。
それでも、難病を発病すると未婚女性患者は「自分が結婚できないのではないか」「たとえ結婚してくれる方がいても、その家族に反対されるのではないか」という悩みが始まります。
病気のことを十分に理解してもらって結婚しても、「どうせ自分なんか」とか「(体調不良の時に)家事ができなくて申し訳ない」という気分の落ち込みや、妊娠出産できるのかという悩みがついてまわります。不妊治療を行っている方の抱えている苦しみと似ているかもしれません。
妊娠の悩みと病気のつらさが複合されるので、本来ならば妊娠したらのんびりとすごす必要のある母体にはより多くのストレスがかかってしまいます。
 しかし、育児の方がさらに大変であることに想いを馳せると乗り越えられると思います。
望みを捨てずに、自暴自棄にならずに、普段の生活でできる限り心身をいたわっていけるとよいですね。
ただし、結婚をすることや子どもを授かることが人生の全てではありません。
自分の尊厳が保たれるような生活を送り、希望をもって生き生きと生活できることが一番です。

過剰なストレスを避けるためにも皆さんご存知のように、妊娠については主治医とよく相談をされることが望ましいので、想いを伝えながら、また主治医からのご意見をいただきながらゆっくり考えていけるとよいですね。日々の医療の進歩が私たちの抱える悩みを軽減し、より自分らしく生きることのできるような社会になっていくので、希望を捨てずに生きていけるとよいでしょう。


NO.016(143号):「10秒呼吸法…心の安定法」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

2011年3月11日の東日本大震災から3年がすぎました。被災された方々と関係者の皆様方に心よりお見舞い申し上げます。
3年が経っていますが、今になって心理的なストレス反応が出たりフラッシュバックで苦しんだりしている方もおります。
改めて大震災を思い起こすと、私は身内が被災したのでその時の光景がありありと思い出されます。安否確認に奔走し、食糧や生活用品を買いに走り宅急便で送り…神経の研ぎ澄まされた日々を送っていたことが思い起こされます。臨床心理士なので身内の話をいろいろ聴いてできる限りのことをしました。震災を経験していないと、経験した方のことを本当の意味で理解できないとしばしば言われます。病気でもそうで、患者でないと本当の意味で理解できないとも言われます。
災害をなくすことはできませんが、備えをすることはできます。難病を抱えているあなた自身がいかに災害を乗り越え、被災してもいかに自分の生命を維持することができるかという備えを改めて考えることが必要なのではないでしょうか。

それぞれの生活に必要なものがあると思いますし、それはすでにご存知だと思いますので、ここでは災害や病気の告知のときに、心の安定を図るひと工夫として「10秒呼吸法」を紹介します。両手をお腹に軽く乗せ、目を軽く閉じ、1,2,3で鼻からゆっくり息を吸って、4で止め、5,6,7,8,9,10で口からゆっくり吐く。数えるスピードはそれぞれ無理のないような速さで構いませんし、呼吸器をつけている場合には、息は自然のままで、頭で呼吸を数えるだけでも構いません。安全な状態で呼吸を整えることによって、落ち着き冷静な判断と行動ができるはずです。


NO.015(142号):「ピアカウンセリングの相互性」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

ピアカウンセリングや患者会での相談を受けるときに、セラピーの要となるのは、ピアカウンセラーと相談者との相互関係といえます。
セラピー場面で相互作用する二者関係の中では、本来、過去の重要な人物に向けるべき感情を相談者に向けてくる場合があります。これを転移といいます。転移での感情は親や子に向けるべき感情だったり、恋愛感情だったり、つまずいてきた問題だったりします。

それとは逆に、ピアカウンセラーが自分自身の抱えている問題やコンプレックスによって、相談者の話を正確に聴くことができない場合があります。これを逆転移といいます。例えば、結婚をしたくてもできなかったピアカウンセラーは、同じ疾患を抱えている人の話は親身になって聴くことができても、結婚にまつわる相談では必要以上に反対をしたり感傷的になったりすることがあります。また、ピアカウンセラー自身が母親コンプレックスを抱いていると、同じように母親との関係でつまずいている相談者には、ピアカウンセラー自身の問題を重ねて必要以上に同調したり、反対に自分の問題に触れることを避けて防衛的になったりすることがあります。

人間ですので、人との間ではいろいろな感情を抱くのは当然のことですから、逆転移を起こしているからピアカウンセラーとして失格ということはありません。大切なことはピアカウンセラーが主観を交えずに相談者の話をお聴きすることです。
そうすると、相談者自身の病の体験がピアカウンセラーの病の体験を癒し、同時にピアカウンセラー自身の病の体験が相談者の病の体験を癒すことができるはずです。
同じ病を抱えて生きる方同士でできることに思いやりと優しい心を込めて取り組めるといいですね。


NO.014(141号):「ピアカウンセリングでの『相談者』に応じた伝え方」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)


皆さんはジョハリの窓はご存じでしょうか。
図のような4つの自分があり、自己開示によって盲点領域を小さくし開放領域を広げることによって対人関係の進展や自己理解につながるという心理学のテーマです。
さて、会話をするときに、ある言葉を言ってもそれが相談者の問題によって、異なった意図を持たれてしまうことがあります。

ピアカウンセリングでは「同じ病を抱えて生きる人」同士という共通項があるために、他の方よりもさらに親密な関わりができることはご存じのことと思いますが、それでもやはり、誤解や齟齬(そご)が残念ながら生じてしまうことがあります。例えば、基本的に自己肯定感や自己信頼感が低かったり、生育歴や環境によって人を信じたりすることが難しい方には、聴いた感想やアドバイスを誠心誠意込めて一生懸命に伝えたとしてもうまく思いが伝わらないことがあります。

ピアカウンセリングをするときには、相談者が話してくださることに「うん、そうだね」と共感するだけではなく、最初は相談者が知っていること(開放領域)を伝え、時間をかけてお話を聴き、関係が十分について、相談者が少し問題解決の核心に迫ってきたときに、(相談を受ける)ピアカウンセラーが感じたこと(隠匿領域)を伝えると受け入れられやすいでしょう。

それに加えて、相談者がどのような言葉であれば受け入れられるか、できるだけ理論的に伝えた方がよいのか、簡単な言葉で手短に伝えた方がよいのか、視覚的な情報を交えたほうがよいのか、どのようなタイミングで伝えたらよいのか、等を相談者の特徴に応じて工夫するとよいです。
そうすると盲点領域が狭まり、未知領域で新たな成長ができる、より質の良いピアカウンセリングができるでしょう。


NO.013(140号):「恐怖との上手な付き合い方」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

謹んで新年のお慶びを申し上げます。
本年が皆様にとって幸多き年であるよう祈念しております。

新年なので、私のとても大事な方の話をします。【注:個人が特定できないように配慮あり】
その方は、社会でも責任のある立場で仕事に長年従事してきました。ある時、目に違和感が生じましたが、今まで健康だったので大丈夫と思い込み、病院受診をしませんでした。数か月たったある日、視界が濃いサングラスをかけたようになり、物は歪み距離感もつかめなくなりました。黄斑変性症の発症です。今は医療でできる限りの治療をし、一応は病の進行を緩めています。いつ失明するかという恐怖を抱えながらも、目が見える間に子どもとたくさん旅行をしたいという願いと楽しみをもち、生活では危険のないように工夫をしつつ、ふと死んでしまおうかという気持ちももちながら、今を精一杯生きています。

この方は、恐怖と向き合いつつ今と未来を見据え、自分の気持ちと上手に付き合おうとしています。

2つの恐怖の要因と付き合い方…
例えば無理な活動をして体調を悪化させることや無理に寒さを耐えるようなこと等、身の危険を引き起こすような外的な恐怖の要因に関しては、避ける・逃げる、といった対処法を採ってもよいでしょう。しかし病気が悪化するのではという恐怖や人生のテーマとなるような心の問題に関する内的な恐怖の要因に関しては、なかったことのように解離をさせても成長はありません。進行性の病を抱えているとどうしても不安は尽きません。それぞれの病の特徴をよくつかみ、今できることを後悔しないようにすること、制限のある生活の中でも自分らしく人生を謳歌することが大切だとひしひしと感じています。


NO.012(139号):「コンプレックスと向き合い、補う」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

あなたにはコンプレックスがありますか。

人は誰でもコンプレックスがあると思います。例えば、何歳になっても自分の母親にどう思われるか・どう評価されるかばかりを考えて生活し自分自身の価値観を見出せなかったり、きょうだいと比較された経験からきょうだいを愛せなかったりすることは心理的なコンプレックスです。
病気のために関節の変形が生じていると人前で手を見せることがとても嫌に感じる、薬の副作用でムーンフェイスになっていることで人と会うことを避けてしまう、といった自分の身体に関するコンプレックスもあります。「私は何も問題がありません」と思う人もいるかもしれませんが、コンプレックスが何もないと感じることは問題から目をそむけているだけなので建設的ではありません。

心理的なコンプレックスの克服法としては、(苦手なことも逃げたいことも関わりたくないこともあるでしょうが)「なぜ自分はそれが嫌なのか」を深く振り返り、恐れずに直面し、新たな自分を発見することです。
身体のコンプレックスについては、そればかりに目を向けず、あなたのもっている性格の良さ・優しさ楽しさ・特技、人格と呼ばれる心の面で補うとよいでしょう。

あなたがコンプレックスを抱いていることによって、相手が悪意を持っていなくても、相手の何気ない言葉にあなたが傷つけられたと感じてしまうことがあります。それによって相手との関係が崩れてしまうのは悲しいことです。周りとの円滑な人間関係やコミュニケーションを図るためにも「私の周りには私を陥れようとする人はいない」と考えて対応すること、楽しみ、喜び、嬉しさで心を満たしつつ、バランス感覚をもって生きることが大切です。


NO.011(138号):「患者と健常者は、共に生きる」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

難病を抱えて生きていると「やはり同じ疾患などを抱えて生きている人の方が、自分のことを分かってくれる」と感じる体験はあると思います。
原因不明の体調不良が続いた後やっと病名がわかり治療方針が立ち、長い時間をかけてすべきことを探っている‘自分の在り方(生き方)探し’の段階だと、同じ難病を抱えて生きる人とだけの関わりがとても心地よいことがあります。
確かに、健常者には理解してもらえないことがあります。しかし、同病者ではなくてもわかろうと努力をし、寄り添って生きてくれる人が居ることを忘れないでほしいのです。「同じ病気じゃないと理解できないはず」という偏見や妬みが患者にあると、理解しようとし協力している健常者も、とても悲しい気持ちになり一歩後ずさりすることがあるからです。

自身が大変辛い体験をしたことや、大切な人が難病になったことから、難病支援をしようと決心した健常者も多いのです。患者のことを理解したいからわからないことを聴くのです。冷やかしではありません。少しでも力になれたらいいなと思うから一緒にいるのです。時には気持ちをぶつけ合い傷つくこともあります。結局「患者と健常者は違う」という想いに行き当たることもあるでしょう。それでも伝える努力をしなければ一生想いが伝わることはありません。

患者と健常者は人生を共に歩めないのですか?
いいえ、歩幅は違っても一緒に人生を歩むことができます。

問われた時には、あなたのことを伝えてみてください。一生懸命に聴いてくれるはずです。
それに、自分のことを相手に理解してもらえるように伝える工夫をしていると、自分の心の整理や忘れていた気持ちを再発見できる効果もあるのですよ!


NO.010(137号):「診断と告知」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

みなさんは、診断は何のためにあるのだと思いますか?
まさか「あなたは病気です」というレッテルを貼るためではありませんし、診断は人生の問題の核心から逃げるための安心材料でもありません。
私の周りには何らかの病名を受け取って生きている方々が沢山います。難病や慢性疾患だったり、こころの病だったり、一時的な感染症だったり…いろいろな病があります。
物心ついている人や、ある程度自分の身体のことを考えられる人であれば、病気になると医学的診断を告知されます。体調不良の原因が何であるか長い間わからずに病院をたらいまわしにされて難病の診断がついた方も、アンビシャスの会報誌の読者にはいらっしゃるでしょう。
そのときはみなさんどうだったのでしょうか?

告知はそもそも人を奈落の底に落とそうと画策されたものではありません。患者が自分の身体の状態をよく知り、自分の身体と病とこころの状態に素直に向き合って、制限された状態でも、よりよい状態を維持し、いかに自分らしく生きるかを考えるきっかけになるものです。例えば、今まで人に甘えられずに頑張りすぎていた人が、告知後は人に頼らざるを得なくなり、結果的には上手に甘えられるようになり、病気をする前よりも生きやすくなるということもあります。それはもちろん周囲の協力が前提ですが。

患者の心理状態・想い・知的能力・パーソナリティを熟慮して、医療的なサポートと心理的なサポートを始めるために告知がされます。確かに、告知はその人の人生にとって危機ですが、今が過去になり、未来が今になるのですから、サポートを上手に活用しつつ、一病息災もとい二病息災・三病息災でも自分らしく笑顔で生きていきたいものですね。


NO.009(136号):「相手(自分)の言動の2つ前に戻って、相手(自分)を理解する」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

傷ついたこころの癒しは、人に理解された時から始まります。
こちらが困惑してしまう言動のその裏には、必ず相手の真の気持ちが隠されています。
「(1)起きている問題」から「(2)その行動の前段階」にあったであろう行動に立ち戻り、問題行動を起こした人の「(3)根底にある気持ち」に気づき、それ((3))をくみ取った声掛けをすることがポイントです。対応法の例を下に挙げます。

ex.1) 介護をしている方…“要介護の人がいつも「もう死んだ方がましだ」と言う”

→実際に医療福祉制度を最大限活用するのは大前提。言葉の1つ前に戻って、何がこの方の負担になっているのかを探します。もう1つ前に戻ると、この方は病気や障害で好きな○○ができていないんだ、○○がしたいのだと気づきます。よってあなたがかける言葉としては「○○がしたいのですね。○○をしていた頃が懐かしいのですね」となります。

ex.2) 子育てをしている方…“自分の子が、他の子達のおもちゃの車を取り上げてトラブルになる”

→他の子と一緒に遊びたい気持ちを言葉で言えなかった、という問題点が1つ前に戻ると出てきます。
もう1つ前に戻ってみると、この子は“車が大好き”という気持ちに行き当たります。よってあなたが子にかける言葉としては、「「○○ちゃんは車が大好きなんだね。お友達と一緒に車で遊びたかったんだね」になります。

※言動の2つ前に戻って、言動がなされた元となる気持ちに目を向けてみましょう。
あなたなりに理解した事を相手に伝え返すことが、癒しの始まりなのです。

ex.3) 自分の気持ちとの折り合い…

→憂鬱な気分の時、その前の出来事を思い起こし、自分は何を求めていたのかを探ります。
わかった時に対処できます。


NO.008(135号):7月号の続き
「自閉症スペクトラム障害」と「難病」を抱えて生きる人の話しの聴き方

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

自閉症スペクトラム障害、注意欠如・多動性障害(AD/HD)、レット障害、小児期崩壊性障害、特定不能、の5種類が発達障碍に分類されます。中でも、自閉症スペクトラム障害で、難病を抱えて生きることになった方は、ピアカウンセリングで話しを聴くときにも「伝わらなさ」をピアサポーターが感じることが多々あります。今回は、その一工夫とさらに具体的な関わり方についてです。

1.痛みの過敏さ

実際の病気の症状から生じる痛み以上の痛みを感じ、そのひどさを訴え、いくら医学的な処置をしても、その痛みが軽減されることなく訴えられ続けることがあります。  そのときにピアサポーターは、相手の痛みのひどさに共感しつつも一歩引いた距離で話しを聴くことが必要です。

2.会話のキャッチボールが難しい

ピアサポーターの話しの中に出てくる、ある一つの単語にとらわれて会話の脈絡と一見何も関係ないような話題をいきなり提供してくることがあります。聴く側としては、それは今の話しと何も関係ないなと感じるようなことでも、相手にとっては今話しをしていることにわずかに付随することなので、脇道にそれた話しを聴く方が相手は聴いてもらえたという実感をもてる場合があります。

3.興味関心の幅が狭い

何回お会いしても同じような話し。例えば、話題が常に鉄道に関することだったり、物事の見方が一面的かつ細かかったり、予測できないことへの不安を回避するためにブツブツと何かをつぶやいていたり…。相手がいろいろとこだわりがあるので、一生懸命に聴いてもわからない場合には、博士級の知識を教えてもらうようなスタンスで聴いても良いし、素直に「わからないけどわかる努力をしている」と伝えることも大切です。


NO.007(134号):「難病と発達障碍」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

難病を抱えて生きる人のお話を聴くときに、病だけに焦点を当てるのではなく、病を抱えて生きる「人」に焦点を当てることが大切なのは、周知のことだと思います。
わたしたちは「病」でできているのではありません。わたしたちは「人」です。それぞれの生きてきた歴史があり価値観があり、パーソナリティがあります。だからわたしたちは、自分のことを「病」だけで判断しようとする人に対して、不当に扱われたとか自分のことを見てくれないと感じたり、悲しくなったりするのです。

カウンセリングのときに、「病」だけではなく「人」としての話を聴いているときに、ときどき「あれ?なんだかこの人の話を一生懸命に聴いているんだけど、わからない」と思うことがあります。 ふつうは、一生懸命に相手のこころに耳を傾けて話を聴くと、相手に寄り添うことができるので、相手の思考やこころの動きや感情の機微が伝わってくるものです。しかし、どうしてもわからない場合があります(相手が「こころ」で話していることを「こころ」で聴くときには、どちらかが精神病圏の患者でなければわかるものです)。
それは実は、相手がもともと発達障碍の傾向がある人の場合であることが多いのです。情緒的な話し方ではなく独自の論理を用いて伝えてくるような人、つまり自閉症スペクトラム障害という発達障碍の人が、難病を抱えて生きることになったとします。すると、その方のお話を聴くと、努力をしても理解に苦しむということがあるのです。このような相手とは「こころ」を「知性」で理解し伝え返す方が伝わりやすいときがあります。相手を尊重し大切に思う気持ちは大前提ですが、発達障碍の方へは一工夫が必要になりますね。


NO.006(133号):「免疫力をあげる自己暗示」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 身体の防衛システムを司るのは免疫系です。免疫系と神経系、内分泌系、脳との間を行き来する化学的伝達物質は、互いにさまざまな情報を伝え合っています。そうした器官系は、構造的にもつながり、身体と心をつなぐ一つのシステムと考えられています。

 今回は私の60歳になる友人の話を少しします。彼女は今年の1月に末期の膵臓癌が見つかりました。しかし、抗癌剤、厳しい食事療法、ビタミン剤の点滴(1回に3~4万円自費)、規則正しい生活、自己治癒力を高める方法といったいわゆる医学で癌に打ち勝つためにやるべき治療をすべて行ったところ、彼女の腫瘍は小さくなり、奇跡的な回復を見せ、主治医も驚いています。
 彼女によると、現代医学の治療を受けながら、自己治癒力を高める方法(免疫力を上げる自己暗示)もとてもよいのだと言います。その方法とは、自分にフィットする‘病気が治るメッセージ’をカードに書いて寝る直前と起きる前に、心で強く想うことです。

 難病を抱えている皆さんには、例えば「今受けている治療は体の治る力を活発にさせるように働く」とか「私の神経系は治るというメッセージを全身の組織や器官に伝えている」「眠っている間に今日受けたストレスによる影響を免疫系がすべて中和してくれる」といった言葉がよいかもしれません。

 医学的に何をもって「完治した」と言うのかさえ難しいものが難病です。しかし私は、治癒のメカニズムは生きる喜びの見出すことのできるところに生じると考えています。適切な治療を受けながら、気持ちを前向きに保てたり、ちょっとでも毎日を送ることが楽しくなれたり、自己治癒力を高められるような自分なりの工夫ができるといいなと願っています。


NO.005(132号):「あっけらかんと壮絶な話をする人の心理」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

難病を抱えて生きていると、生きるために、医療的な治療をする必要があります。誰でも、感染症などに罹ると医療機関を受診すると思います。しかし、一般的な治療ではなく、ステロイドでの治療、血漿を交換する治療法、放射線療法などいわゆる難病を抱えて生きる人が経験する治療法には、「壮絶」という言葉で表現できる体験が多くあります。吐き気や頭痛などの痛みの副作用を経験したり、ムーンフェイス・関節の変形、失禁など治療に随伴し、本人の自信を喪失させる副作用を経験したりする人も多いです。病気のために大切な人を失ったり、やりがいを喪失させられたりすることもあります。

人はそのような時には、自分の心への負荷が大きい問題を、自分から少し遠いところに配置し、心の平穏を保つ方法を無意識にとることがあります。強い情動体験や外傷的な記憶によって、意識や人格の統合的な機能が一時的に傷害をうけたり交代する現象を「解離」といいます。悪いことでもダメなことでもありません。その人が心穏やかに生きていくための手段なのですから無理に意識させたり否定することはできません。

壮絶な体験をあっけらかんと話すときには、心理的に解離が起こっていると考えます。しかし一方で、このような「壮絶」な体験も、病を抱えて生きている人にとっては、人生の一部なのです。聴いている人にとっては壮絶かもしれませんが、それは、その人が生きてきた証でもあるのです。

その人が体験してきたことが、その人の心にフィットする言葉やイメージで表現されます。確かに、体験したくなかったということも素直な気持ちかもしれません。
病を体験した人のすべての想いに寄り添って生きていきたいですね。


NO.004(131号):「『わかった気…』には注意」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

人は、わからない状態では不安なので、何かはっきりと名前がつくと、それですべてが「わかった気」になることがあります。

会話で、たとえばSLEと聞くと、同じ病いを抱えている場合、相手のことがわかった気になることがあります。また、難病支援をしていると、難病の名前を聴くことで、ある程度、相手がどのような状態であるか推察することができるので、相手のことをわかった気になることが多いです。わかった気になることには、相手との距離を縮め、心理的に親密になれるような良い効果があるように見えるので注意が必要です。

同じ病いを抱えて生きていても、病状・障がいの程度、感じ方・生き方はそれぞれ違います。たしかに、病いを抱えて生きていると、生活に支障がでるので、病いは人生において切っても切り離せないものです。しかし、患者である前に、私たちはひとりの人間です。朝起きて、食事、排泄、勉強したり仕事をしたり、映画を観たり温泉に入ったり、綺麗な景色に感動し、友と語らい、愛を育み、夢をみます。それぞれの人が、誰かの子どもであり、友であり、恋人であり、親であり、師なのです…。

ピアカウンセリングにおいて、「わかった気になる」ことは、思わぬ落とし穴にはまることなのです。時には、言わなくてもわかってもらえることがあるかもしれませんが、みな人間。自分のことは伝えないとわからないものです。わかってもらいたい相手にはきちんと伝え、また聴くときには、相手のもつ色々なことに興味をもって聴いてみましょうね。時には、自分はこのように理解しているんだと相手に伝え返してみましょう。そうすると全人格をみながら聴くことができるようになるかもしれませんよ。


NO.003(130号):「相手の力を引き出すための聴き方」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 相談する人と相談される人の間には、無意識のうちに上下関係ができてしまう危険性があります。
 ピアサポートの関係の中でも、相談する人への依存や、もたれ合いが生じることがあります。ともすると上下関係ができてしまう危険性のないように、ほんとうの意味でその人が持っている本来の力、自己治癒力といってもよい自浄作用を引き出すための工夫をする心がけがたいせつです。実行できるようになるまでには時間はかかるかもしれませんが、このことを心に留めておくことで、たいせつな仲間のもつ本来の力を高めることができるようになるでしょう。

 人は相手にアドバイスをするときに、たとえば「これをすると楽になるよ」とか「これはとってもよいからやってみてよ」と言うことがあります。いわゆる上から下への関係になります。

 これを対等の立場でのやり取りにすると、「これをすると楽になる!と、あなたが思う時にはやってみてね」とか「これをすると、とても役に立つと思った時にするといいね」という言葉になります。

 たしかに、医学的に身体のために実行した方がよい生活習慣や、相手の主治医が勧めることは、勧める必要があります。しかし、相談者にピアサポーターがあたかも万能者であるように映ることは避けたいのです。

 相手の生き方を尊重したことで、相談者の主体性が育ってくると、ピアサポーターからは自然に「あなたの中に力が湧いてきたように感じます」という言葉がでるでしょう。
 相談者が‘自分自身の力で大変な出来事を乗り越えることができた’と思えるように、寄り添って、ともに歩み、お互いが自分の力を引き出しあって生活したいですね。


NO.002(129号)

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 誰でも不安になって落ち込んだり、具合が悪い時には希望すら抱けなかったりすることがあるでしょう。
 心理学的にいうと不安は、何か大切なものを失うかもしれないと思う時に生じます。

今回は不安な気持ちを和らげる処方箋を書いてみます。

 自分でできる不安の対処法は、不安を具体的にイメージして、不安要素を自分の脇に巾着に入れ置いておくイメージをすることです。信頼できる人に話したり、自分だけの安心できる御守りをもったりするのもよいでしょう。この御守りはタオルやお気に入りのアクセサリー、もっていると少しでも踏ん張れる・あったかい気持ちになれるものでよいのです。また人は、安心感と不安感を同時に抱くことは難しいので、できるだけ自分がリラックスできることをするのもよいでしょう。不安を感じている自分を卑下せず、認めてあげることも大切です。

 また、相手の不安を聴く時のポイントは、
1.不安に思う気持ちを受けとめ共感する、
2.批判をしない(→話す相手があなただから不安な気持ちを素直に言えるのだから)、
3.時系列・事実を確認(→緊急性があるか確認)、
4.話を聴きすぎて自分の不安感を煽られないようにする、です。

 ただ、不安にもよい側面があります。不安も何も感じないと危険なことも顧みず行動し悔やむことになるので、不安は自らの危険を回避する大事なシグナルともいえます。

 自分の気持ちに正直に。しかしよりよく生きるために上手に不安な気持ちをコントロールできるといいですね。あなたには想いを素直に訴えられる関係があります。相手の不安感を汲み、温かい言葉をくれスキンシップできる仲間がいます。楽しく穏やかに安心して暮らせる環境づくりをしましょうね。


NO.001(128号):「表現することは癒しにつながる」

臨床心理士 鎌田 依里(かまだ えり)

 みなさん、初めまして。
 心のことや、セルフケア、ピアカウンセリングのことなど、このコーナーで書くことになりました、鎌田依里(かまだえり)と申します。よろしくお願い致します。
 最初に自己紹介をします。私は大学院のときに過労で倒れて、3か月寝たきりでした。そのときに、「頭ははっきりとし、どこもケガをしていないのに身体が動かない」「力が入らない」という体験をして、難病を抱えて生きる方の苦しさつらさに思いを寄せるようになり、その経験がもとで難病支援を生涯続けていこうと心に強く決めました。
 現在は、ボランティアで全国膠原病友の会愛知県支部の臨床心理士として相談窓口とスーパーバイザーの役割を担っております。仕事では、愛知県小牧市教育委員会で働いております。
 アンビシャスの会報誌を初めて目にしたとき、みなさんの笑顔が多い会報誌だなぁと素直に感じました。会員のみなさん・スタッフのみなさんが、それぞれ違った人生を歩み、病とともに、それぞれの大切な人たちと人生を歩み、互いに想いあい、生きていることが素直に伝わってきました。
 また会報誌の中で、自分の苦しさつらさ、頑張っていること、希望などを素直に表現しておられる姿に感動致しました。素直に表現をできるということは、そこが‘安心できる場である’と心が認識しているからなので、それがとても嬉しく思いました。
みなさんが笑顔で居られるようになるまでには、たくさんの時間と経験が重なったと思います。
 そして、みなさんが笑顔で居られるようになるためには、たくさんの大切な人たち、医療関係者、ボランティア、福祉の方々…、そして、なによりも、難病を抱えて生きる方自身の力があったからだと思います。
 素直に表現をすることは、癒しにつながります。そして、自分の想いを受け止めてもらえる場があることは、病を抱えて生きる方、その方を支えている方の救いになります。
 自分の力を信じて、ゆっくりと人生を歩んでいきたいですね。
 この場で想いを伝え、今後みなさんからの意見も頂けると嬉しく思います。微力ながらお力になれたら嬉しいです。これからよろしくお願い致します。